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手紙は読むのに時間のかからないほど短い文章だった。はっきり言えば主の文章は一行だけだ。数秒もあれば読めるだろう。
だがライラはその文章を見つめたまま暫く何も言わなかった。まるで余白に書かれている文章を読んでいるかのようにじっと手紙を睨んでいた。
やがて覚悟を決めたように頷いた。
「キカ、イディーと連絡とれるかしら?」
「どうするつもりです?」
「手紙は彼宛よ。彼に返すのが礼儀よ」
勝手に開けて読んだ後では説得力のまるでない「礼儀」だったが、戻さなければならないのは確かだった。
キカは暫くライラを見つめていたが、やがて頷いて見せた。
「では北の欄干まで呼びます。そちらで落ち合いましょう」
「お願いするわ」
ライラが言うとそれ以上何も言わずにキカは酒場を後にした。
その姿を見送ってライラも立ち上がる。準備しておく必要性があるだろう。ここは覚悟の決め所なのだ。
不意にマヤが袖を引っ張る。
「ねね、ライラ、あいつ、何?」
「何って……」
「血とか流れてねぇし、生活とか随分違うから気のせいかもしんねーけど、あいつさ、ユリウス殿下と似た匂いするんだ」
ライラは目を瞬かせ、確認するようにシグマの方を見る。
彼が静かに首を振った。
「私はマヤほど鼻が利くわけではありませんので」
そう、マヤは鼻が利く。
こういう表現をすれば勘が鋭いと思われがちだが、表現などではなく本当に嗅覚が優れているのだ。マヤも、その父親であるクウルも「竜族」と言ったところでただの冗談に聞こえるほど人と変わりない。マヤに仕えるシグマも銀の髪や瞳は珍しいものであるが、人と言って差して違和感を覚えるほどでもない。だが、彼らは人ではない。人の常識で考えれば匂いだけで血の繋がりを指摘出来るものではないが、マヤにはそれが出来るのだ。
似ているというのはつまりそう言うことだ。
気のせいかも知れないと前置きする所を見ると一瞬じゃ分かりにくいほどに繋がりが薄いか、生活環境が違いすぎるために別の匂いで分かりにくくなっているのだろう。せいぜい分かるのは従兄弟くらいまでだと言っていたし、例え双子でも環境が違うと匂いも違うのだと前にマヤが話していたのを聞いたことがある。
だが、嘘を本当のことのように言う人ではない。キカとユリウスが近い繋がりがあると考えた方が正しいだろう。
「キカはエテルナード人のようには見えないわ」
「俺もそう思う。でもってユリウス殿下はすっげー純粋なエテルナード人って感じだった」
「それって、どういう事なのかしら」
ライラは指先で唇を撫でた。
キカは特殊な村の出身と言った。師匠に拾われその村で育ったのだと。その村はおそらく後ろ暗い面を持つ村なのだ。罪人達が集まる村か、金次第で殺しを請け負う人があつまる村か。ライラの予測ではおそらく後者だ。
コルダと言う名に覚えがあったのは古い歴史書の中で出てきた高名な殺し屋の名前と同じだったからだ。強い人間にあやかってその名前を付けたがる人間は山ほどいる。だが殺し屋の名前と知っていいて付けたとしたら趣味が悪い。だが、殺し屋として育てるつもりで付けたのなら話は違う。
少なくともそう言った人間達が住んでいた村なのだ。そこで暮らしていたキカと、王の弟であるユリウスから同じような匂いがするというのはどういう事だろうか。どれだけ隔たりがあるのか血が直接流れればマヤの鼻が感知するだろうが、魔槍使いを名乗っているキカはともかくまさか王の弟を傷つける訳にはいかない。
「難しい問題ね」
どの程度の繋がりか、そしてそれをキカ自信が知っているかどうかでも話が変わってくる。それによってキカの目的も変わってくる可能性がある。あるいはコルダとキカの関係も疑わしくなる話だ。
「調べようか?」
はぁ、とシグマが溜息をつく。
「そんな簡単に言うことではありません。調べるもなにもどうやってやるつもりですか」
「や、俺なら今近付いても問題ないし、ちょっと手が滑った振りして……」
「駄目よ、貴方は今私なんだから、国交問題になるわ」
「んじゃ、実は俺ライラじゃねぇって言って……」
「それこそ外交問題に関わります。あなたも詐欺罪として捕まることになりますよ」
「俺は別にかまわねぇし、親父もこっち来てるんだろう?」
「ええ」
「だったら何とかなりそうじゃん。風の国じゃ竜が上空に現れただけで大騒ぎだったし、ここだって混乱するだろ? そのスキに逃げて……」
「マヤ!」
半ば泣きそうな声でシグマが叫ぶ。
そんな危険なことをさせられないと言っているのだ。竜族は人の形を取っている時ですら簡単に人に殺されることなどあり得ない生き物だ。だが万が一のこともある。それを危惧しているのだ。
ライラも即座にその危険な行為は止めろ、と言い含めるところだったが、不意に妙案が浮かび再びテーブルに付いた。
「案外と、いい案かもしれないわ」
「あなたまで何を言い出すんですか!」
嫌悪感を隠そうともせずにシグマはライラを睨む。シグマは当然ライラも同意見だと思っていたようだ。
ライラは軽く肩を竦めた。
「叔父様を囮にするのは反対よ。第一、マヤとシグマを助ける為だからと言ってあの人が簡単に竜の姿になるとは思えないわ」
「なられては困ります」
「そう、なられては困るわ。だから、最悪の事態は避けたい。でもね、シグ、キカの事はこの際置いておくとしても、思い切って偽物だと告白するのは良いことだと思うわ」
シグマは忌々しげに顔をしかめて見せた。
「いっそ本物の十三からの書状を持ち歩きましょうか?」
それは半ば嫌味だったのだろう。だが、ライラはそれに対して頷いて見せた。まさにその通りのことを考えていたのだ。
「そうね、手紙を書くわ。王様宛に。無論途中で検閲されるのだろうけど」
「……何を書くつもりですか?」
「お祭りは準備も後かたづけも大変でしょうが、そんなときに伺ってもいいですか、というお伺いを立てようかと思って」
ライラはにこにこ笑いながら穏やかに言う。
内容は穏やかではない。本当に国王宛に出す手紙はもっと形式張って分かりにくくなるだろうが、頭の良い人間ならば言外に含ませている意味に気付く。このタイミングであればこそ、それは直接的な言葉にすら聞こえるだろう。
つまりはこういう事だ。
『偽物を立てたのはエテルナードに内乱の兆しがあったためであり、王位継承権者という立場なればやむを得ないものである。だが、非礼であるのは確かである。もしも不穏なものの排除の為に十三の力添えが必要ならば援助をすることもやぶさかではない』
王に対しても、謀反を企てようとしている人間にも明かな挑発となる。美辞麗句を並べての、であるが。
小物ならばこの書状に怒るだろう。そして大物ならば笑い飛ばす。狸ならばそれならば遠慮無く利用しようと考える。
ライラはこの国の王が大狸であると踏んでいた。
額面通りに捕らえれば純粋に正式訪問の許可を取るためのものであり、無視することは出来ない。まして、国王に宛てた親書なのだ。それでも場合によっては返答が王以外から返ってくる可能性の方が高いと思っている。
その意味を悟ってシグマは観念したように息を吐く。
「私の最優先事項はマヤをお守りすることです」
すかさずマヤが割ってはいる。
「俺の最優先は今んトコ、ライラだよ」
それは二人ともライラの案に賛成と言うことだ。
ライラは二人に向かって微笑んで見せた。
「私は、最悪写本さえ燃やせればそれでいいわ」