第百十二話「笑顔」
「まさか……本当に、僕の力が遠く及ばないというのか……?」
「だから何時間も前からそう言ってるだろうが……」
どんだけ認めたくないんだよ。
もう空が白み始めてるぞ。
あとちょっとで朝日が昇っちまうよ。
「くっ……なぜだ、なぜそれだけの力と容姿があって、シルヴェストル家の養子になどなろうとする。血筋も金も、他にいくらでも優れた家を選べるだろうに……」
「だから養子になろうとなんてしてないって何度も言ってんだろ」
「そんな言葉を信じられるものか。口ではなんとでも言える」
ここらへんの会話はもうさっきから何度も何度も繰り返している。
なんだろうな、猜疑心の塊というか、自分が納得できないものは認めないというか……とにかく言葉じゃコイツから信用を得るのは厳しそうだ。
「しょうがねぇなぁ……ほら、受け取れ」
「……なんだこれは」
「その袋の中には大金貨百枚が入ってる。ああ、別にくれてやるってわけじゃないぞ。それは担保だ」
「担保?」
「そうだ。さっきから何度も言ってるが、俺は伯爵家の養子になるつもりなどまったくない。そんな心配をしなくともあと一ヶ月もしないうちに伯爵家に入り浸ることはやめるし、そのうち王国自体を離れることになるだろう」
「要領を得ないな。結局この金はなんの担保なんだ?」
「つまりだ。それは俺が一ヶ月もしないうちに伯爵家から出て行く、という約束に対する担保だ。保証金と言ってもいい。もし俺が一ヶ月以内に伯爵家から出て行かなかったら、その金はおまえにくれてやる。ただし俺がちゃんと約束を守って伯爵家から出て行った場合は返してもらう」
「…………」
「言葉は信用できなくても、金なら信用できるだろ。大金貨百枚ってのは俺のほぼ全財産だ。当たり前だがポンとくれてやるわけにはいかないから、絶対に約束は守る」
正確には今の俺の全財産で、『傭兵イグナート』の口座にはまだ大金貨五百枚という金額が預けられているが、それはあえて言う必要もないだろう。
ポンとくれてやるわけにはいかないのと、絶対に約束を守るつもりなのは本当だからな。
嘘は言ってない。
「……僕がこの場では金を受け取って、後日貴様を亡き者にしようとするとは考えないのか?」
「俺を殺すことは不可能だって身を持って知っただろ? そこは別に心配しちゃいない」
それに、コイツは曲がりなりにもあの伯爵と夫人の息子だ。
金は受け取っておいて約束は破るなんて、そんな卑劣な真似はしないだろう。
今は両親を想うが為に暴走しているが、性根はそこまで腐ってはいないはずなのだ。
……俺はそう信じたい。
「……ふん、いずれにせよ、今の僕にはその提案を飲むしかない。いいだろう。一ヶ月の間は見逃してやる。だが一ヶ月以内に伯爵家から出て行かなければ貴様が言った通りこの金は僕がもらう。そうだな、その時にはこの金を使って暗殺者でも雇うとしよう」
「好きにしろ」
元から大学が始まる時期には出て行こうと思っていたからなんの問題もない。
ただ毎日寝泊まりしている伯爵家から『出て行く』というだけで『もう二度と近づかない』とは言ってないから、もし夫人に俺がまだまだ必要そうだったら足しげく通うつもりだけどな。
「それじゃ、取り引き成立だな。変に怪しまれると困るから、屋敷じゃ今まで通り……とまではいかないまでも、普通にしろよ。じゃあな」
「あっ、おい!?」
俺は自分の剣を回収したあと、背後ですっとんきょうな声を上げるダニエルを無視しながら風魔法で屋敷へと飛び立っていった。
帰りは自分の足で戻ってもらう。
なんだかんだいって、コイツに何度も殺人未遂されたことはそれなりに怒ってるのだ。
◯
昼食後、屋敷の居間にて。
俺は伯爵、夫人、ダニエル、自分の計四人でカードゲームをやっていた。
「やった、上がり!」
「今回もリーズが一番なの? すごいわねぇ、三連勝じゃない。……あら、道化師を引いてしまったわ。はい、アナタ」
「はは、道化師を手渡しとは斬新だなマリアンヌ。だが私はそのカード以外から取らせてもらうよ。……なっ、道化師!?」
「ふふ、油断したわねルドルフ。差し出したのは別のカードよ。これで私も上がりだわ」
「う……む……これでダニエルと私の一騎討ちか」
「お兄ちゃん、がんばって!」
「リーズ……私のことは応援してくれないのか?」
「お父さんはいつでも応援できるけど、お兄ちゃんは明後日には帰っちゃうでしょ? ならどうせだったら勝ってほしいなぁって」
「その割には、リーズ自身が全力で勝ちに走ってる気がするのだが……」
「それはそれ、これはこれ、だよ!」
「はは、まったく、リーズは調子がいいなぁ」
「うふふ、ホント、リーズらしいわ」
「あはは」
朗らかな笑い声を上げる三人。
「…………誰だコイツ」
そして唯一笑ってないダニエルが、ドン引きな顔で俺を見ながらボソッと呟いた。
「もう、お兄ちゃん! 負けそうだからってそんな顔しないで! まだまだ勝負はわからないよ!」
俺はそう言いながらダニエルの背後に立ち、その両肩に手を置いた。
「……なんだこの手は」
『笑え』
俺は伯爵と夫人には聞こえないよう、ダニエルの後ろから笑顔で囁いた。
『せっかくの一家団欒だ。笑え』
「…………」
無反応を貫くダニエル。
「ほら、お兄ちゃん力入りすぎだよ!」
「ぐああ!?」
「あはは、大げさだなぁお兄ちゃんは。どう? 私のマッサージ。力抜けた?」
「ぁ……ありがとう、リーズ。おかげでリラックスできたよ、ハハハ……」
ダニエルの口から渇いた笑い声が漏れた。
口元は引きつり、その笑顔はあきらかに不自然である。
ぬぅ、朗らかには程遠いが、まあ嫌悪感丸出しな顔よりはマシか。
そのあともダニエルを交えた四人でカードゲームをやったり、談笑したり、料理長特製の桃パフェを食べたりした。
ただダニエルがずっと俺を意識しすぎてぎこちない態度だったせいか、夫人の表情は微かに憂いを帯びているように見えた。
桃パフェを食べている時は満面の笑顔だったのだが……。
「そうだ!」
時は過ぎて、夜。
風呂に入ったあとベットの上でうんうん唸っているところで、ふと思いついた。
愛娘の手料理とか、いいんじゃね?
夫人は美食家、とは少し違うが、食べることが大好きであり、なんでも好き嫌いせずにとても美味しそうによく食べる。
もしそれが愛娘の手料理となれば尚更美味しそうに、喜んで食べてくれるに違いない。
ダニエルの態度をどうこうするのは不可能に近いから、せめて俺の手料理で夫人を満面の笑顔にしたい。
よし、そうと決まればさっそく食材の確認だ。
俺は静かに部屋を抜けだして、食料庫へと向かって歩いていった。