13
「絶妙なタイミング。この状況だとどうしてもキカを疑いたくなるわ」
ふうと溜息をついてライラは今までキカがいた方を見つめる。そこには既にキカの姿はなく、周囲にいた人々も巻き込まれることを恐れてどこかへと逃げていったようだ。
上から呆れたような声が降ってくる。
「流暢に言っている場合か? ……デュマ、これはどういうことだ?」
サイディスは剣を抜いていたものの構えずに総統閣下を睨み付ける。
睨まれた男は静かな瞳で見返した。
良く切れる剣のようだ、とライラは思った。
「陛下、いえ、どのようにお呼びすれば適当であるか分かりませんが、あなたに玉座簒奪の嫌疑がかかっております。どうか、大人しく来て頂きたい」
「玉座簒奪だと?」
「オルジオ先王陛下の嫡子であるサイディス様は幼少の頃悪漢に連れ攫われました」
皆までいわずとも分かった。
彼は剣呑な笑いを浮かべる。
「その時に入れ替えられた可能性があると?」
「はい」
「親が子を間違えたとでもいうのか?」
「当時サイディス様は赤子でした。よく似た容貌の者がいたとして見間違えないという保障がありません」
「ではなぜこの俺が偽物だと?」
「当時悪漢を手引きした者が捕まり証言をしました。首謀者の元にサイディス様以外によく似た男の子供の姿があったと」
「それが俺だと?」
「その可能性が高くなりました」
「偽物というのならそれでもよかろう。だが本物であったのなら、すみませんでは済まないぞ、ディロード伯」
言われた男はさも当然という風に頷く。
「無論、承知しております」
「覚悟の上で王に刃を向けたというか」
「貴方が真オルジオ陛下の嫡子であらせられたならば、いかなる罰もお受け致します。なれどオルジオ先帝の血を引かぬ者を玉座に据えておくわけにはいきません」
よほどの覚悟が無ければ出来ないだろう。
もしくは彼が偽物であるという確証がなければこんな事は出来ない。ディロードはもうすぐ自分の娘と王との婚約が発表される。この状況で偽物だと暴くことが賢い選択とは思えない。
それに。
ライラは彼を見上げる。先刻までは傭兵のイディーであった顔が、国王サイディスの顔になっている。偽物であろうとなかろうと、彼が十四年間玉座に座り続けたのは確かなのだ。
「もしも偽物なのだとしても、彼は被害者ではないのかしら?」
ライラが言うとディロードは初めてそこにライラがいることを認識したような驚いた表情を浮かべた。
だが、それも一瞬のこと。次の瞬間には今までと変わらない硬い表情を浮かべていた。
「偽証するつもりは無くとも玉座簒奪は大罪です。ですが、本当にご存じないと言われるのでしたら正当なる王から恩赦はあることでしょう」
良くも悪くも彼が偽物ならば処刑されるだろう。
その形式が違うだけで。
万一命をつなぎ止めたとしても一生牢獄から出ることを許されない。それでは事実上死んだのと同じ事だ。
そしてここまでするのならば例え本物であっても偽物に仕立てるだけの覚悟はあるのだろう。つまり、取り調べや裁判など行われても形だけだ。
「だが、貴方には自分を攫った悪漢と共謀している疑惑があります」
「何?」
「今、ロデンフォーク隊がジュール卿の身柄を確保している所でしょう」
「コルダが……?」
彼は目を丸くした。
本当に驚いている様子だった。
ライラは慌てて彼の脇腹をつつく。放心している場合ではない。
「貴方にも大人しく従って頂きたい。そちらの方にもご同行を願う」
「彼女は無関係だ」
「それを調べるのが我々の仕事です」
ライラは口元を覆い彼にだけ聞こえるように言う。
「罠ね」
「だろうな。だがこの状況では逃げおせまい。大人しく捕まるしかないだろう」
呆れてライラは彼を睨む。
「貴方ね、戦争したいの?」
「は?」
「私が誰なのか忘れていない?」
一瞬考えて、彼は苦々しく笑った。
「王族というのは難儀なものだ」
「本当に」
ライラが民間の者だったのなら問題はない。だが、王位継承権者という肩書きがくっつくと厄介になる。イディーがティナと繋がりがあったと疑惑が持ち上がるだけではなく、ライラの身に何かあればティナとエテルナードとの間に火種を産む。
目撃者の大半が軍部関係者とはいえ、厄介ごとを払うようにライラを裏口から返す訳にもいかないだろう。継承権者の肩書きが付いているからなおのことだ。
捕まる訳にはいかない。せめてライラだけでも逃げる必要がある。
ちらりと見やった川は急流だ。飛び降りるのは自殺行為。空に逃げたとしても相手はこの人数。追撃されればひとたまりもない。相手の命を考えず強行突破をすれば逃げられるだろうが、戦争になるくらいならそのくらいの犠牲は安いものだろうが、気が進まない上に、ライラは二度とエテルナードに入れなくなる。
それは困る。
「どうする、強行するか?」
「それは貴方も困るんじゃないの?」
「玉座など初めから欲しくはない」
「問題発言ね」
少なくとも十四年も玉座にいた王様が言う言葉ではない。
「少々状況が良くないが、俺はこの時を待っていた」
「……少々、なのかしら。私には最悪に見えるわ」
「命さえあればどうとでもなる。君を巻き込まれただけの人質にすることも」
「それは……」
さすがに無理があると抗議しかけた時だった。
鋭い魔法の気配を感じた。
突然すぎて咄嗟に反応が出来なかった。
「危ないっ!」
叫ぶと同時に、イディーの巨体がライラの目の前に覆い被さった。
肉体に何かが突き刺さる鈍い音が聞こえた。
ライラは目を見開く。
兵士達の間にも唖然とした空気が広がる。
しん、と静まり返った中、ずるり、とイディーのからだが滑るように落ちる。
背には無数の魔法の矢が突き刺さっている。
ライラは手にぬるりとした感触を覚えた。
手が、
赤く、
染まっている。
「………っっっ!」
叫んだつもりが声にもならなかった。
彼が生きているのか死んでいるのか。それすらも確認できなかった。
ただ見開いた目に強い魔力が籠もる。
彼女の左目は真紅に染まっていた。
「駄目だっ!」
誰かが叫ぶ。
それが誰なのかも分からなかった。
ただ突き抜けた怒りと悲しみが虚空を撫でる。
再び誰かが叫んだ。
「止せ! そんなことをしても、彼は喜ばない」
ライラは目を閉じた。