5
いつも見る夢があった。
太陽に向けて少女が一人手を伸ばす夢。
淡青色の釉薬を塗って焼き上げた陶磁器のような美しい銀の髪。それが風に揺れるたびに桜色や象牙のような色、また浅い紫の色を帯びる。オーロラのようだと彼女はその髪に見とれる。
少女は何か歌を紡いでいるように聞こえたが、何を言っているのか聞き取れない。
ただ、純粋に美しいと思った。
……あなたは、だれ?
「姫」
声をかけられノウラははっとした。
どうやら夢のことを考えているうちにぼうっとしてしまったようだ。
心配そうに彼女を覗き込むのはオード・ミーディルフィールだった。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いいえ。何でもありません」
慌てて首を振る彼女にオードは柔らかな笑みを浮かべる。
「少し、お疲れのようですね。少しお休みされたらどうですか?」
そう言うと彼は彼女に椅子をすすめた。
オードは王宮を守る魔術師団に属しているが貴族の生まれだ。ミーディルフィール家と言えばディロード家よりもよほど立派な家柄であり、彼の父ネバはレブスト教の大司教を務める。
その三男とはいえ、本来ならば王宮警護の仕事につくことはない。けれど彼は自ら望んでこの仕事についた。家柄としては格下のデュマ・ディロードの直下の部隊に入り、今は一時的にノウラの護衛と礼儀作法の教師を務めている。
父親のネバ同様に物腰の柔らかく穏和な性格でノウラと十以上年が違うとは思えないほど若々しい外見をしていた。
この人と一緒にいれば悪いことなど起こらないと思える不思議な雰囲気を持った人だった。
「お茶でも淹れましょう。姫は紅茶がお好きでしたよね」
「はい。……あの先生、その姫というの、止めて頂けませんか?」
メイドに紅茶を持ってくるように頼み、オードは不思議そうに彼女を見返した。
「何故です?」
「その……慣れなくて」
貴族とはいえ、相当格が下のディロード家だ。今までにお嬢様と呼ばれる経験は多かったが、姫と呼ばれたことのないノウラはそう呼ばれるたびに居心地の悪さを感じていた。サイディス王が結婚を決めたとはいえ、まだ正式発表はされていない。いわばかりそめの姫なのだ。
オードはくすりと笑う。
「慣れて下さい。いずれは王后と呼ばれるのですよ」
「そう、ですね」
慣れなければならないだろう。
立ち居振る舞いも今までのようにはいかない。ちょっとした彼女の行為が王の悪評に繋がるとも限らないのだ。だから今こうして何度も繰り返し礼儀作法を学んでいるのだ。
けれどやはりそう簡単に慣れるものではないし、めまぐるしく変わる環境の変化に少し置いていかれるような感覚を持っていた。だから余計に自分のことをノウラ、お嬢様、と呼ぶ者が少なくなって寂しいのかも知れない。
オードは柔らかい口調で言う。
「もし、あなたが望むのでしたら、私だけはノウラとお呼びしましょう。ただし、二人きりの時だけですが」
「え?」
「それで貴方の気が少しでも和らぐのでしたらそれでいいと思います。その代わり、私のこともお呼び捨て下さい。あなたが先生、オードさまと呼ぶたびに私もくすぐったい気がするのです」
彼の照れたような表情にノウラは微笑む。
「はい、それではお願いします。ええっと……」
「ノウラ」
彼の名を呼ぶ声を妨げたのは父親の声だった。
ノウラは慌てて立ち上がりドレスの裾を掴んで簡単な挨拶をした。
オードは敬礼の代わりに丁寧なお辞儀をする。
父、デュマ・ディロードの後方には見慣れない男が立っている。簡易的に軍服を着ているが、見慣れているノウラには二人が正規軍でないことはすぐに分かった。
「お父様、どうかなされましたか?」
「この二人を紹介しておこうと思ってな。今日からこの城内の警護をお願いした、ジン・フィス殿とクウル・リディード殿だ」
黒髪の男が頭を下げ、対照的に茶髪の男は気安そうに片手を上げた。
「傭兵ですか?」
オードが問う。
「腕の立つ者だよ。ジン殿の噂は聞き及んでいるだろう。南から来た強い剣士がいると」
「ああ、ではあの噂の……想像よりずっと若く、男前なんですね。私はもう少しゴツゴツとした厳つい男を想像していました」
彼は黒髪の男を見つめながら笑んだ。
ジンと呼ばれた黒髪の男は僅かに口元を歪めただけで言葉を発しなかった。
「良く彼ほどの人物を雇い入れる事ができましたね。さすが閣下です。……閣下、少しお話したいことがあったのですが、お時間宜しいですか?」
「構わない。済まないが二人ともここで暫く待っていてくれ」
「分かりました」
「了解~」
クウルはひらひらと片手を振ってデュマ達が部屋の外に出て行くのを見守った。
広い部屋の中に知らない男たちと三人になったノウラは少し居心地の悪さを覚えた。クウルという男はエテルナードの人間のように陽気な印象を受けるが、ジンのほうは表情が厳しく何処か怖いという印象を受ける。
彼に見据えられるとまるで自分が王の婚約者であることを咎められている気分になった。むろん、彼にそんなつもりはないのだろう。自分に自信がないだけに、彼の強い眼差しが怖いのだろう。
ノウラは気を紛らわせる為に彼らに問いかけた。
「あの、お二人は何処の国の方なのですか?」
「サラブです」
「俺は竜の谷ぃー」
クウルの言葉にノウラはくすりと笑う。
竜の谷は竜達が住まうと言われている谷のことだ。風の国のどこかにあると言われているが誰もその正確な位置を知らない。そんなところ出身とはおそらく冗談なのだろう。
面白い人だ、と思った。
「ええっと、ジン様は……」
「ジンとお呼び捨て下さい」
彼は微笑む。
「様と呼ばれる立場ではありませんから」
笑うと、優しい印象が見える。
ノウラは少し赤くなった。
「すみません」
「肩の力を抜いて下さい。俺たちはそのために雇われたんです」
「え?」
「閣下は……」
「はいはーい!! 俺のことはぜひクーちゃんでお願いします!」
「クウルっ!」
ジンは眉間に手を当てた。
何となく二人の関係が見え、ノウラは笑みを零す。
「誰も俺のことそう呼んでくれないんだよなぁー、だからせめてノっちゃんだけでもそう呼んでくれると嬉しいんだけどー」
「ええっと……はい、ではクーちゃん」
呼ぶとクウルは嬉しそうに微笑む。
「えへへー、やっぱ女の子は可愛いなぁー」
「ナンパするなよ」
ジンに突っ込まれ、クウルは拳を握りしめた。
「可愛いものは可愛いって言って何が悪いの。でも、俺はナっちゃん一筋! 浮気はしない!」
「ナっちゃん?」
「ん、俺の奥さん」
結婚していたのか、とジンが呟き、自慢の奥さんだ、とクウルがのろけ始める。
ノウラは彼らのやりとりに微笑む。
他の傭兵とは何処か雰囲気が違う。
父がどう言うつもりで雇ったのかは分からないが、少しだけ気分が軽くなったような気がした。