16
すぐさま兵士達による撤去作業が始まった。
魔法で崩された床や内装を片付け、祭りまでにはせめて人が入れるくらいにしろというのがサイディス国王の命令だった。崩れた聖堂の中央に立ってステンドグラスからこぼれ落ちる光を浴びていたサイディスはただ深く目を閉じていた。
その様子は静かであったが、だからこそ、弟のユリウスすら声を掛けることを躊躇っていた。
それを分からない振りをしてライラは彼の背をたたいた。
「英断だったわ、イディー君」
「……王でなければ、殺してしまいたかった」
彼は目を閉じたまま微動だにせずに言った。
声が微かに震えている。
「こんな肩書き、邪魔なだけだな」
「でも、貴方がエテルナード国王よ。私がティナの十三であるのと同じように、貴方はエテルナードのサイディスなのよ」
「……ああ、そうだな」
「ただ、今は見てみない振りをする約束だから、貴方がどんな態度を取ったとしても誰も責めないわよ」
彼の瞳がライラを見る。
一瞬、青い瞳が涙を落とすのかと思った。しかし彼は笑って首を振る。
泣くという行為は無意味だと言いたげだった。
「君には感謝してもしつくせないな」
「特に何もしていないけれど」
「いや、君がいなければここまで立っていられなかった。……ありがとう、国王として、サイディスとして君に心からの礼を」
彼は髪を解いてライラの前で頭を下げた。
他の人間がすれば何でもない行為だったが、彼がしたという限定が付くと全く意味合いが違う。それはエテルナード国王にとって最上の敬意を表す行為。三大国の一つとはいえ王位を継いでいない者に対してするにはあって余りある行為だ。
彼女もそれにならって服の裾をつまんで頭を下げる。
「国王陛下に貴方の信じる神の祝福を」
不意にライラの脳裏に何か暖かいものが流れ込む。
燻っていた何かが姿を現し、燃えつくしたような映像。その灰の中から陽の光を浴びて何かが息吹くという感覚。
今までに無かった優しい印象。
揺れる精霊の光。
それが国を祝福する姿が彼女の脳裏を掠める。
「どうした?」
尋ねられてライラは微笑んで首を振る。
「何でもないわ」
「あの、ラティラス王女殿下」
ユリウスに呼びかけられライラは振り向いた。
優美に微笑んで口元に指を宛てる。
「公式訪問ではありませんから、今はただのライラと」
「ライラ様、私からも礼を」
ユリウスもまたライラに頭を下げる。
「兄を、助けて下さってありがとうございました。王弟としてでなく、王族としてでもなく、兄を救って下さったことに感謝します。………それと」
「それと?」
「以前お会いした時は申し訳ありませんでした」
何のことを言われているのか一瞬分からなかった。
だが、あの酒場での一件の事だったと解りライラは口元を押さえた。
「あの時のこと? 別に気にしなくても良いのに」
「いいえ、こういう事はきちんとしなければならないんです」
「ユリウスさんは真面目ね、誰かさんと大違いで」
「俺のことか」
すかさず言ったサイディスをユリウスが睨む。
「自覚症状があるようでしたら自粛して下さい。そもそもそんな言い方をされるとは、兄上殿下に何を仰ったんですか? 社交界では無い場所というのとお互いの立場を理解した上でおしゃったんですよね? 詳しく聞かせて頂けますか、兄上」
「ちょ、ちょっと待て、何故俺が悪いというのを前提で話をしているんだ」
「別に兄上が殿下を口説かれたとか、作法が解らず暴言を吐いたとか言っていませんが、心当たりがあるのでしたらそれも含めて謝罪した方がよろしいんじゃないですか」
詰め寄られて大きな体つきの男がたじろいだ。
「ま、ちょ……ユリィ! 今ここでそんなことを言う必要は無いだろう」
「いいえ、兄上。謝る時に謝っておかなければ後で謝れなくなりますよ」
「嫌俺は謝るようなことは……おい、そこの黒髪! 何を笑っているんだ!」
必至で笑いを堪えている様子のジンは口元を押さえたまま何も言えずただ首を横に振った。
「お前! 不敬罪だぞ!」
「罪に問うくらいなら敬われる行動を取って下さい!」
その言葉でたまらずジンが吹き出した。
つられたようにライラも口元を押さえた。
「ああ、お取り込み中申し訳ねぇですがね」
助け船だ、とでも言うようにイディーがそれに飛びつく。
「どうしたジュール卿」
「ちょっとお嬢ちゃんの知恵を借りてぇと思いましてね」
「知恵?」
ライラは首を傾げて彼を見る。
頷いてコルダは部下に軽く合図を送る。
頷いた部下が大切なものでも扱うように布に載せて持ってきたのは銀色の塊だった。純銀と言うよりは銀の結晶のようにもはや白に近い色をしている。
「瓦礫の中から発見されたものです」
コルダの言葉をライラは半分しか聞いていなかった。
吸い付けられるように銀色の塊を見ている。おそるおそると言った風にそれに手を伸ばし両手で包み込むように丁寧に持ち上げた。
ライラの内の魔力に反応するように銀が鈍い輝きを帯びた。
それだけで、その塊が魔力を帯びていることが確認できる。
だが確実にそれだけではなかった。
ぞわりと後ろの毛が逆立つのを感じた。非常に嫌な感覚。そのくせ手の上に置かれた塊はまるで初めからライラの手のひらに収まるためだけに作られたかのように吸い付き妙に馴染んでいる。
これはおそらくある程度魔力を持つ相手には同じような反応を示すのだろう。
ライラはそれが何であるのか、知っていた。
「……これが……ユクの写本」