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第百七話「ダニエル」

 伯爵家に泊まり始めてどれぐらいの月日が経っただろうか。

 もう一ヶ月以上は経っているだろうが、まだ二ヶ月は経っていないだろう。


 俺は最近カレンダーをまったく見ていなかった。

 この日々に終わりが来るなんてことは考えたくもなかった。


 昔の俺と比べたら随分と女々しくなったものである。

 以前ふと『精神が肉体に引っ張られている』なんてことを考えたが、本当にそうなのかもしれない。

 少女として、伯爵夫婦の娘として振る舞っているうちに、無意識下で自分自身もそれが本当だと、真実だと思うようになっているのだ。


 ……いや、これは言い訳だな。

 どんな理由をつけたところで、他ならぬ俺自身がわかっている。


 俺は伯爵夫婦に、自分が得られなかった父親と母親を投影しているのだ。

 簡単な話だ。


 そして……救い難い話だ。




 ◯




 伯爵家で日々を過ごす、そんなある日。


 昼前に俺が庭園で草むしりをしていたら、敷地内に入る門を開けて立派な馬に乗ったひとりの男が現れた。


「おい、そこの女」

「はい?」


 手を止めて男を見上げる。

 そこではダークブラウンの髪をオールバックにしたメガネのイケメン貴族が、その鋭い眼光を俺に向け睨みつけていた。


「お前、見かけない顔だな。新人か?」

「え? ……ええと」


 この場合、俺はなんて答えればいいのだろうか。

 使用人でもなければ、客人でもない。

 ましてやこの家の娘と名乗るわけにもいかない。


「……そうか、妹の代わりか」


 ああ、なんだ。

 事情を知ってるのか。


 まあそうだよな。

 髪の色、髪型、顔の造形から推測するに、コイツは例の今年で二十二歳になるという伯爵の息子だ。

 知らないわけないか。

 なら話は早い。


「お初にお目にかかります。私はミコト・イグナート・フィエ」

「自己紹介などいい」


 メガネ貴族野郎はそう言って俺の名乗りを遮った。


「どうせ僕がお前の名前を覚える頃には、お前は消えてる。そうだな、三日と持たないだろう」

「…………」


 どう反応すればいいんだ、これ。


「その子は今までの子とは違うぞ、ダニエル」

「父上!」


 メガネ貴族野郎改め伯爵の息子ダニエルは、伯爵を目にすると馬から下りて礼をした。


「ただいま帰りました、父上。……して、今までの子とは違う、とは?」

「その子、ミコトはもう一ヶ月以上、我が家にいる」

「……は?」

「一ヶ月以上、我が家に泊まり込みで生活しているのだ。もちろん、マリアンヌとは仲良くやっている」

「泊まり込みで? そんな……」

「信じられないか? しかし本当だ。ダニエル」

「はい」

「来い。二人で話がしたい」


 ダニエルを手招きして歩き出した伯爵は、ふと俺に視線を合わせて言った。


「すまんな、ミコト。キミに息子が来ることをすっかり言い忘れていた」

「大丈夫ですよ、伯爵。私のことはお気になさらずに」

「うっ……やはり、久々に聞くミコトの敬語は気持ちが悪いな」

「ふふ、それは言わない約束でしょ、お父さん。剣術の稽古で本気出しちゃうよ?」

「はは、それは困るな。命がいくつあっても足りない。では料理長にデザートを奮発してもらって機嫌を取るとしよう。確か果実は苺と林檎があったはずだが……」

「苺がいいな」

「わかった。伝えておこう。ではまたな」

「うん、またね」


 笑顔で手を振って伯爵とダニエルを見送る。

 ちなみにダニエルは通り過ぎる時、『誰だお前』って顔で俺のことを見ていた。


 ……うん、まあ、うん、いや、ほら、うん。

 俺……今リーズだから……。


 気持ち悪いとか言わないで?

 俺が一番そう思ってるから。


「あら、リーズ?」

「あ、お母さん」


 俺が自分を客観視して若干気落ちしていると、夫人がこちらに向かって歩いてきた。


「アナタ、また草むしりしてるの? 偉いわねぇ、リーズは……でも、わざわざアナタがそんなことする必要ないのよ? 使用人にやらせればいいじゃない」

「いーのいーの、私がやりたいの。刺繍もそうだけど、手伝ってもらうより自分で一から全部やった方がやっぱり達成感があるから」

「リーズ……成長したわねぇ、アナタ……でもガーデニングを全部ひとりでやるのは大変よ?」

「大丈夫だよ、私体力あるし。どうしてもダメそうだったら誰かにお手伝い頼むから」


 まあそのお手伝いをする人員なんてものはどこにも存在しないんだけどな。

 俺は知っているのだ。

 というか伯爵と執事が話してるのを(はか)らずとも聞いてしまったのだ。


 このシルヴェストル伯爵家は最近領地経営が苦しくて、屋敷内で雇う人員を大幅に削減していることを。

 だから屋敷内で働く使用人たちは皆非常に無駄のない仕事をしており、庭の手入れに手を出す余裕なんてどこにもないことを。


 ……いや、まあ、そんな風に領地経営が苦しくても俺に対する報酬を出したり、悠々自適な生活を送れるあたりさすが豊かな領地を持つ地方伯爵家というところではあるのだが。


 王都に居を構える中央貴族だったらまず無理な采配である。

 セーラなんかいつも『予算が……予算が……』って言ってたもんな。

 アイツは一応宮廷魔術師って肩書きもあったからまたちょっと別枠かもしれないが。


「そう? 無理はしないでね、リーズ。アナタになにかあったら、私きっとショックで倒れちゃうわ」

「あはは、大丈夫だよ。タフだから私。でも気をつけるね」


 いやホントに。

 夫人の場合マジで倒れかねないからな。




 ◯




 夫人と話したあと、俺は一度風呂に入ってから自室に戻り、風魔法で髪を乾かしていた。

 なんとこの世界、ドライヤーに該当する道具がないのである。

 だから普通、髪はタオルで拭いたら自然乾燥だ。


 帝国は銃とか車とかの開発より先にドライヤーを作った方がいいと思う。

 ……いや、俺がベックマンにアイディア提供すればいいのか。

 今度暇な時にアイディアをまとめて提供しに行こう。


 そんなことを考えながら髪を乾かしていると、ふと俺の超人的な聴覚が気になる声を拾ってきた。


 この声は……伯爵とダニエルだな。

 どうやら二人が居間で話している最中のようだ。


 俺は意識を集中して会話の内容に聞き入った。










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