第百八話「鳥の丸焼き」
『……というのが、今後の領地経営計画だ。とはいえ、基本的には東南の鉱山に頼り切っていた財政体質の健全化が最重要課題となる。採鉱ギルドから脱退し、地元に残った坑夫たちの仕事も斡旋しなければならない』
『はい。承知しています』
『ふっ……しかし、私の代で鉱山が枯れるとは思いもしなかったな。もう引退しようと思っていたのだが……いやはや、この世は何があるかわからんものだ』
『……随分と楽しそうですね、父上』
『そうか? ……いや、確かにそうかもしれんな』
『では、そろそろ本題をお願いします父上。なにも領地経営計画の改良策だけを伝えるために、こうして話す場を設けたわけではないのでしょう?』
『うむ、その通りだ。では結論から言おう。私は先ほどの少女、ミコト・イグナート・フィエスタをこの家の養子に迎えようと思う』
『……正気ですか? 父上』
『無論、正気だ』
『そうですか。しかしそれは実際不可能でしょう。どこの家の娘かは知りませんが、あれだけの長髪です。相当な箱入り娘でしょう。親が黙ってはいない』
『あの子は孤児だ。天涯孤独の身だよ』
『はは……父上も冗談が過ぎますね。あの娘が自分でそう言ったのですか? まさか真に受けたわけではないでしょうに』
『もちろん素性は調べた。信頼できる人間を雇ってな。だが、彼女の両親はどこにもいない。少なくともディアドル王国内には』
『では他国の貴族による策略でしょう。そうですね、帝国と王国の結び付きをよく思っていないメガラニカ北方諸島連合あたりが怪しいのでは? あの白い肌がまさにその証拠ですよ』
『地方の、ましてや辺境伯でもない単なる伯爵の家にスパイか? それこそ冗談が過ぎるぞダニエル』
『まさか。まさしく親子ほど歳の離れた娘に誑かされた父上に対する、ただの皮肉ですよ』
『誑かされたなど……』
『それ以外に考えられますか? どんなに良心的に解釈しても、結局は遺産目当てのハイエナでしょう』
『いや、それは違うな』
『なぜわかるのです?』
『私はこの五年間、数百人もの冒険者の娘をリーズ役として雇ってきた。それだけの数を見れば、ただ目の前の報酬がほしい者や、娘に成り代わろうとする者などは普段の態度を見ればわかる』
『あの、ミコトという少女だけは今までの娘とは違うと? 父上……失礼ですが、『女は女優』という言葉をご存知ですか?』
『ふっ……そうだな。本来はそうかもしれん。だが私にはどうもミコトが女優だとは思えんのだよ。それどころか、ミコトを相手にしているとまるで娘の姿をした息子を相手にしているような気分になる。不思議なことにな』
『む、娘の姿をした息子、ですか?』
『ミコトがリーズよりも更に活発的だという点もそう思わせるのだろうが、なにより彼女と剣術の稽古をしていると特にそう感じる……いや、そういう印象を受けるというだけで、もちろん言葉のアヤだ。そんな目で見ないでくれ』
『父上……父上は騙されています』
『ダニエル。もし万が一騙されていたとしても、私は、ミコトを我が子のように思っている。……子に騙され、その糧となるなら親として本望だよ』
『父上はそれでいいでしょう! ですが母上はどうなるのです! 偽者の我が子を本物だと思い込み、日々を過ごしている母上は!』
『……それは』
『認めません。認めませんよ僕は。正常な判断ができない母上を欺くかのように、偽者の娘を養子に迎えるなんてことは!』
『ダニエル……』
『あら、どうしたのダニエル。大きな声を出して』
『は、母上……!』
『二人ともお仕事の話はひとまず置いて、先に昼食を頂いたらどうかしら?』
『マリアンヌ……そうだな。リーズもお腹を空かせているだろうし、まずは昼食にするとしようか』
『そうよ。あの子、最近すごくよく食べるから、今頃空腹で倒れてるかもしれないわ』
『はは、違いない』
そのあと伯爵と夫人の笑い声が聞こえてきたあたりで、俺は聴覚に集中していた意識を戻した。
……そんな大食いだと思われてんのか、俺。
「これからはちょっと控え目にしようかな……」
俺はお腹を押さえながら、食堂に向かって歩き出した。
◯
昼食を終えたあと。
「はぁ……疲れた……」
俺は自室に戻ってベットの上に倒れこんだ。
「ダニエル、露骨過ぎ……」
なにが露骨かというと、敵意である。
具体的に言えば敵意ある視線か。
ダニエルは昼食の最中ずっと、俺のことを憎しみすら込めたような目で睨みつけていた。
居間での会話の内容を聞いていたからある程度は覚悟していたが、まさかあそこまで嫌われているとは。
「これから一週間が憂鬱だなぁ……」
なんとダニエル、今日から一週間伯爵家に泊まるそうだ。
毎年この時期には実家に帰って家族と過ごすらしい。
もちろん領地にはちゃんと代官を置いているとのこと。
「やだなぁ……」
ベットの上でウダウダしていると、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「はーい、どうぞ」
「ミコト、大丈夫か?」
そう言いながら部屋の中に入ってきた伯爵は、右手の上に大皿を乗せていた。
大皿の中には大きな鳥の丸焼きが入っている。
「お父さん……大丈夫かって、どういうこと?」
そしてその鳥はなんだ?
メチャクチャうまそう。
「いやなに、ダニエルに睨まれていつもより食事が全然進んでなかったからな。お腹が空いて倒れているのではないかと」
「昼食後に空腹で倒れる……?」
それってなんて餓鬼……?
「なんだ、空腹で倒れているんじゃなかったのか?」
「倒れてないよ。食べた直後に空腹で倒れる人間なんて存在しないよ」
「じゃあこれはいらないか?」
「お父さん大好き! 私将来お父さんと結婚する!」
「はは、気持ち悪いことを言うな」
「ひどい」
仮にも娘に対してこの言い分である。
いや、俺自身も気持ち悪いと思うからまったく気にしてはいないが。
あ、もちろん鳥の丸焼きは頂きます。
「しかし、すまないな……」
「んん? なにが?」
鳥の丸焼きをムシャムシャと食らいながら聞き返す。
「ダニエルのことだ。まさかあそこまでミコトのことを嫌うとは……私のせいだ。すまない」
「ええと……そうなの?」
俺はすっとぼけた。
本当は居間での話を聞いていたからダニエルが俺を嫌っている理由は大体わかるのだが。
「ああ、そうだ。間違いない。すまない」
「いいよ、気にしてないから大丈夫」
「……理由を聞かないのか? なぜ私のせいなのか」
「うん。大体わかるから」
「そうか……」
俺は落ち込んでいる様子の伯爵の肩に手を乗せて言った。
「大丈夫。なるようになるよ」
「……ミコトは前向きだな」
「うん」
俺の人生、前世から現在に至るまで結構ハードモードだからな。
無理やりにでも前向きにならないとやってられない。
「はは、慰めにきたのに逆に慰められてしまった」
「私は鳥の丸焼きで十分慰められたよ」
「もう食べ終わったのか。……ほ、骨まで食べたのか。大丈夫か? 色々と」
「その『色々』の内訳が気になるけど、私は大丈夫だよ。もちろん頭も大丈夫」
「心配だな……」
「私の頭が?」
「いや、ミコトの将来が心配なんだ。他人の前で骨を食べたらダメだぞ? 嫁の貰い手がなくなる」
「食べないよ。ちょっと油断しちゃってただけ」
「油断してたら骨まで食べるのか……」
もうそれはほっといてくれ。
どっちにしろ誰かの嫁になるつもりはないから大丈夫だ。
そのあとはしばらく他愛のない話でお茶を濁し、シリアスな空気を回避した。
「では、またな」
「うん、またね」
そして伯爵は部屋から出て行った。
それから数分後。
再びドアはノックされた。