第九話「魔女」
目が覚めて一番最初に見たものは、凄まじい勢いで吹っ飛んでいく無数の魔物だった。
(なんだ!? なにがどうなって……)
謎の事態に混乱していると、それに追い打ちをかけるように足元の地面が崩れ落ちた。
「おぉおおぉ!?」
落ちてる落ちてる!
そう思ったのも束の間、俺はガラスの割れるような音と共に地面へと激突した。
(あぁ、アニマ無しでこれは……きっと死ぬな……ん?)
今に激痛が身体を襲うだろうと覚悟を決めていたのだが、全然痛みがこない。
試しに起き上がってみたら、身体を覆う『硬化』のアニマが復活していた。
(どういうことだ?)
俺はとりあえず立ち上がり、自分の落ちた場所を見渡した。
(ここは、魔物の産卵場所か)
辺りは薄暗く、地面には魔物の卵らしきものがビッシリと敷き詰められている。
「凄い数だな……っと」
足元でパキパキと何かが割れる音がした。
そういえばここに落ちて来た時もこんな感じの音がしていたな。
一体俺は何を踏んでいるんだ?
ふと気になり足元を見ると、そこには紫色の水晶のような物体が無数の小さな破片となって散らばっていた。
……なんだこれ。
「やっぱり、壊れちゃったのね」
見慣れない物体の正体が何か考えていると、突然上の方から声がした。
「これはアナタがやったのかしら?」
見上げると、そこには黒いとんがり帽子にローブ、マントを身に付けた金髪碧眼の美女が宙に浮いていた。
魔女だ。
改めて聞かなくてもわかるぐらいに魔女だ。
むしろこれで魔女じゃなかったら詐欺である。
……まぁそれは良いとして。
俺は足元の割れた紫水晶を指差した。
「これって……これ?」
「えぇ、それよ」
「…………多分、俺……」
というか状況的に間違いなく俺だろう。
なるほど、ここに落ちてきた時の音はこれが割れる音だったのか。
そうとなればまずは謝罪しなければ。
「ごめんなさい」
「フフフ、別に謝らなくても良いわよ。そうね、でもそういうことなら、対価を貰おうかしら」
「対価?」
あいにくと金は持っていないのだが……。
そう言おうとした俺の前に上空からフワフワと降りてくる魔女。
「あら、お金ならいらないわよ?」
まるで俺の心を読んだかのように魔女は微笑みながら言った。
「それよりもっと素敵なモノがあるじゃない」
「え?」
魔女の碧眼が血のように鮮やかな赤色へと変化し、妖しく光る。
「ほら……ここに、ね」
そして魔女はゆっくりと俺の胸辺りに手を伸ばし――。
「あら?」
魔女の手は俺のアニマに触れた瞬間、淡い光となってかき消えた。
(……え?)
俺は突然の出来事に目を疑った。
「これは……この波長、もしかして」
魔女はそう呟いたあと、肘から先が無くなった右手を自らの頭上に掲げた。すると魔女の身体を虹色の光が包み込み、無くなったはずの右手が元通りになっていく。
それを呆然と眺めていた俺の胸に、魔女は再び右手を伸ばした。
「うおぉ!?」
俺は思わず声を上げた。今度は先程と違って魔女の右手が消えず、それどころかまるで何の障害も無いように俺の胸の中へと入ってきたのだ。触れられているという感覚もない。まるで実体が無いかのようだ。
「フフフ、やっぱり。戻って来ていたのね。小さすぎて気がつかなかったわ」
そう言って魔女は俺の胸から右手を引き抜くと、もう用は済んだというようにフワフワと上空へ浮き始めた。魔女の右手が入っていた部分は特に何も変わっていなかった。元のままである。
(どうなってんだこれ……っていうかこの魔女はいったい何者なんだ)
いきなり身体に手を突っ込んでくるとか、危ない人すぎる。
「そんなに警戒しなくても、もう何もしないわよ、イグナート」
宙に浮き、こちらを見下ろしながら言う魔女。
「……おまえ、誰だ?」
「アタシはヴィネラ。魔女よ」
「なにが目的だ? なんで俺の名を知ってる?」
「フフフ、それをアナタに言う必要は無いわね」
ヴィネラはそう言うと、宙に浮きながら背伸びをした。
「んー……図らずもこの地で見つけるなんて、フフ……当分、退屈しないで済みそうだわ」
「あ……ちょ、ちょっと待て!」
ヴィネラの身体が徐々に薄れ、半透明になっていく。
「バイバイ、イグナート。そのうちまた会いましょう」
そう言い終わったところでヴィネラの姿は完全に消えた。
「……なんだったんだ一体」
結局、ヴィネラの正体はまったくわからなかった。
ヴィネラがいなくなったあと、俺は無数にある魔物の卵を潰してまわった。
これであとは巣の上に戻って残りの魔物を片付ければ任務完了というところだろう。
そう意気込んで巣の上に戻ったら、なぜか魔物は一匹もいなかった。
どういうことかと魔物の死骸を辿りながら森方面へ戻って行くと、剣を杖代わりにしながら歩く満身創痍なリーダーを発見。
リーダーは俺の帰りが遅いので助けに来てくれたみたいだが、ケガのひとつもなく(左手の傷もいつのまにか消えていた)ピンピンしている俺を見た瞬間、「ハハ……キミってヤツは、本当に……」と言いながら地面にぶっ倒れてしまった。
リーダーを担いで孤児院へと戻った時、辺りはすっかり暗くなっていた。