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城内の警護をするのは初めてではない。
だから異常さにはすぐに気が付いた。
いくら総統の立場にある者が直々に選んだとしても、傭兵が単独で夜の城内を見回ることはない。まして、王の寝室に近いところならばなおのことだった。
ジンは渡り廊下から王の寝室の窓を見上げた。暗い夜空が見える。
そこに月の存在はなかった。
「新月か」
夜を恐れなくなったのはいつからだろうか。
昔は夜の闇が怖かった。
故郷の夜の闇は深い。果てしなく続く砂の大地に吸い込まれてしまいそうになる。それすらも今は恐ろしいとは思わないのだろう。夜の暗闇よりもずっと深いものを知っているからだ。魔剣を手にし、闇の本質を知る度に闇の恐ろしさを知っているから。
それに。
ジンは剣の鞘を撫でた。
指先に触れるのは碧玉の飾り玉だ。
今から一年ほど前、旅先で出会った少女から別れ際に貰ったものだった。まだ記憶に新しい事なのに、飾り玉に触れることが癖になってしまうほど前の事のようにも思える。
強さを求め、旅を続けてきたジンにとって彼女が今の目標なのだ。その目標を見失わない限り、闇から這い上がれる事を知っている。
彼女は魔力が尋常でないほど高く、魔法に関する知識も半端なものではないが、剣技や腕力では自分の方が遥に上だった。魔法を使わずに戦ったのなら彼女を組み敷く事は容易いだろう。だが彼女の強さはそれだけでは推し量れない何かがあったのだ。
おそらく、ジンが求め続けるものは彼女が持っている。
彼女を越えなければそれ以上先には行けない気がしていた。
今の自分は一年前に比べて強くなっただろうか。
再開したら少女に問いたい。
あの時よりも強くなったのかと。
不意に、ジンは足を止めた。
城内各所の門の前に付いている門番が壁にもたれ掛かって目を閉じている。昼も仕事があったのだろうか。門番にあるまじき行為だった。
微かに笑いを浮かべ、ジンは男の肩を揺すった。
「おい、起き……」
小声で呼びかけた時、男の首が不自然にのけぞる。一瞬、死んでいるのではないかと驚くほど力のない動きだった。
ジンは男の首筋に手を当てる。
脈はあった。
死んでいる訳ではない。眠っているのだ。しかも居眠りという浅い状況ではなく、もっと深い眠り。
「一体何が」
からん、と石畳に小さな針が落ちる。
ジンはそれを拾い上げた。
同時に激しい眠気がジンを襲った。
「っ!? くそ……俺も、か……」
魔法が発動する気配は感じなかった。
そうであればこれは何者かの手によって何らかの薬品を使われたと考えた方が正しい。首筋に触れると、先刻と同じ針が石畳の上に落ちて跳ねた。
気配に気付かなかった自分に悪態を付きたい気分になった。
「……くそっ」
ジンは鋭く舌打ちをして懐のナイフを自分の右手に突き立てる。
鋭い痛みと飛び散る血の匂いが僅かに彼の感覚を取り戻した。服をちぎって簡易的に止血を施すとジンは剣を僅かに引き抜き、意識を集中させる。
剣から伸びる触手がジンの左腕に軽く寄生した。
気配を探る。
城の中。
特殊な気配を漂わせる者。
すぐ近く?
ジンは反射的に剣を抜きはなった。
「のうわっっ!!」
その剣先をギリギリで避けた男は不思議な叫び声を上げた。
聞き覚えがあり、ジンは眉をひそめる。
「……クウル?」
「危ないな、気が立っているのは分かるけど、気を付けてよ? ……とと、大丈夫?」
よろめいたジンをクウルが支える。
ジンは平然としているクウルを睨み付ける。彼は薬を打ち込まれなかったのだろうか。
「……お前、何で?」
「あー、ともかくこれ飲んで。解毒剤になるから。アレは睡眠薬のようだから別に毒でもないけど」
「解毒剤? お前がやったのか? ……ん」
口に無理矢理薬を押し込まれジンは嫌そうに顔をしかめたが、抵抗出来ずに薬を飲み込んでしまった。
舌に残った感触で味を確かめる。
少なくとも毒ではない。
「違うぞー。俺、こんな器用なことできないもん。俺が平気なのはそもそも人間と身体の造りが違うからだよ。なんたって俺、竜族だから」
「……。それはともかく何が?」
「わかんない。何か危ない気がして取り敢えず王様だけでも守っておこうかと飛んできたんだけどー、王様は心配なさそう。部屋に結界が……あらら、言っている側から結界崩れたよ」
「のんきに言っている場合じゃないだろう!」
ジンは叫んで王の寝室に向かって走り出す。
次第に眠気が遠のき、思考が戻ってくる。
冷静になれ、と脳の何処かで囁く。
「クウル、ノウラ姫の所へ。安全確保してから合流してくれ」
「いーけどさ、ジンフィっちゃんはどうすんの?」
「陛下をお守りする」
「おっ、言ったね。じゃあ近道な」
「は?」
クウルはジンの腰の辺りを両手で掴むと城内とは逆方向に向かって走る。
「お前っ、何を!?」
「いっけーーーー! 人間大砲っ! 空の彼方まで!」
「!」
強い力だった。
まるで見えない力に引っ張り上げられていると錯覚するほどの強い力だった。‘投げられた’と気が付くのに少し時間が必要だった。
ジンの身体は空中を舞い加速の途中で魔力を帯びる。そのまま彼は王の寝室のある四階のバルコニーまで飛ばされた。
上体を大きく反らせてバランスを取りながら、ジンは広いテラスに上手く着地をする。
「……あ、あいつなんて言う無茶を」
魔法を使ったとはいえ人を四階の高さまで投げるというのはかなり無茶な行為だ。そもそも、魔法を使わずとも二階くらいの高さならば投げられそうな彼の腕力に異様なものを感じる。例え竜族であるのが本当だとしても、人の形になっている以上はあんな腕力があるとは考えにくい。
クウルという人物はジンの思っているよりも侮れない相手かもしれない。
だが、今はクウルのことを考えている場合ではなかった。
ジンは剣を一旦鞘に納めると、意識を集中させ一気に引き抜いた。
ひゅん、と風を切る音。
とたんに巨大な窓ガラスの一部が存在しなかったかのように吹き飛んだ。
「!」
人影が振り向いた。
子供か、女か。
小柄な影。
王のベッドの付近にいる。
死角になっているのか、王の姿が見つけられなかった。
ジンはゆっくりと剣を構えた。