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第百三話「過去の世界」

「二人とも……なにを話していたのかしら?」

「なに、他愛のない話だ。そんなことよりマリアンヌ、体調は大丈夫なのか?」

「ただの貧血よ。大丈夫に決まっているじゃないの。それなのに皆、私のことを病人のように扱って……私の行く道を阻もうとまでする始末。いつから使用人はそんなに偉くなったのかしら。ねぇ?」


 背後に立つ執事へ向かって首をかしげるように聞く夫人。


「め……滅相もございません。ワタシはただ……」

「言い訳はいいから、さっさと私の分のイスと紅茶を用意してくれる? 私はいつまでここに立っていればいいのかしら?」

「はっ……はい! 只今!」


 慌ててイスを用意し、紅茶の用意をし始める執事。


「ハァ……まったく、トリストも歳かしらね。昔より随分と気が利かなくなったわ」

「……マリアンヌ。彼はトリストではないよ。トリストは三年前にこの家を去った」

「あら……言われてみればトリストより大分若いわね。……いえ、ちょっと待って。今思い出したわ。ええと、そう、スチュワード。確かスチュワードだったわね? 彼の名前は」

「スチュワードは一年前に退職したよ」

「あら、そうだったかしら? 最近時間が経つのが早く感じるわ……普段リーズが家にいないからかしらね?」


 微笑みながら俺の方を見る夫人。


「あ……ええと……」

「リーズは大学で忙しいからな。そうだろう、リーズ?」

「え、ええ、はくしゃ……お父さん」


 危うく伯爵と言いかけた俺を夫人が訝しげな顔で見つめる。


「リーズ、アナタ……」

「な、なに?」

「いつの間に随分と、髪が伸びたわねぇ……」


 夫人はイスをこちらに寄せて、おもむろに俺の髪を触りだした。


「そ、そうかな?」

「そうよ。それにしても、綺麗ねぇ……アナタの髪は私にそっくりだわ」

「え……?」

「透き通るような淡い金髪……ふふ、昔を思い出すわ。そういえば小さい頃はアナタ、ずっと髪を長くしてたものね。大きくなるにつれて、いつの間にか短くし始めたけど」

「…………」


 透き通るような淡い金髪、か。

 もちろん俺の髪は黒く、金髪ではない。

 夫人の金髪とは似ても似つかない。

 だが夫人にはこの黒い長髪が金髪に見えているのだろう。

 彼女の目には自分にとって都合のいい、過去の世界が見えているのだ。


「私が『長い方が似合うわよ』って言ったの、覚えていてくれたのね」

「……うん、そうだよ」

「嬉しいわリーズ。私、本当に嬉しいわ。この前アナタとケンカ別れしちゃったじゃない? 私、あれからずっとそれが心残りで……でも、またアナタが戻ってきてくれて私、本当に嬉しいわ。ねぇリーズ。これからはずっとここに居れるんでしょう?」

「え? ……ええ、と」


 チラリ、と伯爵の方を見る。

 この場合はどうすればのだろう。

 本番ぶっつけすぎてどう対応したらいいのかわからん。

 だが露骨に視線を泳がせていたら、伯爵がちゃんとフォローしてくれた。


「マリアンヌ。リーズは大学があると言っただろう。明日も朝早いんだ。夕方には戻らなくてはならない」

「大学……そう、そうだったわね、リーズは大学生だったわね……」

「大学は大事だろう?」

「ええ、そうね……大学は……大事ね……」


 テーブルに視線を落としながら、ブツブツと呟く夫人。

 その目は虚ろであり、顔はさっきまで楽しげに話していたのがウソのような無表情になっていた。


「……大丈夫? お母さん」

「え、ええ……大丈夫よ。リーズは本当に優しいわね」


 そう言って俺の方を向いた夫人の目が、瞬時にして大きく見開かれた。


「リーズ、アナタ、その服……」

「え?」

「素足をこんなに出して……よく見たらアナタ、なんて格好をしているの!?」

「あ……」


 俺の今の服装は太ももまでが大きくひらけているショートパンツとTシャツにベストという、超軽装だ。

 身軽さが求められる冒険者としては別に珍しくもない普通の服装ではあるが、貴族令嬢としてはマズかったか。


「……そういえばさっき、冒険者ギルドに行ったって言ってたわね。じゃあこの服は……」

「ち、違うよお母さん。この服はただの普段着で」

「アナタ、私に嘘をつくの!?」

「え……」

「皆……皆、私に嘘をつく……トリストも……ルドルフも……リーズまで…………リーズ?」


 イスから立ち上がり虚ろな目でブツブツと呟き始めた夫人が、俺を見て怯えたようにあとずさる。


「あ……アナタ……誰……?」

「お、お母さん……?」

「い、いやぁ! 近寄らないで!?」


 夫人は机の上にあったティーカップを中身の紅茶ごと俺に向かって投げつけた。

 俺はそれを反射的に受け取り、ティーカップを使って空中に舞った紅茶の液体を超高速で掬い集めた。


「ひ、ひぃ!?」

「あ……」


 夫人がますます怯えた顔であとずさる。

 やっちまった。

 目の前で明らかに人間離れした動きを見せてしまった。


「る、ルドルフ! ルドルフ! 助けてルドルフ!」

「どうしたんだマリアンヌ?」

「いつの間にか部屋に知らない子供がいるわ!」


 抱きついてきた夫人に対して、伯爵は張り付いたような笑顔で答えた。


「なにを言ってるんだマリアンヌ。知らない子供なんてここにはいないよ」

「いるじゃないの! そこに! 黒髪の女の子が!」

「気のせいだよマリアンヌ。黒髪の女の子なんていない。そこにいるのはリーズじゃないか。キミに似た、金髪碧眼の可愛い女の子だよ」

「り、リーズ……?」

「ここしばらくは大学が午前授業だから、家に顔を見せに来てくれたんじゃないか。忘れたのか?」

「リーズ……」


 伯爵の胸にしがみつきながら、夫人は振り返るようにこちらへ視線を向けた。


「そう……そう、だったわね……」

「ああ。最近マリアンヌは忘れっぽいからな」

「そう……ね。私、最近忘れっぽいから……」

「そうだ。だが別に気にすることはない。しばらく休めば気分もよくなるさ。ジョエル」


 手を上げて中年の執事を呼びつける伯爵。


「はい、旦那様」

「マリアンヌを部屋に案内してくれないか。ちょっと気分が悪いようだ」

「かしこまりました。奥様、どうぞこちらへ」

「……いや」

「マリアンヌ……」

「私をひとりにしないで、ルドルフ。お願い……」

「…………わかったよ」


 伯爵は疲れたようにため息をつき、俺の方を向いて苦笑した。


「すまないね、リーズ。せっかく来てもらったのに」

「う、ううん……今のは私が悪いから」

「いや、リーズはなにも悪くないよ。だからよければなんだが、明日もまた来てくれないかな?」

「え……いい、のかな?」

「もちろん。今日はちょっとマリアンヌも体調が優れないようだか、明日にはきっと治っているだろうから」

「……うん、わかった。また十三時頃でいい?」

「ああ、それでいい。それでは今日のところはこれで……じゃあなリーズ、また明日」

「うん、じゃあまた明日。……お父さん、お母さん」


 俺はジョエルと呼ばれた執事に案内されながら、シルヴェストル伯爵家を後にした。










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