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第百九話「ババロア」

「はーい、どうぞ」

「リーズ、大丈夫?」


 そう言いながら部屋の中に入ってきた夫人は、右手の上に大皿を乗せていた。

 大皿の中には巨大な苺のババロアが入っている。


「お母さん、それ……?」

「なんだかいつもよりデザートが進んでなかったから。お腹が空いて倒れてるんじゃないかと思って」

「倒れてないよ。デザートを食べる量がいつもより少なかったからって空腹で倒れる人間なんて存在しないよ」

「じゃあこれはいらない?」

「お母さん大好き! 私将来お母さんと結婚する!」

「なに言ってるのアナタ……」


 いやホントなに言ってんだ俺。

 頭大丈夫か俺。


 あ、もちろん苺のババロアは頂きます。


「それにしても、嬉しいわぁ……ダニエルも帰ってきて、家族勢揃いね」

「んー、そうだねー」


 苺のババロアをパクパクと凄まじいスピードで食べながら頷く。

 んー、このプリンとゼリーの中間に位置するような食感と味がたまらなく美味だぜ。

 濃厚さとサッパリ感が絶妙なバランスで同居している。

 料理長、いい仕事してるね!


「ここ何年もずっと、家族で揃うことなんてなかったものね」

「ええと、そうだった?」

「そうよ。あぁ、本当に嬉しいわ。私、今すごく幸せよ。まるで夢を見ているみたい」

「お母さん……」

「夢なら覚めないでほしいわ……ずっとこのまま、幸せなまま……」

「お母さん」


 俺は食べ終わったババロアの大皿をテーブルの上に置いてから、夫人と向き直った。


「夢は覚めるよ。いつか、夢は覚める」

「リーズ……?」

「夏休みが終わったら、私は大学に戻るから。今みたいにずっとお母さんと一緒じゃいられないよ」

「で、でも……ここにはいつでも帰ってこれるでしょ? 王都からそんなに離れてないし、大学は休みも多いから……」

「もちろん帰れる時は帰るけど、それもずっとじゃないよ。私だってこれから忙しくなって、もしかしたらたまにしか帰ってこれなくなるかもしれない。大学を卒業したあとだってそう」

「リーズ……どうして、そんなことを言うの……?」

「子供は親から離れていくものだから」


 自分で立てるようになったら、自分の足で歩いていく。

 それが自然なことで、当然なことだ。


「そんなことないわよ。孫の代まで一緒に暮らす家だっていっぱいあるわ」

「……ええと、そういうことじゃなくって。ほら、いつまでもこうして養ってもらうわけにもいかないでしょ?」

「アナタひとりぐらい、いくらでも養えるわよ」

「私がイヤなの。自分の食い扶持は自分で稼ぎたいの」

「あら、仕事をしたいの? だったらここから仕事場に通えばいいじゃない」

「いや、まあ、うん、そうなんだけど」


 あれ……おかしいな。

 俺もしかして今、論破された?


「また変なことを言い出して……デザートが足りてないのかしら? もっとババロア食べる?」

「私ってデザートが足りてないと変なこと言い出すの?」


 まったくそんな自覚はなかったんだが。


 そのあとも、今後のことを考えて多少真面目な話をしようと試みた……のだが、その度に論破されて、結局はうやむやになってしまった。


 これもう夫人、正気に戻ってんじゃないのか?

 強敵すぎるぞ。




 ◯




 ダニエルが伯爵家に泊まり始めて四日が経った。


 平穏な日々に対する懸念材料だったダニエル。


 初日こそ露骨なほどに敵意をあらわにしていたダニエルだったが、その次の日からは予想外の方向へと態度が豹変していた。

 それはつまり、どういうことかというと。


「おはようリーズ、今日も可愛いね」

「……おはようございます、兄さん」


 早朝、二階の廊下でバッタリ遭遇したダニエルと挨拶を交わす。


「リーズ、そうじゃないだろ?」

「……おはよう、お兄ちゃん」

「うんうん、そうだよ。リーズが僕に敬語を使っているところなんて見られたら、母上が怪しむからね」


 そう言って俺の頭を優しく撫でるダニエル。

 背筋がぞわっとする。

 非常に気持ち悪い。


 そう、態度が豹変とはつまりこういうことだ。

 敵意が反転して、露骨なほどの好意を向けてくるようになったということなのだ。

 ただまあ好意と言っても表面上でのことで、なにが目的なのかはもうハッキリとわかっているのだが。


「それで、リーズ……いや、ミコト。昨日の話、考えてくれたかな?」


 俺の耳元で小さく囁くダニエル。

 昨日の話というのは、俺がここにいるのをやめてダニエルの屋敷で働く、というものだ。


「いえ……私は、どこかに奉公するつもりはありませんから」

「でもここで働いてるじゃないか」

「それは……ギルドの依頼なので」

「じゃあ僕もギルドを通してキミに指名依頼を出すよ。それでいいだろう?」


 恋人に睦言でも囁くかのような、甘い声色で俺に同意を求めるダニエル。


「ダメです。私はここで働きたいんです。心配しなくても時期が来たらいなくなるので、放っておいてください」


 あとその顔面を遠ざけてください。

 自分がイケメンだからって誰でもホイホイ落とせると思ってんじゃねぇ。


 そう。

 そうなのだ。

 あろうことかコイツ、俺を金と色仕掛けで伯爵家から引き離そうとしているのだ。


 まあ真正面から引き離そうとしても伯爵は説得できないだろうから、ある意味攻略法としては正しいのだろうが……残念、それは普通の女の子だったらの話だ。


 外見はともかくとして俺の中身は男だし、今となっては金の為に伯爵家にいるわけじゃない。

 俺が望んでここにいるのだ。

 だから依頼報酬もむしろ、時期がきたら伯爵に返すつもりである。

 そんな俺に金と色仕掛けなんて通じるわけがない。


「放っておいて、か……後悔すると思うよ?」

「あなたの屋敷に行った方が後悔しそうです」


 俺はそう言ってダニエルに背を向け、一階へ続く階段に足を下ろした。


 次の瞬間。


 俺は背中に衝撃を受け、宙を舞っていた。


「くっ!?」


 体を丸めながら長い階段を転がり落ちる。


「おっと、すまないね。手が滑ってしまった」

「……今のは足じゃないんですか?」


 一階の床で起き上がりながらダニエルを見上げる。


「いや、手だよ」

「……そうですか」


 俺は服をパンパンと両手で叩き、何事もなかったかのように歩き出した。

 実際ダメージは一切ない。


 あんな勘違いメガネ貴族野郎なんぞ、相手にするだけ無駄である。

 どうせ俺には何をしようと効かないのだ。

 こんな虫に刺された程度の些細なことを、伯爵や夫人に報告して心労を掛けたくもない。


 あと三日、俺がダニエルをやり過ごせばいいだけ。

 それだけの話だ。




 そう思って余裕ぶっこいてたのが癇に障ったのか、昼食後に一家揃って出掛けた狩猟の最中、ダニエルのヤツなんと俺の背中を弓で狙ってきやがった。


 いやまあ、『僕リーズと一緒にタッグ組みたいなぁ』とか言い始めた時点である程度予想してたけどな。

 自然の強風を装って風魔法で矢を逸らしたら、露骨に舌打ちしてたし。


 もうなりふり構わずって感じである。


 夕食ではシチューの味が明らかにおかしくて食後に胃の中が冷たくなるような異様な感覚になったから、まず間違いなく毒を盛られていただろうし。

 まったく、毒を盛るなら盛るで味が変わらないような毒を盛れって話だ。

 せっかくの料理長特製シチューが台無しだよ。


 だがしかし、常人だったら死に繋がるような嫌がらせを超えた殺人行為も、俺だったら無効化できる。

 今日はなんとかやり過ごしたから、あとは明日、明後日だけだ。

 正直なところ今日一日だけで既に俺のストレスは結構なところまで来ているのだが、まあ一晩寝ればまた耐える為の気力が回復するだろう。……多分。


 夕食後。

 そんな風に気を抜いて風呂に入り、体を洗っていたら。


「お邪魔しまーす」


 メガネ貴族野郎が、メガネなしで風呂場に入ってきたのであった。










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