17
写本、と居合わせた何人かが息を飲んだ。
禁止魔法恒星落陽の方法が示された禁書の写本。この世界のあらゆる魔術に関して記述されている本の欠片。
宝石のような形状を取っているのはそれだけ知識の量が多いからだ。最小限で記したとしても数十冊程度では収まらない量の知識。そして魔力。
魔法を少しでも志した事のある人ならばこの知識は喉から手が出るほど欲しいものだし、また、その恐ろしさも理解できる。
ライラは表情を強ばらせた。
「本物ですかね、姫さん」
おそらく、とライラは頷く。
写本を手にしたのはこれが初めてではない。写本は手に取ってみるまでどんな形をしているか解らないけれど、手に触れて覚えるこの感覚は以前手にした別の写本と同じ感覚。この世にあってはならないもの。
そのくせ、魔法使いとしてその知識が欲しくなる。
激しい誘惑があった。
それ以上に、悲しい事実。
(でも、燃やさなければ)
地下で出会った少女はユクを助けて欲しいと言った。その少女が、王であるサイディスに対してはユクの写本を燃やして欲しいと頼んだ。
それは多分。
「……どうした、ライラ?」
写本を手にしたまま止まっていたライラにイディーが声を掛ける。
「月迦鳥は最後の卵を産み落とす時その辺りで一番古い樹に卵を産む習性があるのよね」
「うん? ああ、そう言う話だったな」
不意に言われてイディーは戸惑いながらも頷いた。
「でも、私たちが見てきたあの樹はとてもこの辺りで一番古いように見えなかったわ」
「確かに。だが、例外もあるだろう」
「リオリードさんは朽ちる直前の霊木と言ったわ。その言葉を信じるなら、あの樹はとても古い樹と言うことになる。でも幼い樹のようにも見える。と言うことはつまり」
「……根が繋がっているのか」
ライラは頷く。
「そう、そしてこの国でもっとも古いと言われているのはユクの大木」
彼は少し考え込む。
「根が繋がっていると言うには少々距離がある気がするが」
「そう、だからつまり……これは仮説なのだけど、王都のあちこちにあるユクの樹は一つの樹」
驚いたようにユリウスが瞬いた。
「それって、王都全てがユクの樹と言うことになりませんか?」
仮説が正しければ、とライラは頷く。
一本の大きな木が枝分かれするように、ユクは次々と根を成長させ種を落とす代わりに同じ根から新たな樹を作り出した。そして広がり王都全部を守るように根を張り巡らせ、今や王都の外にまで成長している。
今まで、創始の時代からユクの樹が存在するという考えにはライラ自身否定的だった。それだけ長い時間朽ちることなく成長を続けられる樹などないからだ。だが、もし王が力を注ぎ入れることで、本来ならば朽ちて滅びる為の時期を延ばし驚異的な生命力で成長を続けた。
それでも既に限界が近づいているというのが月迦鳥の出した答え。
古く朽ちそうになっている霊木を助ける道。
「写本は……私が今まで見てきた写本は全て生命に寄生して存在していたわ。だから多分これも、そう」
最初は誰もその真意が分からない様子だった。
いち早く気付いたのはクウルだった。口元を押さえた彼を見てコルダとサイディスが気付く。蒼白になったサイディスを見て、ユリウスもまたようやく気付いたと言う風にライラを見る。
この国におけるユクの重要さを正確に理解していないジンだけが不思議そうにしていた。
「それじゃあそれはユクの種ですか」
「恐らくは」
「……問題があるのか?」
ジンの問いに答えたのはクウルだった。
「エテルナードがね沈まないとか言われているのはこの樹に守られているからだって言われているんだ」
「ああ、それは知っているな。だが、あくまで伝承だろう?」
「少なくとも国民はそう思って居ないだろうな。王家の威光も半分はユクと教会が持っていると言っても過言じゃない」
サイディスの言葉にライラは頷く。
「そう、だから万一にもユクの樹が枯れることがあったら、王家自身の力が弱まるというよりも、国民が王を軽視する動きがあるかもしれない。そうなれば」
「今度の混乱よりも酷いことが起こる。それでももし種が存在し、王が発芽させることが出来たなら、それほど酷い事は起こらない……訳か。だが、写本と種が融合している」
うん、とライラが頷く。
「写本を燃やすのは絶対なんですか?」
「私個人としては出来る限りそうしたいわ。どちらにしても写本が存在することを知られればシュトリのような男が絶対に襲ってくる。魔法教会の方も恐らく黙っていない。混乱が起こる可能性の方が高いわ」
「分離させることはできねぇんですか?」
「………」
黙ってライラは首を振る。
無理に写本を引きはがそうとすればどちらも無事に済まない。写本に関してだけを言えば引きはがしてすぐに別の何かに寄生させればその形を保つことが出来るだろう。だが、寄生されている方は駄目だ。
人であっても植物であっても恐らく同じ。引きはがされた時点で朽ちるだろう。生きている知識書というのはそもそもそういうものなのだ。
ユリウスが怖々とした口調で聞く。
「種を発芽させるというのは……」
「止めた方が良いよ。多分ユクとは違うモノが発芽する。クーはね、鼻が利くから言えるけど、これは確かに何かの種だけど、もうユクじゃない何かになっていると思う。ラっちゃんの言うように燃やすのが一番じゃないかな」
「でも、それではこの国は守りの要を失うことになりかねない」
それはもっともな話だろう。
ユリウスが危惧しているのは先刻言ったことだけではない。実際にこれだけ長くユクの樹と共存してきた国が突然それを失うことになったら、実際に光の加護を受けられなくなるのではという危惧。
創始の時代からあったとされるエテルナード王国が沈むことになればそれが他の国に与える影響も計り知れない。この国だけでは恐らく済まないだろう。一国が沈めば世界が揺るぐ。どれだけの犠牲が出るのか解らなかった。
「……月迦鳥があの場で命を落としたと言うことは、樹が枯れるまで猶予があるのだろうな」
「そうね、少なくともすぐにどうこうならないと思うわ。もしもすぐに枯れたりするのなら、とっくに滅んでいると思うわ」
国王は目を閉じた。
ややあって、彼は重い口を開いた。
「……なら、燃やしてくれ」