12
城の敷地内でノウラを狙って暴動が起きた頃、マヤは大通りに面した酒場で地図のようなものを真剣に睨み付けていた。
どこにでもある屑のような紙切れに線がいくつも記されていた。それはこの国の地下を流れる水の流れを示すものだった。人の通れる場所だけではなく水が流れる場所を全て記しているだけにその地図とは言い難い図表は複雑な紋様を描いているようにさえ見えた。
「お城からどこかへ逃げ出せるように繋がっている場所はあるはずだけど……出口になりそうな所、片っ端から探すしかないかな」
言ってマヤはため息をつく。
はっきり言って不可能に近いことだった。
ライラが欄干から転げ落ちるところを見ていたわけではない。ただ、少女と男が一緒に落ちたという話を聞いて、その少女はライラなのだろうと本能的に思った。その時間、確かに一瞬彼女の力が暴走しかけていたのをマヤも感じている。何が起こったのかは分からなかったが、突然彼女の魔力が膨れあがった気配を感じたのかと思うとぷっつりと彼女の気配が途絶えた。
一瞬彼女が死んでしまったかとさえ思った。
だがそれは違う。
無事かどうかは別として、生きているのは確かだ。
そう思い彼は彼女の気配を辿ろうと幾度か試みたが、それは何か壁のようなもので阻まれた。地下水道自体何か特殊な細工がされているのだろう。いくら彼が集中しても彼女の気配に辿り着くことは無かった。それは、シグマがやっても同じ事だったという。
「水さえ無ければ、俺が直接入って調べるのになぁ」
ふうと息を付く。
マヤの身体は水を拒む。無論飲まなければ死んでしまうし、湯浴みが出来ないわけでもない。ただ大量の水がある場所が苦手なのだ。万一落ちたりしたのならそれこそ気を失い命に関わることになりかねない。それが分かっているからこそあれだけの大量の水が流れ込む場所に飛び込む気にはなれなかった。水さえ無ければ例え底の見えない空洞の中にだって飛び込む覚悟があるというのに。
「シグが行ってくれると助かるんだけど」
ちらりと彼を見やると銀髪の男は冷たい視線を向ける。
「私は行きませんよ」
「命令でも?」
「私は貴方をお守りするためにお仕えしているんです。あの娘を助けるためにいるわけではありません」
「けち」
「結構です。そもそも申し上げさせて頂けば、あの娘が命を落としたのであれば私としても好都合です」
物騒な言葉にマヤは彼を睨む。
「お前、冗談でもそんなこと言うなよ」
「冗談ではこんな事言えません」
きっぱりと言い放ったシグマは隠すつもりなどまるで無いというように淡々とした口調で続ける。
「目の前で窮地に立たされているのであれば助けます。ですがそれは放っておけば貴方が飛び込んで危険に曝されるおそれがあるからです。協力を惜しまないのはあくまで利害が一致しているからであって、仲間になったからではありません」
ライラが死んでいた方が好都合。
そう言ったシグマの言葉の意味が分からない訳でもない。
彼らの住む竜の谷の中でリトと呼ばれる種族がいる。彼らは占星を盛んに行い、竜王を助ける者たちだ。占いの内容は曖昧なものから非常に精密なものまで内容も結果も様々であるが、多くの竜族がその占いを信じる。過去に数多くの事柄を言い当てて来たからだ。
その彼らがマヤに関して予言をした。
いずれ母を嗣いで竜王となるだろうと。それだけの資質があると、予言した。それと同時に従妹であるライラが生きている間に即位すれば『滅王』になると示しているという。
占いの結果を知る竜族たちは大事に至る前に彼女を殺す事を進言した。だが、他ならぬマヤ自身、そして竜王夫妻がそれをよしとしなかったのだ。それ故彼女はまだ生きている。
シグマは竜王に仕えている。その息子であるマヤの護衛を任されている身としてはマヤが滅王になるのは避けたいことだ。まして彼は人間が嫌いだ。半分は竜王の姉の血を引くとは言え半分は人間のもの。好感が持てるわけがない、と彼は言う。
だがそれはマヤにとっては言い訳しているようにしか聞こえなかった。
「シグさ、分かってるの?」
「何をですか?」
「お前の言い方は、ただの言い……」
はっとして彼は外に視線を向ける。がたんと音を立ててシグマが立ち上がる。その視線は同じように外に向けられていた。
他の客がその様子を訝しんで見やった直後、マヤが外へと飛び出した。
「マヤ!」
すぐさま追うようにシグマも外へと飛び出す。
王城から強い光が吹き出している。その光は一瞬強く輝き光の柱を作る。道行く人が光に驚いて王城を見ている。金色に輝く光はやがて収束していったため、街の人間は城内で魔術演習でも行われていたのだろうと思ったようだ。まだ王城の様子を窺っている者もいたが、ほとんどの人間がすぐに興味を失い、日常へと戻っていく。
しかし、マヤもシグマも王城の方を見ながら表情を硬くしていた。
「今の、親父だよな」
「お館様……っ」
「ちょ、シグ待った!」
すぐさま走っていこうとするシグマをマヤが止める。体格差があるために多少引きずられるような格好になったマヤは彼の腕にしがみついたまま叫ぶ。
「駄目だってば、行くなってっ!」
「ですが、お館様が!」
「シーグっ!」
彼の声で我に返った様子のシグマが狼狽したように視線を外す。
あの強い金色の気配は間違いなく、マヤの父親クウルが竜の力を解放した証だった。本来人の姿になっているときは竜の力は押さえられている。元来彼らの力は戦うためにある。押さえていなければ自身も周囲も危険なのだ。ましてクウルの力は特殊だ。故にその力を解放するのはよほどせっぱ詰まった状況に陥った時だけだ。竜族たちが住む谷ですら、彼が力を解放するのは稀なことだ。
よほどの何かがあったのは確かだ。だが、あの程度で済んだということは解放したのはほんの指先程度なのだろう。そうでなければ城下全体が光に飲み込まれ大騒ぎとなっている。おそらくクウル以外の誰かの命が危険に晒されてやむを得ず力を使ったのだろう。心配するような事ではない。
それを分かっているはずのシグマだったが、一瞬我を忘れた。それはマヤも同じ事だったが、彼の珍しい姿を見たために一瞬早く冷静さを取り戻したのだ。
マヤは呆れたように言う。
「お前さ、親父の事となると頭に血が上るのな」
「申し訳ありません」
「いいけど、状況はわかんないけど、あの程度で済んだって事はライラ生きているよな」
「はい。それも確実に無事な状況のはずです。そうでなければいち早くあの方が動いていました」
うん、と納得するようにマヤが頷く。
父親の性格を考えれば、ただ待っているということはあり得ない。目立つ行動を取ったと言うことは彼女の無事を確認した後だ。万一にも彼女が生きていなかったり、命に関わる状況に陥っていたものを目の当たりにした上での力の解放であったなら、あの程度で済んでいたはずがないのだ。
考えれば、彼女が無事だと言うことが良くわかる。
「怪我しているかもしれないから早く見つけたかったけど、大丈夫なら俺たちは俺たちで動く。良いよな?」
シグマがマヤに顔を向ける。
既に先刻のような狼狽した様子はなく、普段通りの冷静さを取り戻した彼だった。
「では、ユリウス殿下へ親書を?」
「の、つもりだったけど、必要無いみたいだな」
くん、と鼻を鳴らしてマヤは王城を見つめて硬直している男を指差す。
紛れもなくそれはユリウスだった。