12
キカの手によってノウラが攫われた頃、デュマ・ディロードを訪問するものの姿があった。レブスト教会の最高位を意味する衣服を身につけた老人は強ばった面持ちでデュマに詰め寄った。
「性急過ぎやしないかね、デュマ」
「性急? それは異な事を申される。そもそも大祭に王が無いことは前例がないと言ったのは貴方の方です、猊下」
「確かにそう言ったが……しかし」
デュマは鎧の横に付いた留め具をきつく結ぶ。
着替えている姿など元来レブスト教会の高僧所か、一般兵にも見せられない姿だ。それでも構い無くデュマは着替えを進める。そんな姿を見せられているネバも気にする様子も見せなかった。
先王オルジオとネバ、デュマは親しい間柄だった。オルジオは身分を気にする人で無かったために誰に対しても気安く接し、ネバもまたそれに倣いデュマに対して友人のように接してきた。その関係は後にコルダ・ジュールが加わっても代わりが無く続いた。
今思えばあの頃が一番平和だったのかも知れない。
「大祭は王あってのもの。正式な委任があるとすればユリウス殿下が王の代理として務めたところで問題はありますまい。ですが、今は状況が状況。一刻も早くユリウス殿下には玉座に座って頂かなくてはなりません。それとも、祭りを中止にされますか?」
「……それは不可能な事ではあるが」
前例如何で言えば祭りの直前に王が身罷ったことは無いわけではない。その時は簡易的な即位式を事前に行い、第一王子が玉座に座り祭りが行われたという。
だが、祭りに王がいないことも、中止された事もなかった。
どんな状況の時でも大祭は行われ、その中心には王の姿があった。それがこの国の慣例である。
だから祭りを中止することは出来なかった。
出来たとしてほんの数日開催を延期する位である。法典で定められている日に大祭が行われていないというのはあってはならないことだ。少なくとも、デュマやネバの独断で決めていいことではない。
「不可能である以上、ユリウス様に即位してもらう他に道はありません」
「サイディス陛下が生きていらっしゃるとしても、かね?」
ネバの言葉にデュマは少し目を細くする。
老いてなお鋭さを増す瞳は歴戦をくぐり抜けてきた戦士の目。ネバが望んでももてなかった鋭い瞳だった。
「あの男は死にました。傷を負って欄干から転落するのをこの目で確認しています」
「しかし、まだ遺体は上がっていない」
「……仮に生きていたと仮定しましょう。それでもあの男が真にオルジオ先王陛下の血筋と確認できない以上、王として認められません」
「私にはあの方はオルジオ陛下の血を色濃く嗣いでいるように思える」
「私もそう思います」
「では……」
遮るようにデュマは首を振る。
「似ている者はいくらでもいます。エテルナードの血は濃い。この国で三代ほど続けば殆どが金の髪と蒼の瞳を持つようになります」
「それでも生まれて間もない子がオルジオ陛下のような体格を持つとは限らないではないか。それに顔立ちまで似るとは限らない」
「確かにそうです。しかしながら、もしもそれが王家の血筋となればいかがですか」
分からないという風にネバが首を振る。
「デュマ、それでは言っている事が矛盾する」
正肩章の付いた肩当てを身につけながらデュマは薄く笑った。
「オルジオ陛下はフィニス王妃以外に側室を持ちませんでした。では、グレイス様ならどうでしょうか」
「まさか」
思いがけない人物の名前を聞いてネバは息をのむ。
オルジオには表向きには兄弟はいないことになっている。しかし、実際の所腹違いの姉がいた。オルジオの父ハイラムは当時女官として城勤めにあった異国の娘を寵愛しその娘にオルジオの姉にあたるグレイスという子を産ませている。ところがそれは王妃の逆鱗に触れ、あわや後宮で刃傷沙汰という所まで発展した。宥めたのは当時のミーディルフィールの当主で娘を子供共々国外追放することで当時は収まった。
後に生まれたオルジオは、それでもなおも続くハイラムの女癖に辟易とし、ついにはフィニス以外の誰も後宮に迎え入れなかったのだ。
「グレイス様に限らずハイラム王の事です。他に子があってもおかしくはない。そのいずれかの子供でサイディス様によく似た瞳の色を持つ子供がいて、入れ替えられたとしてもあるいは分からないかもしれません」
ハイラムの子供の誰かに命じられてコルダが子供を入れ替えた可能性がある。そう言った言葉の意味をくみ取って、言葉を失いかけたネバは何とか言葉を絞り出す。
「それは……あくまで憶測ではないかね」
「そうです」
そう言った彼は珍しく声を立てて笑った。
軍事の最高位を意味する外套を羽織、普段はおろしている前髪をなでつけるように後ろに上げた。年と共に深くなり始めた皺に紛れ込むように額の右側には古い傷があった。既に固くなり傷口が再び開くことも治癒術で傷を癒すのも難しくなった跡は剣で傷つけられた条痕のようでもあり、炎であぶられた跡のようでもあった。
「今の問題はあの方が真実陛下の子であったというよりも、大祭に王がいないと言うことです。即位式は明日行います」
「それでは遠方の貴族が間に合わない。それに、即位式には隣国の方々にも立ち会ってもらうのが道理ではないかね」
戦時中でないのならもっともなことだ。少なくとも同盟を結んでいる友好国にはあらかじめ文を送る必要もある。
時間がないとはいえ明日行うのは文を書くことすら間に合わない。
「状況が状況です。簡易的な儀式をまず行い、披露も兼ねたパーティを大祭の後に行うのが通例です。それに、現在城下に遠方の貴族が多く訪れています。何より風の国より聖主レトヴィナ、ティナより十三王子殿下、インゼルより王弟トルナンド様並びに第七公主がお見えになっていると報告が上がっています。それだけの方々に立ち会って頂ければ何の問題も無いと思いますが?」
ネバは少し驚く。
ティナやインゼルの面々だけでも驚くが、風の国の聖主が国を離れるのは珍しい。風の国自体、他の国と接触を持つことが珍しい位だ。レトヴィナは女性聖主を示す称号であり、今の聖主が女性であることを示す。それすらも知らない者が多いだろう。
その風の国の聖主が大祭にあわせて来ていたとしても何か機運が良すぎる気がした。
「今からティナ王子にお会いして正式に式典へ招待してきます」
「では今城内に?」
「現在‘三の宮’にいらっしゃいます。ユリウス殿下がお招きしたそうです」
それにも驚いた。
サイディスがティナの三王子と交流があるのは良く知られている事だが、ユリウスにまでティナの王子と交流があるのは知らなかった。まして彼が招いたと言うのもやはり訪問の時期としては好適すぎる。
以前より交流があって大祭に招いたと言えば説明が付くが、例年ユリウスが個人的な交流のある他国の要人を招くことは無かった。
何か奇妙な感じもしてネバは首を傾げる。
「猊下には明日、戴冠の儀を行ってもらわなければなりません」
「……私は、こんな事反対です」
「サイディス様がいらっしゃらない今、ユリウス殿下が最高権威を持っておられます。逆らうことは不敬罪と見なすが、よろしいか」
口調が急に厳しくなりネバは背筋にヒヤリとするものを感じた。
ちらり、とデュマが笑う。
「あなたも、覚悟を決めた方がいいだろう。あの世での後悔は遅すぎる」
「デュマはそれが出来ているとでも?」
彼は背筋を伸ばし、悠然と笑みを浮かべた。
「先王……オルグにこの国を頼むと言われたあの日から、私はとっくに覚悟は出来ている。……お休みになられませ、ミーディルフィール猊下、明日は忙しくなります」