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ユクの根に抱かれるように、少女の姿があった。
もっと正確に言うのなら根に絡まるようにして少女の形をした彫刻が部屋の中央の台座の上にあったのだ。
象牙色一色だというのに、まるで本当に生きているのではないかと思えるほど精巧に作られている。少女の彫刻は両手を根に絡まれる形で少し浮き上がり、さらにそれに巻き付くように根が幾重にも重なっていた。まるで根が少女を捕らえているかのようだった。
「赤銅の髪の女だ」
ぽつりと呟くようにイディーが漏らす。
「夜、ユクの木の下で彼女に会うと冥界へ連れて行かれると言われている」
「お伽噺?」
「そんなようなものだ。レブスト教の伝承の一つだな」
言われてレブスト教の成り立ちになった話を思い出す。
彼女が王に裏切られたと思いこみ、その口から出た災いがエテルナードを滅亡させ掛けた。やがて冥府の使いを名乗る男が彼女を宥め、ユクの木を再生させて戻っていったという話だ。
「災いの少女って言われている人の事ね。でも、赤銅の髪ではないのに、どうしてそう思うの?」
見上げるとイディーは浅い息を吐く。
「俺は、彼女に一度出くわした事がある。この顔だ。間違いがない」
「その彼女がどうしてこんな所にいるのかしら」
「わからん。でも、ここはおそらく中庭の真下だ」
言われてライラも同意するように頷く。
確か彼女の墓がエテルナード城の中庭に立てられているはずだ。もしも目の前にある彫刻が彼女の墓標だとしたら、ここの真上に彼女を祀った墓が建てられていてもおかしくない。あるいは、彫刻は彼女自身かもしれない。
ライラは周囲の気配に気を付けながら彫刻の方へと近づいた。
かさりと乾いた枯れ葉を踏みつけるような奇妙な音が聞こえ、ライラは視線を落とす。
「……これは」
「何だ、それは」
足下に落ちていた古い葉を拾い上げると、イディーも訝しげにそれをのぞき込んだ。桑染のような色をした葉は既に水分が失われ脆くなっている。力を込めればすぐに砕けてしまいそうなほど弱かった。細くささくれ立ったような形をしていた。
その形状に何か覚えがあって、ライラは記憶を辿っていく。
そして行き着いたものにライラは驚いた。
「これ、アンニ草だわ」
「アンニ草? あの魔薬に使われる? 葉の形状が随分と違うが……」
「本来は確かにもう少し丸い形に育つのだけど、光の届かない場所で育てるとこんな風な形に育つのよ」
アンニ草は元来この大陸の南方の乾燥した大地で育つ。かつてファーミラ王国と呼ばれていた国で栽培されて、現在はサラブが管理を行っている。毒性のある危険な草ではあるが、薬にもなるためにティナの方にも輸入されているものだ。だが、サラブ以外の土地では育たない上に、そのサラブでも領王の許可が無ければ栽培が出来ないために非常に高値で取引されている。
枯れ葉とはいえ、エテルナードの地下というこんな場所に何故存在するのだろうか。
不審そうな目でイディーがライラを見る。
「お前、良く知っているな」
「私も実際この形状を見るのは初めてよ。挿絵で見たことがあったから知っているだけで……言っておくけど、中毒者でも運び屋でも無いわよ」
「それにしては、妙に詳しい。アンニ草の事に関わらずこの国のことに対しても妙に知識が高いな」
冷めた目で見られて、ライラは肩をすくめる。
何か妙な誤解をされていそうだ。
「昔ね」
「うん?」
「小さい頃、私、滅多に外に出してもらえなかったの。人より少し魔力が高いせいなのか、自分でコントロールが出来なくて暴走を防ぐために城内の奥で軟禁状態にあったのよ」
「それはセルディから聞いたことがあるな。だから、兄妹でも幼少期は滅多に顔を合わせなかったと」
ライラは頷く。
「そう、だからお父様は私に少しでも快適な暮らしをさせようと、色々贅沢なものを用意してくれたのだけど、私はそれよりも古い文献の方に興味があったの」
「変わっているな」
「そう?」
「俺の知っている貴族の娘たちは……多少の例外もあるが、自分をどれだけ美しく見せるかどれだけ贅沢な暮らしをするかに興味を持っているからな。君ほどの美しさがあれば少し着飾るだけでも夢のように綺麗になるだろう?」
ライラは首を振る。
「それこそ興味がないわ」
「勿体ない」
「私の顔のことはどうでもいいわ。……ともかく私は時間を持てあましていたから、色々な国の本を読んでいたわ」
「だから博識なのか」
「知識だけよ。本には詳しい者なら葉の大きさや味の特徴がかかれているけれど、その土地の土がどんなに匂いかまで書いていないもの。……それにしても、どうしてこんな所にアンニ草があるのかしら」
ライラは話をはぐらかすように視線を根の方へ向ける。
暗がりで育ったアンニ草を誰かがここに持ち込んだと考えるより、ここにアンニ草が生息していたと考える方が自然だろう。光が届かない場所でも育つことが出来る植物だ。根に寄生してその養分を吸って成長したのだろうか。サラブの土でしか育たないと思っていたが、それは思い違いなのだろうか。育つ条件が他にあるか、ここにサラブの土が運び込まれていたのか、どちらか。
後者だとすれば、誰かがここで栽培していた事になる。それも、残された葉の状態から察するに最近の事。二十年も前の話では無いはずだ。
この場所で、誰が何のためにアンニ草の栽培を行っていたのか。
実質王族以外が開ける事が不可能な場所で。
「俺としてはあの少年の意図がわからないな。何故俺たちをここに入るようし向けたのかが」
「確かにそうね」
何か見せたいものがあったのか、やって欲しい事があったのか。そのどちらとも検討が付かない。
ライラは少女の彫刻の方へと近づく。
生きているかのような少女。
その表情をのぞき込んで少しぞっとした。
少女は生きているというよりも、そのまま死んでしまったかのように見えたのだ。まるでこの木の根の養分になるために。
「え?」
不意に、何か声が聞こえたような気がして、ライラはイディーを振り返った。彼もまた同じように驚いたような表情であたりを見回した。
「何だ、今の声は」
「あなたにも聞こえたの?」
「ああ、何を言っているのか良くわからな……、…っ!!」
彼は耳を押さえて顔をしかめる。ライラも同時に片耳を押さえた。
何か声が聞こえる。
まるで魔術干渉を起こされた時のように、頭の中に直接声が響いた。
少女の声。
脳裏に何かを訴えるように叫ぶ少女の姿が浮かぶ。赤銅色の長い髪を垂らした少女。その象牙色の頬には赤い紋様が刻まれている。彼女の唇から、声がこぼれ落ちた。
………ユクを、助けて。