第百話「親友」
「…………」
「ミコト……?」
俺は無言でスフィにパジャマを着せてから、彼女のひたいに手を当てた。
「全部拭き終わりましたよ。熱、大丈夫ですか? 今さっき、なんか変なこと言ってましたけど」
「変なことって……」
「ふふ、私が動揺するとでも思ったのでしょうが、その手には掛かりませんよ。心頭滅却してると言ったでしょう? 伊達に修羅場を潜り抜けてきたわけではないのですよ。数々の死地を乗り越えてきた今の私はもはや一流の戦士。たかが小娘の甘言ひとつで心乱されるわけがありません。明鏡止水、晴雲秋月、我が心に一点の曇りなし……!」
「普通に動揺してるように見えるけど……」
「気のせいです」
いやホントに。
「別にわたしは、熱に浮かされて変なことを言ってるってわけじゃなくって……ただ、ミコトがそれで喜ぶならって思って……」
「…………」
「わたし……ミコトに借りが結構あるし……借りは返さないと気がすまないっていうか……」
「スフィ」
俺はスフィのひたいにデコピンした。
「いたっ!?」
「そういうことは、借りとか、貸しとか、そんなくだらないことでするものじゃありません」
「なによ、急に真面目ぶって……ミコトって、婚前交渉とかダメってタイプ?」
「そういうわけじゃありませんが……って、そういう問題じゃないでしょう。話を逸らさないでください」
「あは……バレたか……」
そう言いながら舌を出すスフィのひたいには、いくつもの大粒の汗が浮かんでいた。
「スフィ……汗、ひどいですよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫よ……それにしても……アレよね……」
「はい?」
「ミコトの治癒魔法が……風邪にも効果があったら……いいのにね……」
……あ。
「あはは……でもそんな、風邪に効くような治癒魔法なんて……あるわけ……」
「……あります」
「……え?」
俺はスフィに手をかざして、その全身に満遍なく治癒魔法を掛け始めた。
「よくよく考えたら、私の治癒魔法は病気にも効くんでした」
「……へ?」
「知識としては知っていたのですが、実際に風邪や病気に使ったことがないのですっかり失念していました」
「……つまり、忘れてたってこと?」
「はい」
「………………わざと?」
「いえ、わざとじゃないです。ほら、朝の時点では精神的なショックが原因でこう、ベックマンさんの屋敷に行きたくないって言ってるのかなぁって思ってたので……ここに戻ってきたのもついさっきですし……ごめんなさい」
「いや、思い出してくれただけでわたしはありがたいし、看病までしてもらったから感謝の気持ちしかないんだけど……うわ、すごい、身体が軽くなってる」
ベットから起き上がり、肩を回すスフィ。
「熱も引いてるし……前から奇跡みたいな治癒魔法だと思ってたけど、風邪にすら効くなんて……ミコトって、冒険者なんてやらなくても治癒魔法師だけで一生食べていけるんじゃない?」
「かもしれませんね。ですが私は冒険者が好きですので」
やろうと思えば完全ソロで、ほぼ誰とも関わらずに生活できる点が非常に好ましい。
毎日同じことをするんじゃなくて依頼ごとに違う場所へ行き、違うことをするってのも新鮮でいい感じだ。
そしてなにより冒険者には男のロマンがあるからな。
元の姿に戻ったら傭兵ではなく、冒険者に鞍替えしようと思っているぐらいである。
「そっか。じゃあ、さ。これからも、わたしとパーティーを組んでくれる?」
「いえ、それはやめておきます」
「え……」
「あくまで今回スフィと組んだのは一時的なもの。これからも剣術を教えてもらいたいというのもありますし、今後一切会わないというわけではありませんが、それでもパーティーは組みません」
「え……え、なんで? なんでダメなの?」
「それは……」
「そりゃわたしはミコトより弱いし、迷惑ばっかり掛けてるけど、でも、それでも結構上手くやってたじゃない。取り分に不満があるならミコトの分を増やしていいし、今までよりわたし、もっと頑張るから……だから……」
「スフィ」
断られるとは思ってなかったのか、目元に涙を浮かべてこちらに迫るスフィ。
俺はそんなスフィを落ち着かせるように、その両肩に手を乗せた。
「最初から言ってるでしょう? 迷惑だなんて思ってません。取り分に不満があるわけでも、スフィに不満があるわけでもありません」
「だったら……」
「最初から決めてたことです。私は冒険者をソロでやる、と。短期でパーティーを組むことはあっても、長期に渡って組むことはしないと」
「……なぜ?」
「それは……」
それは、あくまでこの姿は仮であり、来たるべき時が来れば俺は元の姿に戻るつもりだからだ。
必ず別れるとわかっている相手と、これ以上行動を共にすることはできない。
情が移り、別れが惜しくなるからだ。
っていうか今もうすでに別れが惜しい。
もう一度『真実の指輪』を使わずに、当分このままの姿でスフィと冒険者をやってもいいかな、と少しだけ思えるぐらいに。
最初から割り切って必要以上には仲良くならないよう気をつけていた、面倒事フラグの塊である勇者メンバーでさえ別れる時は名残惜しかったほどだ。
別に厄介でもなんでもない、有能な先輩冒険者であるスフィとの別れが惜しくないわけがない。
「……秘密です」
だがそれをスフィに教えることはできない。
俺は今のスフィとの関係を崩したくないのだ。
たとえそれが、仮初めのものだとしても。
「……その秘密、いつかは……教えてもらえる?」
「そうですね……いつかは」
「ホントに?」
「ええ」
「突然姿を消したりしない?」
「……ええ」
「……そう」
スフィは目元の涙を腕で拭い、満面の笑顔で言った。
「わかったわ。じゃあ、いつかミコトのパートナーになれるよう、わたしも修業を積むとしますか!」
「……なぜ私なのですか?」
この一ヶ月多少スフィの手助けをしたことは確かだが、それでもそんな懐かれるようなことをした覚えはないのだが。
「わたしね、初めてなのよ。こんな風に気兼ねなく話せる友達って。まあわたし自身小さい頃から天才天才っておだてられて、調子に乗ってたっていうのもあるんだけど」
「そうなんですか。今は全然そんな感じはしませんが」
「そりゃあね。もう大人ですから」
スフィはそう言って胸を張った。
確かに彼女の発育には目を見張るものがある。
これでまだ十五歳だというのだから驚きだ。
「それにわたしってかなりの負けず嫌いだから、実力が近い人と組むとギスギスしちゃうのよ。かといって格下と組む気にはならないし。その点ミコトだったらあまりにも強すぎて差が隔絶してるからぜんぜん気にならないのよね。剣の腕は絶望的だけど」
「絶望的……」
俺は絶望した。
「そしてなによりわたし、ミコトのことが好きだから」
「好きって……どこがですか?」
「カワイイし、強いし、面白いし、優しいし、カッコいいし……」
「あ、ストップで」
「スゴく頼りになるのに心配になっちゃうぐらいお人好しで、押しに弱くて、そのくせ変なところで強情で、強引で、真面目で……」
「ストップですよストップ」
「普段は事なかれ主義なのに、やる時はやるところとか……情に厚いのかと思ったら、自分の都合で冷たく突き離すところ、とか」
「……スフィ」
「あとは、そうね……そうやってすぐに真っ赤になって照れたり、急に真顔になったりするところ、かな?」
「へ? ……あ」
「あは、ミコトってホントに素直よねー、からかい甲斐があるわー」
「くっ……このぉ!」
「あははっ!」
くすぐり合戦勃発。
「ど、どうですか……参りましたか……」
「はぁ……はぁ……ま、参ったわよ……」
ひと段落ついて。
「ふ……ふふ……」
「あは……あはは!」
ベットの上で二人天井を見上げ、俺たちはどちらからともなく笑い合った。
「……ねぇ、ミコト」
「……なんですか?」
ひとしきり笑い合ったあと、スフィは消え入りそうな声で呟いた。
「わたしたち……ずっと、友達よね?」
「なに言ってるんですか?」
「え……?」
俺は不安げな顔でこちらを見つめるスフィに向かって、してやったりという笑顔でこう言った。
「親友、ですよ。間違えないでください」