13
城の方から金色の光が溢れたのを見て、ユリウスは緊張をした。
何かあった。
それは分かるのだがそれが何であるか見当が付かない。今までに王城でああいった光を感じたことは無かったのだ。
あるいは「兄上がお戻りになった」のかとも思うが、あの光の気配は兄のものとは違う。どう違うのかと問われても答えようもないのだが、あれは兄のものではないと直感的に思っていた。
戻り状況を確かめるべきか。
そう思案していた時だった。
不意に目の前が真っ暗になる。
「だーれーだ」
明るい少年の声。
はっきりと聞き覚えのある声だった。
後ろから両手で目元を覆われたのは分かったが、あまりの自体に反応が出来ない。硬直していると彼は戸惑ったような声を上げる。
「あれ? もしかして本当にわからねぇとか?」
後ろからため息が聞こえる。
「お願いですから、少しは謹んで下さい!」
「‘少しは’慎んでいるってば」
言って少年の手が離れる。
ようやく明るさを取り戻したユリウスの目には、どこのものとも判断しかねる民族衣装に身を包んだ少年の姿があった。不思議な模様の入った瑠璃色の布で髪を纏め上げ、露草色の布で身体を覆っている。城であったときとはまるで違う格好をしていたが、紛れもなく「ラティラス」を名乗った少年だった。
ちらりと目をやるとあの銀髪の男もいる。こちらは休息している戦士のような簡易的な服装をしているが、腰元には少年の身体を覆っているものと同じ色の布が巻かれていた。
ユリウスは強ばった表情で彼らを見る。
彼らは身分を偽って王城に来た人間だ。何を企んでいるのか分からない。緊張したまま彼らを見ていると、少年の方が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「手紙届いた?」
「……手紙ですか?」
「あれ? じゃあ届いてない? 本物の‘ラティラス’からの親書だったんだけど」
ユリウスは瞬く。
本物と言った。
それはつまり自分たちが偽物だと暴露しているようなものだ。手紙というのにも覚えがないし、警戒心だけが先立った。
あるいは王子かも知れないという兄の言葉を思い出し、何とか剣に手をかけるのを堪えるが、背筋にひやりとしたものが流れるのを感じていた。
「偽物立ててごめんなさいって話を書いた手紙送ったんだけど、届いていないって事は、忙しくてそれどころじゃなかったか、どっかの誰かが破棄したって事だろうけど、どっちかな?」
「……貴方は、何者なんですか?」
「俺はそのラティラスのイトコ」
「では貴方も王子であるのですか?」
「うーん、王様の子供って意味なら王子かな。名前はマヤだよ」
「……それだけですか?」
言い方といい、どうも「御落胤」というのは本当のようだと思う。だが、仮にも身分がある人間の子供だ。それが分かった上でもそれほど短い名前であるとは思えない。おそらく呼び名か何かなのだろうが、どうにも何か含んでいるような気がしてならなかった。
「こっちで名乗っている名前はマヤ・ブラウ。本当はすっげー長い名前あるけど、色々あって今は明かせない」
言い切った少年にユリウスは首を傾げる。
御落胤であったとしても、王子であるならばティナの王子を名乗ればいいのだ。それなのに何故隠さねばならないのだろうか。ティナ王の子供ということの他に何を隠さなければならないのだろうか。
訝っていると銀髪の方が目礼した。
「それ以上この方に関して詮索なさらないようお願い申し上げます。本来ならばこのような場所にいていい立場の方では無いんです」
「シグ、それ、すっげー嫌味」
「嫌味だと分かって頂けたなら光栄です。……非礼をお詫びします殿下。私は主よりこの方をお守りするよう申しつけられております……」
「これのことはシグマでいいから」
「マヤ!」
「別に話すのに名前なんてどうでもいいじゃん。長ったらしい名前なんて鬱陶しいだけだって」
眉間に手を当て男が盛大にため息をつく。
この様子にユリウスは酷く驚いた。少年の砕けた態度というのもそうだったが、何よりシグマという男が彼を呼び捨てた事に驚く。見たところ、彼が従者であることは間違いないようだが、それにしても名前を呼び捨てるなんてあって良いことではない。場所によっては不敬罪と切り捨てられても文句の言えない態度だ。
ユリウスの考えていることを悟ったのか、銀髪はため息をつくように言う。
「この方の最初のご命令は‘マヤ様とか呼ぶなよ’でした」
「命令じゃねーって。大体シグみたいな仏頂面に様って呼ばれてみろよ。息詰まるってーの」
「では改めてお呼びしましょうか、マヤ様」
「……やめろよっっ! 気色悪いっ!」
本気で鳥肌を立てたらしい彼がしきりに腕をさすっている。
緊張し通しであったユリウスもここに来てようやく笑みを零す。
その笑みを見て少年はますます笑みを深くした。そして不意にその表情が硬いものに変化をする。
初めて会った時と同じだ。彼の表情で突然そこが違う空気を帯びる。
「少し前に、欄干から二人の人間が落ちている」
「マヤ、唐突すぎます」
「分かっているよ。でも話は早いほうがいい。一人は体格の良いエテルナード人。公表はされていないけれど、この国の王様だ」
「それは……」
動揺した。
欄干から人が落ちたというのは隠しきれなかった。だが、それが誰であるかは隠してあったはずだ。言い当てられてしまったことに動揺し、さらにそれが顔に出てしまったことにも動揺する。
少年が続ける。
「もう一人は小柄な女で、エテルナード人よりももう少し薄い金髪をしていたらしいね。それが多分ラティラス王女だ」
「兄上と、ラティラス王女が?」
言ってしまってユリウスは口を押さえる。
動揺を誘って口を割らせようとしたのかと思ったが、それに対して彼は何の反応も示さなかった。
「お互いに身分を明かしていたかは分からないけど、気づいていた可能性は高いよ。王様は会ったことが無いから分からないけど、彼女のことはよく知っているから、彼女の性格を考えれば多分今頃作戦会議中なんじゃないかな、この下で」
少年はとんとん、と足を鳴らした。
ユリウスは彼を見据えて問う。
「……マヤ殿下は、二人とも生きていらっしゃると思っているのですか?」
尋ねると彼は目を丸くした。
「あたりまえだろ? ってか、ユリウスは信じてねぇの?」
「信じたいのは山々です。……ですが」
兄の気配が辿れない。
今まで無かったことだ。
いつも兄の傍らにあるあの剣は強い光に包まれている。他の人間には分からないようだったが、ユリウスにはあの光の力を辿る事が出来る。あの剣が他の誰かの手にあってもだめだ。ただ兄と一緒にあるときだけあの剣の気配を辿れる。
それが、今は出来ない。
まるでぷっつりと途絶えてしまったかのようにその痕跡が消されている。何らかの理由で兄の手元に剣がないのか、あるいは兄自身の身に何かあったか。
剣の事を伏せて言うと、彼は複雑そうな表情を浮かべる。
「あー、俺もそれ、感じてたんだよな」
「マヤ殿下もですか?」
「この地下のどっかにっていうの分かっているんだから、俺がライラの気配を探れない訳が無いんだけど」
何かに邪魔をされている気がする。
彼はそう言って口を噤んだ。
ユリウスの場合と一緒だ。兄が欄干から落ちた時から彼の気配が辿れなくなった。もし本当に二人が無事なのだとしたら、何故気配が探れないのだろうか。
「あ、そうだ」
「え?」
「ユリウス君さ‘水に棲む悪魔’って知ってる?」
「え、はい。大昔、エテルナードで伝染病がはやった時がありまして、その原因となったものがそれと言われていますが」
アス帝国時代の話だから大昔の話だ。伝染病が流行し多くの死者を出したと聞く。その伝染病は水を媒体として感染するために被害が広範囲に及んだのだ。原因となるものが分からずエテルナードには‘水に悪魔が棲んでいる’という言葉が流れたそうだ。
現在はサラブに統合されてしまっているが、そのころはまだ南方に薬草学・魔薬学の発展したファーミラ王国があり、そこから派遣された魔薬師たちにより水は中和され、被害もそこで収まったそうだ。
「俗っぽい言い回しですが、影で糸を引いている人物をそう呼ぶこともあります」
「事件の黒幕を?」
「ええ、そうです。それがどうかしたんですか?」
彼は困ったような、思案するような複雑な表情を浮かべた。
「‘ユクは水に棲む悪魔’」
「え?」
「ある人の手紙に書かれていた言葉だよ。……意味、分かる?」