第九十九話「大変」
『ふむ、帝国による針式時計の独占販売か。あれも時代にそぐわぬ既得権益だからな。周辺国の反発も強いし、もうそろそろ頃合いだ。別に自由化するのは構わんぞ? そういうことならベックマン商会には先行製造、及び先行販売許可を与えよう。独占販売権は無理だがね』
「自分で言っといてなんだが、いいのか? そんな簡単に決めて」
『ああ。独占販売権を持ってる帝国時計協会辺りが騒ぐだろうが、なに、ルウェリン・ザ・ラストをけしかければ一発だ。あの男は正義執行が大好きだからな』
「そ、そうか……」
ルウェリン・ザ・ラストってそういう感じなのか。
今の姿ならともかく、悪名高い元の姿で会ったら面倒なことになりそうだな。
……絶対に関わらないようにしよう。
『あとは何かあるか?』
「そうだな……ついでに針式時計の製造方法や設計図とか、そういうのもベックマンに送れるか?」
『いいだろう。先行製造及び先行販売許可証と一緒に速達で送っておこう』
「ありがとよ」
『なに、気にするな。この程度のことでキミに貸しを作れるのなら安いものだ』
「いやいや、なに勝手に貸し扱いにしてんだよ。これは神器が俺の意に沿わなかったことに対する返しだろうが」
『フフ、わかっているよ。冗談だ』
「本当かよ……」
コイツの場合そのままシレッと貸しってことにしそうで怖い。
そんなこんなでジル・ニトラとの通話を終え、俺はベックマンが待つ部屋へと戻った。
「お待たせしました」
「お、おお……すまないミコト。キミに作ってもらった『水寝台』と『水長椅子』が、先ほど急に崩れてただの水へと変化してしまった。ワシの扱いが悪かったのだろうか……」
「あ……」
完全に忘れてた。『水寝台』と『水長椅子』は俺の意識の外に置かれると、魔法が解けてしまうのだ。
俺はびしょ濡れになった服を着替えてきたベックマンに不手際を謝り、ジル・ニトラと話した内容をかい摘んで話した。
「は……? ジル・ニトラ様から直々に針式時計の製造、販売許可を……?」
「はい」
「調停の魔術師、生きた伝説、帝国の頭脳と呼ばれる……あの、ジル・ニトラ様から直接許可を?」
「そうです」
目を丸くして聞いてくるベックマンに対して返答する。
ちょっと話が突拍子も無さすぎたか。
俺がそう思った瞬間、いきなり勢いよくドアを開けてひとりの商人らしき男が部屋の中に入ってきた。
「会長!」
「どうした。来客中だぞ」
「し、失礼しました。ギルド本部経由で、帝国のジル・ニトラ様から会長に速達が!」
「な、なにぃ!?」
男が手に持つ大き目の茶封筒を奪い取るようにして受け取るベックマン。
「こ、この紋章は確かにジル・ニトラ様の……」
「そういえば速達で送るって言ってましたけど」
もう届いたのか。
随分と早いな。
「これは……なんてことだ……!」
「会長!?」
「今すぐ本社へ幹部を全員集めろ! いいか! 今すぐ! 全員だ!」
「りょ、了解しましたぁ!」
茶封筒の中身を見たベックマンは血相を変えて男に指示を飛ばし、ハッと気づいたように俺の方を向いて言った。
「し、失礼……」
「いえ。それでは、お忙しいようなので今日のところはこれで」
「お、お待ちください!」
「はい?」
「大陸を支配する帝国の頭脳を即座に動かすなんて……あ、貴方様はいったい……?」
「……ええと、しがない一冒険者?」
「…………」
ベックマンはなんとも言えない顔で固まっていた。
ううむ、色々と追求されても面倒だな。
もう義理は果たしたし、ここは問答無用で帰っちまうか。
「細かいことは気にしないでください。あ、スフィにはまた後日謝罪に行かせますので。それでは」
「え……いや、あの子は……」
俺はベックマンの言葉を最後まで聞くことなく、そそくさと彼の屋敷を後にした。
◯
そしてお昼。
俺がいつも泊まっているホテルの自室にて。
「……という感じでした」
「そう、なの……」
俺はベットの上に腰掛ける、息もたえだえなスフィにコンソメ卵スープ的なものを飲ませながら、ベックマンの屋敷でのことを話していた。
「ごめんねミコト……なにからなにまで……」
「いいですよ。私とスフィの仲じゃないですか」
昨日の勘違い騒動を終えて帰ってから。
ベックマンとマリィのバカップルぶりにショックを受けたのか、朝起きたスフィは熱を出して寝込んでいた。
とはいえ朝の時点では大した熱じゃなかったので精神的なものかな、と思っていたのだが……戻ってきたら熱が上がってたので、こうして本格的に看病しているというわけだ。
本人いわく風邪らしいので、寝てれば治るとのこと。
「それに何度も言ってますが、スフィからは色々ともらってるものも多いですからね」
いや、ホントに。
水属性もコピーさせてもらったし、剣術指南、冒険者としてのノウハウも教えてもらってるからな。
俺が損してることはなにもないのだ。
「でも……」
「もう、水くさいですよスフィ。病人が看病されるのは当然のことです。……まあでも、これを借りだと思ってくれるなら、これからも剣術指南をしてもらえたら嬉しいですね。今はまだまだ身についてるとは言い難いので」
「それぐらいなら……もちろん、いくらでも……」
「それはよかったです。身体能力とアニマを抑え、純粋な剣技だけでスフィに勝てるようになるのが私の目標ですから」
「それは……」
「わかってますよ。十年早いって言うんでしょう?」
「ううん、百年ぐらい……」
「まさかの三桁!?」
自己評価と他者評価の差異は予想以上に大きかった。
「……で足りればいいけど」
「よもやここで追い討ちがくるとは!?」
「ウソよ……冗談……ミコトは目がいいから、すぐわたしなんて追い抜くわよ……」
「そうですか……」
目がいいからって、それも身体能力っぽいんだが……まあすべてを制限できるわけもなし、贅沢は言うまい。
「それにしても……暑いわね……」
「ダメですよ、暑くてもタオルケットぐらいは掛けておかなくちゃ。いくら普通の風邪とはいえ、冷やしたら大病に繋がりますから」
「でも体が汗でベタベタして……昨日の夜はお風呂入れなかったし……」
「あー……まあ、そうですね」
スフィは昨日この部屋に泊まったのだが、夜も遅かったのでそのまま倒れるように眠ってしまったのだ。
朝に一応、スフィ自前のピンク色パジャマ(ウサギ柄)に着替えさせることはしたが、風呂に入ってはいないからな。
汗でベタベタするのも当然だろう。
「……よかったら身体、拭きましょうか?」
「そんな……迷惑じゃない……?」
「いえ、迷惑ではありません。断じて」
「断じて……なんだ……」
「ええ」
「じゃあ……お願い……」
「わかりました」
俺はすっくと立ち上がり、風呂場へ行って熱いお湯に浸したタオルを絞ってスフィの横たわるベットの前へと戻ってきた。
「お待たせしました」
そして俺は極めて丁寧に、だがしかし事務的に、スフィの身体を拭いていく。
「ミコトってさ……」
「はい」
「確か……男より女の方が好きなんだっけ……」
「そうです」
「じゃあ……その……女の裸とかで……興奮したりするの……?」
「しますね」
「……その割には、普通に見えるけど」
「そうですね、心頭滅却してますから」
「シントウメッキャク……?」
「心を無にしているという意味です」
とはいえ、これは自分が女の身体だからギリギリできることであって、男の身体だったら心を無になんてまったくできる気はしないけどな。
「そうなんだ……大変だね……」
「いえ、そうでもないですよ」
内臓を失った状態で激しく動いたり、胴体を横真っ二つに斬られたりするのと比べたらまったくもって大変じゃない。
「そんな我慢しなくても……いいよ……?」
「なにを言ってるんですか。我慢しなかったら大変なことになりますよ」
「だから……いいよ……別に……」
スフィは身体を拭く俺を見上げ、
「大変な……ことになっても……」
やけに艶かしい表情で、そう言った。