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「ああ、もう、予定が狂った」
珍しく苛立った様子でチェレスタはナイフをテーブルに叩きつける。
「挑発すれば乗ってくると思ったのに、俺としたことが不覚」
「おい、さっきの話何なんだよ」
不機嫌にチェレスタはレントを睨む。
「お前は知らなくていい話」
「チェレスタ!」
嫌味っぽいチェレスタだったが、こんな態度を取るのは珍しい。何かあるだろうと容易に想像が付くが、それ以上に先刻の話が気になっていた。
脅してでも言わせるつもりでレントは彼の襟首を掴んだ。
親友は少し肩を竦めて見せた。
「……ごめん、本当はお前に話しちゃいけないことだったんだ。でも、状況が状況だし、こういう機会ないとお前に話せないから、したんだけど」
「どういう事なんだ? 話しちゃいけないって、どうして?」
訳が分からない。
先刻の会話の内容も分からなければ何故父親のことを話してはいけないことになっているのか、何故チェレスタが知っているのか、見当も付かない。
「コルダ様に口止めされていたんだよ」
「親父が? 何で」
「多分、お前を巻き込まない為だよ」
「巻き込む?」
「コルダ様は多分お前に真っ当な道を歩かせるつもりだったんだ。だから話さなかったし俺にも口止めしてた。暗殺者として活躍してました、なんて子供に言えないだろう?」
「……それ、本当なのか?」
信じがたい。
だが、文官であるのにコルダは妙に腕が立つ。完全に否定しきることが出来なかったのだ。
「本当。今はやってないけど。因みに今の王はどうだか分からないけど、先代国王は元暗殺者だって知っていてコルダ様を引き入れたんだ」
それにはさすがに驚く。
レントが生まれた時には先代は亡くなっていたから噂でしか知らない。懐の広い男だったと聞くが、元暗殺者だと知っていて自分の部下に入れるなど普通では考えられない事だ。
「俺はアリア様に聞いただけだから良く知らないけど、陛下がコルダ様に攫われたって話しあるだろ? あの時、コルダ様は国王軍に入った。本来そんなこと許されないんだけど、他ならぬ団長が許したから今のような事になってる」
「団長?」
「お前の知らない人だから言ってもわかららないだろ。俺らの元締めみたいなものだって思ってればいい」
二十数年前、コルダがまだ子供だったサイディスを攫ったのは国王をおびき出して殺すためだった。あくまで事故死を装って殺してくれと言う依頼だったために、裏から回って殺すという訳にはいかなかったのだ。国王が兵士に混じって戦っていると言う噂は聞いていた。それを利用して子供を助けるために向かった先で、不幸にも亡くなられたという状況を作るつもりだったのだ。
案の定、オルジオは幼いサイディスを助けるために兵士に混じって来ていた。だが、コルダは実行出来なかった。する必要もなくなったのだ。
依頼人だった男が死んだのだ。殺したのはデュマ・ディロードであり、落とした首を投げつけてオルジオはコルダに自分の元へ下るようにと命じた。
自分を殺そうとしていたのを知りながらだから、正気の沙汰ではない。
「その時団長が何を言ったのか知らないけど、コルダ様はここに留まったし、あれから暗殺の仕事を一度もしていない。ただ、俺は団長からこう命令されているんだ。万が一の時は王様殺してでもコルダ様を助けろって」
「……親父はそんなに重要なのか?」
「うーん、アリア様が言うには団長はコルダ様に甘いんだってさ。王様殺さなきゃいけないほど逼迫している状況でもないし、何より当の王様が不在だとどうしようもない。せめてコルダ様に指示を仰げれば、って思ったんだけど……」
「それでさっきの奴を利用して? 万一の事があったらどうするつもりだったんだよ」
「万が一なんてあり得ない。コルダ様はそんなに弱くない。それに、アリア様が言っただろう? コルダ様からの伝言だって。いもしない人を捜させてお前を遠ざける為かとも思ったんだけど、そうでもないみたいだな。……うん、もしかしたらコルダ様はあいつが自分の所に来ないことを予測してたかもしれない」
妙に納得した風情の彼を見てレントは首を傾げる。
「……どういうことだ?」
「つまりだ、コルダ様はあいつか、他の誰かに内情を伝えようとしているんだ」
「誰かって、誰に?」
「生存を信じるならサイディス国王に。そうじゃなかったらそれ以外の誰か」
‘それ以外の誰か’は自分ではないことだけは確かだった。
変に手出しをしたところでレントでは真意も分からないし、かえって足を引っ張る結果になる。出来るとすれば手柄を立てて、恩赦を賜る位だ。だが、謹慎中の身分で出歩いた時の功績じゃあせいぜい監禁されている父に少しだけ快適な暮らしをさせる位しか出来ないのだろう。
あの父がどうこうなるとは思えないが、西の塔に捕縛されているというのはあまりにも過酷だ。
「……クソ親父、子供に心配かけるなよ」
心の中で呟いたつもりが声に出していた。慌てて口を押さえるが無意味だった。既に親友の耳に届いていた。
にやついた親友がレントの方を抱く。
「あれー、お前、心配してんのー?」
「う、うるさい。心配して悪いのかよ」
「悪くないよ。うん、少し素直になったね。そう言うの俺、悪くないと思うよ……って、あれ、あの人ユーカさんだ」
チェレスタの指差した方向に淡い緑色の衣服が見えた。
大食い大会の予選会場で一際目立っていた大食い少女だ。彼女は何かを探している様子で立ち止まった。風も吹いていないと言うのに、彼女の衣服は激しく揺れ、めくれ上がっている。
親友は彼女に向かって楽しそうに手を振った。
「ユーカさーーーん、どうしたんですかー?」
「お、おいチェレスタ!」
レントが謹慎中だと言うことは彼女は知らないだろうが、目立って城内の関係者の誰かに見られるのは厄介だ。
それに、レントは彼女が不穏な会話をしていた所を目撃している。サイディスが‘殺された’という一件に関わっているかも知れない少女だ。迂闊に近づくのは危険ではないだろうか。それとも、近づいて探り、真相を突き止めたなら手柄になるだろうか。
レントの感情も知らず、少女が振り向いて笑顔を作る。
「あれー? 兵士その1その2だー! やっほー」
「チェレスタですよ、やっほー!! ……行こう、レント、何か楽しそうだ」
「……」
ああいうタイプが好みなのだろうか。
有無を言わさず引っ張っていくチェレスタの手が剣に伸びたのが分かった。何気ないのを装ってレントは周囲を見渡す。
どこからか殺気だった気配がする。
親友はにこにこ笑いながらユーカの隣に並んで剣を引き抜いた。それを彼女に向ける訳ではなく、まるで後ろに庇うようにした男を見て少女は不思議そうに眼を瞬かせた。
「んー? 何、味方してくれるの?」
「市民の平和を守るのも俺たちの仕事なんですよー」
「嬉しいけど、相手見てからでなくて大丈夫?」
答える代わりにレントも剣を抜いた。状況はまるで分からないが、今の状態では恐らくチェレスタに加勢するのが一番正しい。
そう思った矢先、すぐ近くの角から男女が突然姿を現す。
一人はディロード家の正装をした兵士の男だった。
もう一人を見て、レントは剣の構えを一段深くした。
ノウラ姫だった。