13
「即位式、ね」
食料品と共にこっそり届けられたネバからの手紙を読んでライラは息を吐く。
ネバが宣言した通り、その部屋には誰も近づかなかった。元々教会の裏手側は最高位のネバが管理する畑があり、遠慮して人が近づくのはあまりないのだ。
もっとも、ネバが既に他の誰かに知らせていて、知りながら故意に無視されている可能性も完全には否定できないが、そんなことを言えばきりがないことをライラもサイディスも理解していた。
こういった自体を利用されるならば逆に利用をするか、突かれてもほころびが出ない程に完璧な計画を立てればいい。それだけの事だ。
「随分と早いようだけど、理由があるのかしら」
「大祭に王がいないとまずいからだろう。俺がユリィに代理を任せていれば問題はないが」
「それだけ?」
尋ねられてイディーは頷く。
「それだけだ。これだけ長く国が続きながら前例がない。継承問題で混乱しているような時でも必ず大祭には王あるいは代理になる人間が立った。これは王でも変えられない法に基づいている」
「理由は?」
「大祭では王がユクの大木に力を注ぐ儀式が行われる。やらなければ災いが起こると言われている。考えようによっては無用な混乱を長引かせない為に‘継承問題は早く解決しろ’と言っているようにも聞こえるが……」
ライラは頷く。
「本当に災いが起こる可能性も否定できない、と。……地下のお姫様に懇願されたし、これだけ長い間慣習として続いていること、笑い飛ばすことはできないわね」
ライラ達が地下水道で見た少女の亡霊は‘ユクを助けて’と言った。まるで木の養分になっているような少女が、最後の力を振り絞るかのように。
あの真剣な眼差しが脳裏に浮かぶ。
彼女を見ていなければ魔法を使うライラでさえ、只の伝承なのだと笑い飛ばしたかも知れない。王がユクに力を注ぐ儀式、その王に助けを求めてきた少女。どうにも重なってしまうのだ。
「……写本」
「え?」
突然呟かれた男の声に驚いてライラは彼の方に顔を向ける。
「ライラ、君は確か本を探していると言ったね? それはユクの写本のことなのか?」
「……知っているの?」
探るように彼を見ると彼は頭を振った。
「在処は知らない。だが、あの少女に前に出くわしたときに言われた。‘ユクの写本を燃やして’と。言葉は上手く聞き取れなかったが、今考えるとそう聞こえる気がする。……その写本とは何なんだ?」
追及するような瞳を見返してライラは笑む。
「魔導書よ。とある禁書を写し取ったから写本と呼ばれているの。もっとも、細かく砕かれてしまったせいで世界各国に散らばっているのだけどね」
「それを何故探しているんだ?」
「敢えて言うなら燃やさなければ厄介な事になるから燃やしてしまいたいと言うところかしら」
「嘘だな」
ライラは目を瞬かせる。
そんな風に言われるのは心外だった。
「嘘?」
「正確に言えば重要な所を話していないと言うところか。君は本音を隠している時、可愛い癖が出るのを知っているのか?」
言われてライラはたまらず吹き出す。
鎌をかけるにしてもいちいち口説かなければいられないのは彼の性質だろうか。
ここまで徹底していると呆れを通り越して可笑しくなる。
「駄目よ、そんな事じゃ引っかからない」
「引っかけるとは人聞きの悪い」
「同じような手、小さいときに使ったことあるわ。……本当に貴方、人を信用しないのね」
「何?」
「冷めた目をしているの、気付いている? 状況的に仕方が無いのかも知れないけれど、それじゃあ成功するものも失敗してしまうわよ」
彼は肩を竦めた。
「手厳しいな。だが隣に並ぶ美女に隠し事をされている俺の身にもなってみろ。疑心暗鬼になるぞ。まぁ、女は少々神秘的な方が魅力的とは思うが」
「話せないのは後ろめたいことがあるからじゃあ……ごめんなさい、やっぱり後ろめたいことあるわ」
考えている途中で思い至ってライラは首を振った。
くすりとイディーが笑いを漏らす。
どこか駆け引きを楽しんでいるようにも見えた。
「どっちだ?」
「貴方に対してはない。魔法教会の上層部に対してはある。……実は写本を燃やすことに関してまだ議論の途中なのよ。だから本当はこんなおおっぴらに動くわけにはいかない。だからこっそり貴方と会うつもりだった」
「だが君はイクトーラで写本を燃やしているのではないのか?」
うん、とライラは頷く。
彼が知っていることは疑問に思わなかった。恐らく彼の弟経由でマヤ達が話したことを聞いているのだろう。
「それはいけない事ではないのか?」
「たまたま事故で燃えてしまった、という扱いになっているわ。本当はそんな簡単に燃えるものでもないのだけど、私があの場にいたことは兄様……ティナの二王子ヴィーティスに介入してもらって……ええっと‘揉み消して’もらったわ」
「堂々と言えることか?」
言えないわ、とライラはくすくすと笑う。
問いかけた方も笑っている。
不意にライラは表情を硬くした。
「今回の国王暗殺の一件、あるいはその写本を狙っている人が関わっているのかも知れない」
「シュトリという男の話か?」
「聞いているなら話は早いわ」
シュトリは国を混乱させる男だ。何故そんな行動をとるのか知らないが、彼は周りに囁きかけることで国を混乱させる。自分で直接手を出すことはないが、兵士達に紛れ込んでいれば上の命令で人を殺すことだってある。けれど、消して自分から手を出したりしない。そうして無用に混乱させる。
今回のサイディスが狙われたのもその囁きがあったからなのかもしれない。
あるいは、ライラの力を暴走させるために。
ライラには男が世界を破壊しようとしているように見えた。そのもっとも手っ取り早い手段が写本を使い誰かに‘恒星落陽’を引き起こさせること。だから写本を欲しているのではないだろうかと。
「彼が関わっているなら少し厄介かも知れない。この混乱を機に全てを終わらせてしまいましょう」
「ああ、そうだな。俺もそのつもりだ。まずは少し体力を付ける必要があるかも知れないな」
イタズラっぽく笑って、彼はネバが運んできたかごを持ち上げる。
中にはパンやジャムの瓶が入っている。
王に食べさせるには随分と質素だったが、ネバなりの気遣いだろう、栄養価の高いものが入っていた。
ジャムの瓶を手にとってライラは頷いた。
瓶の中は赤いジャムが入っている。甘ったるい匂いの中に、どこか酸っぱい匂いも混じっている。恐らく朱の果実を煮込んで作ったジャムなのだろう。
少しなめてライラは顔を顰める。
「……ああ、せっかくだけど、このジャムは駄目みたい」
「俺も甘いモノは苦手だよ」
「じゃあ、ジャムは付けずに食べましょう」
ライラは一度開けたジャムの瓶を閉めなおして優しく微笑んだ。