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最初に出会った人から衣服を借りる、ということはしなくても済みそうだった。
法衣を管理している場所は思いの外近くにあった。立場によって法衣の種類も変わってくるために、一番人数の多い末席の衣服を選んで身につける。そうすれば万が一に誰かに会ったとしても新しく入ったと言い張れば見慣れない顔と訝しく思われる事も少なくなるからだ。
レブスト教会の衣服は白と緑を基調とする。ティナ領域では太陽神を信仰するラート教やアスの時代から続くアス信仰が多いためにどちらかといえば青い法衣の方が多い。不思議な感覚を覚えながらもライラは白地に緑の刺繍が入った衣服を身に纏う。貫頭衣であるために着ると言うよりは被るという方が正しいだろう。
ライラは髪留めを外し、手櫛で髪をなでつけた。
レブスト教会で高い位置で髪を括っている人は見かけない。本には書かれていない戒律があるのかもしれない。
「着替え終わったか?」
「ええ、これで教会の人間に見えるかしら」
衝立を隔てて着替えを終えたライラが出て行くと、同じように着替えを終えていた男がぽかんとした様子で彼女を見つめていた。
どこか間抜けなように見えて、ライラはくすりと笑う。
「あなたはあまり似合わないわね」
元々体格の良い人間に似合うように作られていないのだろう。上位のきらびやかな装飾の付いた法衣はともかくとして、下位の衣服は彼には似合わなかった。
「……君は、その……」
「ん?」
「何と言えばいいのか……女神のようだ」
サイディス国王の女好きの噂は知っていた。結婚こそ決めないものの、見る女性全てを口説くのではと思うほど口が達者であるとか火遊びも後処理も上手いとか、そう言う話も聞く。その上、出会ってからまだそれほど経っていないが、彼の口から自分に対して歯の浮くようなセリフが何度吐かれたか、両手を使って数えても足りない。
この期に及んでまだ言うのかと呆れ果てた。
「あのね、親友の妹を口説いている状況?」
「いや、その……」
彼は狼狽したように口ごもる。
「正直、それでは目立ちすぎると思う。その、君は、あまりにも見栄えが良すぎる。ティナ人というのも目立つだろうが、それ以上に、君のその翠の瞳とその服の組み合わせはあまりにも目立つ」
「そう、かしら?」
「まるで……精霊王のようだ」
ライラにはまるで自覚が無かったが、男の言った言葉は的を射た意見だった。
人間には緑の瞳はない。それは高位の精霊の色と言われているからだ。そのため例え緑に見える色を持っていても、緑がかった青という風に表現される。
だが、ライラの瞳は純粋に緑に見えた。その上、ティナ王族の髪の色は精霊返りと言われる淡い金色。彼女が今まで髪を括り黒い衣服を着ていたためにあまり極端に目立つことは無かったが、同じ緑で刺繍の入った白く緩やかなローブに身を包むと、まるで神話に出てくる精霊のようだった。
それも高貴で美しい、幻影のような精霊族の王。
その状態で彼女が出歩いていれば嫌でも目立つ。誰もが足を止め、振り返り見ずにはいられない、そんな美しさがあったのだ。
色とりどりの宝飾品を鏤めたドレスもまた彼女に似合うのだろう。それもまた息を飲むほど美しいだろう。けれどそうではない。質素で簡易で、それでいて品格のある法衣だからこそ流麗なのだ。
「……目立つようなら失敗かしらね」
ライラはふう、とため息をついた。
「俺としては……」
「誰かそこにいるのかね?」
不意に声をかけられ、イディーは慌てて立ち上がる。ライラを後ろに庇うようにして立てかけてあった大剣を握る。
がちゃりと戸が開かれる。
人影が入ってくるが早いかイディーが引き込み大声を上げそうになる口を押さえ込む。そのまま壁際に押しやって喉元に剣を突きつけた。
突きつけられた老人が驚いたように目を見開く。
「!」
「ネバか……」
ライラからは彼の影になって顔は一瞬しか確認できなかったが、誰なのかすぐに分かる。この教会の最高位にいるネバ・ミーディルフィール猊下。
イディーは少し警戒を弱めた様子だったが、脅すのを忘れなかった。
「おかしな真似をすれば斬る。大声を上げれば斬る。いいな?」
とても国王が高僧に向かって吐く言葉では無かったが、ネバの方ははじめからそのつもりが無いというように神妙に頷いて見せた。
ゆっくりと彼が手をどけると、老人は深く安堵の息を漏らした。
「……驚きました」
彼は衣服を正し、被っている帽子を外す。
「生きておいででしたか、サイディス様」
「やはり俺は死んだと言うことになっているか」
「はい、………よく、ご無事でいらっしゃいました」
老人は深々と頭を垂れる。
少なくとも彼は、サイディスが本物の国王と思っている様子だった。ライラは少しだけホッとして息を吐く。
「俺が無事なのは助けがあったからだ」
「助け、ですか?」
イディーがライラの肩を掴んでネバの前に見せつけるように示す。
老人の瞳が大きく見開かれた。
自分が今どんな風なのかまるで分かっていないライラは、その驚いた表情に逆に戸惑う。そこまで驚かれるようなものなのだろうか。
にやり、とイディーが笑った。
「ライラ殿だ。精霊族の長でいらっしゃる」
「え、それは……あの」
「信じるな、冗談だ」
ライラはしたり顔の男を睨む。
「だから言っただろう。君はあまりにも目立ちすぎると」
「別に嬉しくは無いわよ」
「こ、これ、ライラ殿といったか。この方はこの国の……」
国王に対してぞんざいな口をきく女に、慌てたように注意を促すが、当の国王は聞きようによっては別の意味にも取られかねない言葉を平気な顔で口にする。
「良い。この娘は特別な娘なのだ。……それに、こんな場所にこの国の王がいるわけがない」
ネバは目を見張る。
恐らく老人は国王の言葉の意味をすぐに理解したのだろう。それでも暫く考え込みながらもやがて頭を振って息を吐いた。
「……確かに、このような場所に陛下がいらっしゃる訳がありませんでしたね」
「どうやら教会の奥まで二人迷い込んでしまったようだ」
「そのようですね。……暫くお休み下さい。こちらへは誰も寄らぬよう言い含めておきますゆえ」
「すまないな」
「いえ。何のお力にも慣れず申し訳ございません」
そう言ってネバは再び頭を深く垂れた。