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「ふほはふ?」
焼きたてのパンにレタスとベーコンを挟んだ料理を口の中に目一杯突っ込みながらユーカは目の前にいる老人に問いかける。
‘消し炭の街’にある「水の都」という酒場は開店前ということもあって、彼らの他に人の姿がない。そのくせ店内には美味しそうな料理の香りが漂っていた。
長い白藍色の髪を束ねた細身の老人は彼女の言葉に頷いて見せる。
「そうです、黒幕がいるんです」
「ほへっへ……」
言いかけてユーカは口の中のものをミルクで胃袋に流し込んでから問う。
「それって、ライラの言う‘例のあの男’のこと?」
「そうかも知れませんが、違うのかも知れません」
「曖昧だねぇ」
老人はカウンターの向こう側で手早く調理を続けながら頷く。
軽く三人前くらい用意してあったはずの料理が既に半分くらいに減っている。短時間の間に彼女が食べてしまったのだ。ここまで豪快に食べてもらうと料理人冥利に尽きるというものだ。
嬉しくなり、ついつい予定に無かったものまで作ってしまう。
「私もライラ様のご命令でずっと城の様子を探っていましたが、なかなか姿を現すような輩ではありませんので」
「へぇ、じゃあ風達が言っていた‘嫌な感じのおっきいの’ってそれのことかも知れないね」
「‘おっきいの’ですか。精霊達が拒むということは可能性は高いと思いますが……」
「あれ、何か喉に何か詰まらせたカンジ?」
ユーカはカウンターに肘を突いて老人を覗き込むように見る。
彼は少しだけ笑ってみせる。笑顔を作るのを失敗したような顔だ。その表情で「何となくピンと来た」ユーカはうんうんと頷いて見せる。
「そうだねぇ。君としては、ライラ様に危険な目に遭って欲しくないわけだ。ライラが探している以上、見つけたい半分、見つけたくない半分。ここに潜んでいるそれが‘例のあの男’じゃない方がいいって所ね」
言い当てられて、老人は苦笑する。
そんなことを主に知られてしまえば叱責されるだろう。いやあの人のことだ、苦笑いを浮かべて窘めるくらいだろう。それでも、主が追い求めているものが見つからなければ良いだなんて、家臣としては口が裂けても言えないことだ。
「ユーカさん」
「大丈夫、ライラには黙っているから。……なんかあるの?」
問われて老人は肩を竦め、スープ料理を深い皿によそる。
手がかすかに震えた。
「……あれは危険なんです」
「危険?」
「ライラ様に近づけてはいけないものです」
「でも、そのライラは探している、と」
老人は彼女の前にスープ皿を差し出す。
「正確には禁書をあの男の手に渡してはいけないと考えているんです。世界に散った写本はたった一冊でも恒星落陽を起こせる知識が詰まっています」
恒星落陽は禁止魔法の一つ。
世界そのものを破壊しかねないためにその方法そのものが禁書に封じられたと聞く。その一部である写本には、不完全ながらも星落としの禁呪の知識が詰まっている。正しく使えるか使えないかはともかく、そんなものを誰かが手にしてはいけない。
少なくとも彼の主であるライラはそう考えていた。そして、それは彼自身も同意することだ。
もっとも、だからといって写本を回収し燃やす作業をライラがしなければならないと言うことに関しては同意出来ない。普通の魔法では燃やせず、彼女にはそれが出来るとしても、だ。
「ん? ちょっと待って。一冊でもいいなら、そいつがとっくに‘星落としの禁呪’を完成させていても良いんじゃないの?」
もっともな質問に老人は頷く。
既にその男は写本の一部を手に入れている。
「魔法協会の見解では奴にはそれが‘出来ない’ようなんです」
彼女はスープをすすりながら彼を見上げる。
「出来ない?」
「私にはその意味は分かりませんが、奴は必ず誰かを唆して実行させようとしているんです。一説にはその男は創魔紀以前から存在しているという話です。そのころから何度も恒星落陽を引き起こそうとしていたと」
スプーンをくわえてユーカは瞬いた。
「んん? 創魔紀って人間が生まれる前じゃなかったっけ? 神話じゃあその最後くらいに人の祖先が誕生したって話のはずだけど……それだけ前から生きているってのはともかくとしてさ、それだけ長い歳月あったら、一回くらい成功していてもおかしくないんじゃないの? チャンスなら何万回とありそうだし」
「起こっていたら今の世界は存在しないのでしょうね。それに、そう多くあるものではないんです。これはライラ様が教えて下さったんですが、恒星落陽という術は、星の位置、魔力の高い者……しかも恒星落陽の知識が無ければいけませんね、魔力の変動に耐えられるだけの場など、様々な条件がそろって初めて使うことが出来るんです。全ての条件が整う状況なんて数千年に一度あれば良い方では無いでしょうか」
「難しい話だぁ」
残りの料理を平らげてユーカはため息をつく。
すかさずカウンターの向こう側から追加の料理が差し出される。
受け取って彼女は少し考え込むように言った。
「むぅ、そうか、条件が整っても、ライラみたいな人がいたら潰されちゃうわけだ。絶対阻止しますわよ、みたいな感じの人が。しかも禁書が完全な状態じゃないって事は、術も完全じゃない。……あ、そうか最近なんだ」
「何がですか?」
ユーカは新たに出てきた鶏肉の香草焼きをフォークに突き刺しながら言う。
「その写本ってのがバラバラになって世界各国に散らばったの。だから‘知識のある人’という条件がなかなか整わなくて、今まで起こる回数が極端に少なかった。ライラが言っていたんだよね、少なくともライラの知る限りで二回恒星落陽が起こりそうになったって。それってやっぱりそいうことでしょ?」
彼は頷く。
頭の回転の速い少女だ、と感心をする。
「ライラ様はそう判断されていたようです」
だろうね、と呟きながら彼女は鶏肉を頬張った。
「ところでさ、思っていたよりも冷静なんだね」
言われてすぐに意味を把握する。
ユーカには自分の失態を見られている。ライラがいなくなって気が気ではないのはとっくに見通されているのだろう。本当ならば今すぐに探しに行きたかった。だが、例え水の中だったとしても、自分が足手まといにしかならない事を知っている。何よりこういった場合動いてはいけないと言い含められているのだ。
努めて冷静でいるようにしているのだ。
今、目の前にユーカという「よく食べる客」がいなければ冷静ではいられなかっただろう。
「無事なことだけ分かっていますから、私は待つしかないんですよ」
「そう言えば最初から無事だって確信していたよね、ケイス君は。何で?」
「それよりも私の外見年齢の方に違和感を感じないのですか?」
老人、ケイスナーヴは苦笑する。
彼の年齢は彼女と最初に会ったときの年齢とは軽く数十歳違う。それなのに彼女はケイスナーヴを名乗った自分に一瞬だけ驚いたが、その後は外見年齢に関して一切触れなかった。
話していて分かるが、好奇心旺盛な彼女が疑問に思わないわけが無いというのに。
「ん? 変装名人だと思っていたけど違うの? だってそれ、魔法とか目眩ましとかじゃないよね?」
「違います。これは私の体質なんですよ。……貴方の疑問にも通じる事です。少しお話をしましょう。私とライラ様の‘愛の記録二千三十七章’」
因みに現在‘二千三十八章エテルナード再会編’を執筆中だ。
「長っ! っていうか、何そのタイトル! 少し所じゃないし!」
「ええ、ですから、本日は第一章出会い編(抜粋)をお聞かせします」
「………………」