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揺らぐ太陽の韻律  作者: みえさん。
第五章 水に棲む悪魔
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 デュマの位置からも彼女の表情に激情が走ったのがはっきりと分かった。美しい女の顔が激しく揺らぐ。

 恐怖か怒りか絶望か。複雑に感情が入り乱れ、ある瞬間、その顔から全ての感情が消え失せる。片側の瞳は血を吸ったかのように真紅に染まっていた。

 デュマが、その時反応出来なかったのは彼女があまりにも美しかったからだ。

 動くことも声を上げることも出来なかった。

 本能的に殺されると思った。

 自分だけではなくそこに居合わせた全てのものが殺されるのだと思った。

 それでもデュマは動くことも、彼女から目を離す事ができなかった。

 恐怖と表裏にある絶対的な美。

 戦場で見たのなら自分を迎えに来た美しい死神と思っただろう。

「駄目だっ!」

 誰かが叫ぶ。

 その叫びでデュマは我に返る。はっとして叫ぶ。魔法が来る。このままでは誰一人として生き残れない。自分のすべきことは軍隊を指揮すること。

「全軍退却!」

「……は……はいっ!」

 鋭く言うと慌てたように副官が返事をする。

 デュマは王と女のいる方を振り返った。

 空に何か巨大な魔法円が描かれる。

 不意に赤い髪の男が彼女たちに向かって駆け込んだ。だが魔法の壁に阻まれ彼はそれ以上近付くことが出来なかった。

 押し戻されそうになりながら彼は叫ぶ。先刻の声と同じだった。

「止せ! そんなことをしても、彼は喜ばない」

 男が叫ぶと彼女の身体が僅かに震えた。

 魔法円に僅かな光が現れる。

「くっ」

 男が厳しそうな表情を浮かべ、魔法円を見上げる。

 奥歯をぎりっと噛みしめ男が何か呪文のような言葉を唱える。持っていた刃が赤黒い輝きを帯びた。

「閣下! ここは危険ですっ! 早く……」

「お前達は逃げなさい」

「しかし、閣下!」

「私には見届ける義務がある」

 どうしてそう口にしたのか分からない。ただ、逃げてはいけないのだと思った。

 男が魔法円に剣を投げ込んだ。

 刹那上空の魔法円が爆発を起こしたように強い光を放った。同時に爆風が巻き起こる。武装していたデュマ達でさえ踏ん張ることが出来ず後方に飛ばされた。

 女に覆い被さるようになっていた彼の身体もまたその爆風で飛ばされ、欄干を破壊し、女と共に川に向かって投げ出される。

「陛下!」

 デュマは我を忘れて叫ぶ。

 彼の叫びは誰にも聞こえてはいなかった。

 ほぼ同時に男が高らかと叫んだ。

「   、お守りしろ!」

 声にならない声が聞こえ、男の影から何かが飛び出す。

 黒い影だった。

 この国には存在し得ない禍々しい影。

 それが一直線に落ちていった二人に向かって飛んだ。

 デュマはその一部始終を見つめていた。

 やがて爆風は収まり、呆然とする人々の上にぽつり、ぽつりと雨が降り始める。

「……雨か、厄介な」

 男が言う。

 デュマは立ち上がった。

「閣……」

 声をかけてきた副官に静かにするようにと促し、デュマは男を見る。

 降り始めた雨が勢いを増す。

 強い風に破壊された広場は見るも無惨な姿になっている。植物は枯れたように萎れ、綺麗に整備されていたはずの石畳は剥げ、まるで廃墟のようになっていた。

 魔法学は深く学んだわけではない。だが、何らかの理由で女が暴走し、それを男が食い止めたのは分かった。

 男は振り向いてデュマ達を睨んだ。

 その金の瞳には驚いたが、それ以上に目を惹いたのは顔を大きく横切る大きな傷だった。

 若い。だが、デュマ以上に過酷な状況をくぐってきたのではないかと思えた。好きこのんで人を殺すような印象はないが、必要ならば仲間でも切り捨てられる軍人の瞳をしていた。

 からん、と男の足下に先刻投げつけた剣が落ちる。頼りのない印象を受けるような剣。それでも名だたる名称が研いだような鋭さがあった。

 男はそれを拾い上げ軽く払って鞘に納める。

「あなた方の国は命が欲しくない者がいるようだ」

「貴殿は……」

 声をかけると男はデュマに向き直る。

「リオリード・ロズヴィ。戦士殿はこの国で地位のある方とお見受けするが」

 聞き覚えの無い名前だった。響きはどこか東方の名前に似ている。熟成させた葡萄酒を思わせる髪はこの辺りではあまり見られない色だ。おそらく東方インディシアの人間なのだろうと思う。

 階級は分からない。だが、落ち着いた物言いや静かな口調は、身分の高い人間のように思えた。なるべく非礼にあたらないように挨拶をする。

「失礼を。デュマ・ディロードと申す。軍部を統括する者だ」

 ほんの僅か男の口元が緩んだ。

「この国に来て幾度と名前を聞いている」

「不名誉な噂であろう」

「それもまた実力のうちだ」

 デュマはちらりと笑う。

「面白いことを言う」

「あの場で逃げるような指揮官ならば噂通りとも思ったが……先刻の矢は、軍師殿の指示ではないな?」

「私はあのようなだまし討ちを指示した覚えはない」

 彼はさも当然というように頷く。

「くれぐれも取り逃がさないよう要請する」

「ロズヴィ殿は何かご存じなのか」

 彼が静かにデュマを見据える。

 今ほど雨の音も視界を遮るような気配も疎ましく思ったことは無いだろう。男に救われたのは事実であるが、だからといって味方とも判じられない。

 ただ低く掠れた声には謀ろうとするような邪念は感じられなかった。

「軍師殿」

「何だ」

「この国で殺人はどのくらいの罪になる?」

 一瞬、意味が分からなかった。

 だがすぐに把握する。

 考えていることは分かるが、目的がさっぱり分からない。だが面白い男だと思った。笑いをかみ殺したために引きつった笑いのような表情が浮かんだ。

「陛下を殺害したのであれば死罪は免れない。だが、そうでないのであれば情状酌量の余地はあるだろう。例外はあるが、少なくとも取り調べるのに時間がかかる」

「そうか」

「剣を預からせて頂いても構わないか」

 男は無言でベルトごと剣を外し、デュマの方へと投げた。デュマは片手でその剣を受け取る。

 折れずにいたことが不思議な程軽い剣だった。


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