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「すまない」
突然謝られてライラは驚いた。
イディーは極力ライラの瞳を見ないように務めるように視線をそらせた。
「その、それは、見られたくなかったのだろう? 魔法を使わせたのは俺だ。俺に関わっていなければ嫌な思いをしなくて良かったはずだ」
「ちょっと待って、どうしてそう言う話になるの?」
今までとはうって変わって気弱な発言をする男に逆に狼狽する。
奇妙な目で見られるのは覚悟していたし、不躾にジロジロと眺めてくる方がよほど彼らしい気がしていただけに、彼のこの態度は少し意外だった。
ライラはじっとりと男を睨む。
「まさかディロード閣下言葉信じて自信無くしたんじゃないわよね?」
サイディスではない。
そう言われてはいそうですかと頷けるはずがない。彼は十四年もの間、王として玉座にいたし、何よりオルジオ先王陛下によく似た容貌をしていると聞く。話がでっち上げである可能性の方が高いとライラは思っていた。
あんな言葉を信じたなら正真正銘の馬鹿である。
彼もまた首を大きく振った。
「それはない。俺はこの国の王だ」
「分かっているのなら良いけれど、地上にいる時と随分態度が違うわね」
「それは君が俺と年がさして変わらないように見えたからだ。それに君の立場も怪しかった。でも君は十七で、セルディの妹だ」
呆れたようにライラは息をつく。
「十七だって人を謀ることを知っているわよ」
「分かってる」
「同じ血を引いていたって褒められた性格ではない人はいるわよ」
「それも分かってるよ。そもそも、あいつ自身褒められた性格じゃない」
ライラはちらりと笑う。
「さすが親友ね、よく知っているわ」
彼女の兄セルディは一見すれば穏やかな性格をしている。会って話をしてもおそらく殆どの人間がその印象を変えないだろう。だが、親しい人間なら知っている。彼の怒りを買った人間も知っている。彼が見かけ通りの穏やかな性格では無いことを。
だから兄を友と呼んでいる男がその妹だからといって信頼する気になったのは意外だ。
「それでも私を信用するの?」
「信頼、だ。君が何をしようとしているのかもさっぱり見当がつかないが、人となりは親友が保証してくれている」
「あの‘性格が破綻した兄様’に保証されてもありがたみが全くないわ」
ぶは、とイディーが吹き出す。
吹き出してから口元を押さえていたが笑いをかみ殺す所ではなかった。これでは盛大に笑っていた方が潔いだろう。彼もそう感じたのかすぐに腹を抱えて笑い出す。
よほどライラの言葉がツボにはまったのか、イディーは暫く笑っていたが、やがて涙を拭って言う。
「ともかくここから脱出をしよう。城の地下水脈と繋がっていれば俺もある程度は道が分かる。問題は明かりがこれしかないことだが……」
イディーは光の剣を見る。
暗い中では相当な明るさがあったが、範囲が狭い。その明かりを頼りにして歩くには少し心許なかった。
ライラは笑って自分の剣を心の中で呼ぶ。
ふわり、と黒塗りの剣が現れた。
男が不思議そうにライラを見る。
「少し、力を貸してくれる?」
「何をする気だ?」
「上手く出来るか少し分からないけど、剣同士で魔術干渉起こして光にすれば魔法を使うよりも楽だと思って」
「うん?」
「こう剣を構えて」
「ああ」
訝りながらも男は彼女の指示通りに低い位置に剣を構えた。ライラは彼の横に並んでその巨大な光の剣に黒塗りの剣の刃を当てる。
キンと、金属のぶつかった音よりも遥かに高い音でどちらかの剣が鳴ったように感じた。
まるで松明から松明へ光を移す時のように仄明るく光っていた剣から黒塗りの剣に光が映った。真っ黒だった剣が白く輝き始めた。
再び剣が鳴る。
今度は黒い剣から光の大剣に光が移った。先刻よりもよほど強い光を帯びている。また音が鳴り、光が移った。剣から剣へ交互に光が移動していく様子は実に不思議な光景だった。
やがて二振りの剣に光が宿った。
魔法を使ったランタンよりもずっと優しげな光を放ち、当たりを照らし始めた。まるで陽の光が差し込んでいると錯覚しそうなほど柔らかい光だった。
「面白い剣だな」
「私もそう思うわ。光と闇の力を同時に乗せても壊れない剣なんてそうそうないのよね」
「何だそれは」
「出口を捜しましょう。上が今どういう状況になっているのか、早く確かめたいわ」
そう言って歩き始めた小柄な少女を大柄な男が追う。
静かな地下水道は二人が歩く足音と、時折天井から垂れる水の音しかしない。ネズミや虫の気配すらも感じられなかった。
少し滑りやすい足下に注意をしながらライラは先に進んでいた。
「そう言えば君だったんだな」
「私?」
「俺の寝室に忍び込んだ不届き者」
「ああ」
ライラは思い出して頷く。
「城内を刺激したかったのと、確認したいことがいくつかあってね。それと、あわよくば貴方に出逢えればと思ったの」
「君みたいな美人に夜這いをかけられるなんて、役得だな」
「色気のない夜這いよね」
くすり、とライラは笑う。
「ジンから聞いたの?」
「ジン? 南国の奇剣か? 君の仲間なのか?」
ライラは瞬く。
てっきりジンに聞いて可能性を確信に変えたのだと思ったが、そうではないようだ。
「仲間というか同盟者ね。彼に聞いたんじゃなかったら、どうして分かったの?」
「忍び込んだ者が小柄で瞳が赤かったと聞いたからだ。おそらくその瞳のことなのだろう?」
「……ちょっと待って、本当に赤い瞳だったの?」
「そう聞いたが」
ふぅん、とライラは考え込む。
魔法酔いとは言ったが、簡単な魔法で自分の瞳が反応しないことを知っている。あの時場に魔力は満ちていたがそれだけで自分の目が反応を示すとは思えない。無論ジンと戦闘したのが原因でもないだろう。だとすればあの部屋に何かがあったのだ。文字通り、目の色が変わる何かが。
「自分で分からないのが難点ね……今度鏡でも持ち歩こうかしら」
「何の話だ?」
「ああ、ごめんなさい。今はここから脱出するのが先ね」
イディーは苦笑した。
「一本道のようだから当分考え事をしていても大丈夫そうだぞ」
「まぁ、そうだけれど」
ライラは苦笑を返した。
「気を付けて行きましょう。何が出るとも限らないからね」
「そう言うと何か出るんだよな」
「不吉な事を言わないで頂戴」
彼女が軽く窘めた時だった。
不意に気配を感じた。
二人が同時に身構える。
照らされた地下水道の向こう側に何かが蠢いた。