10
大きく剣を振りデュマは態と懐に入り込める隙を与えた。
彼はそれを見逃さず一気に突き込んできた。が、ほんの僅か身をよじっただけでデュマはその未熟な太刀筋を交わす。悪くない判断だが甘すぎる。隙を見つけたことに喜んで次の攻撃が来ることをすっかり失念している動きだった。剣を持っていない手で彼の腕を強く押しやるとバランスを崩しすぐに転倒した。
すぐに立て直し躍りかかろうとしたが、眼前に剣を突き付けられる方が早かった。
冷たい汗がゆっくりと彼の顔を流れ落ちた。
「実戦だったら首が無くなっていたな、レント」
横から声をかけられてレントは睨む。
父親から浴びせられた皮肉に反論出来ないのは自分でもその通りだと思っているからなのだろう。少年は唇を噛むだけに留まった。
だが、父親の息子に対する攻撃は止まない。
「たく俺の息子が、一撃もあびせられねぇとは……情けねぇ」
「そう言うものではないよ、ジュール卿。ご子息は確実に腕を上げられている」
正直を言えばレントの剣技の才能は凡庸だった。全く才が無いわけではないが、力の強い国王や南国の奇剣と呼ばれるあの男のような才覚はないだろう。小柄な体格であるが故に剣が重すぎるのだろう。武器を持ち変えればあるいは思わぬ才覚を目覚めさせるかもしれないが、本人が長剣に拘っているのだ。もう少し成長するまで待つべきか判断に困る。
「そう褒めねぇで下さいよ、閣下。これが冗長する。ほら、てめぇはとっととどっかに消えろ。閣下の手を煩わせるんじゃねぇ」
まるで小蠅を追い払うような手つきでコルダは手を振る。
レントはぐっと表情を引き締めて立ち上がる。
少し前まではこの言葉に過剰に反応して食いついていたが、さすがに成長をしていると言うことだろうか。レントは不満に思う気持ちを隠そうともしなかったが、大人しく頭を下げた。
「ご教授感謝します」
一瞬鋭い視線を父親に向けて、レントはばたばたと駆けていく。
それを見送ってコルダは鼻先で笑い飛ばした。
「かわいげのねぇガキだぜ」
「紛れもなく貴方の息子だ、ジュール卿」
嫌味を言うつもりだったが、どうもそれほど効果的でもなかった。コルダは全くその通りと声を高くして笑った。
「そう言う閣下の娘も、紛れもなくアンタの娘だ」
「何の話だ?」
「ノウラ嬢の話ですよ。嬢ちゃんはこっそり街に降りて随分と面白い情報を仕入れてきた。さすが、アンタの育てた娘だ」
まるで親友を小突くようにコルダの手がデュマの肩を叩く。だがその瞳には鋭い色が浮かんでいる。
コルダはデュマの親友であった先王が気に入って王宮に招いた男だ。身分がそれほど高くない騎士の出生である自分が言えることではないのだろうが、コルダの素性を知っているだけにデュマとしては受け入れがたい人間だった。だが、おそらく自分の少なからずあの風変わりな先王に影響されていたのだろう。何かするのではないかと目を光らせながらも結局は城にいることを自然に思うようになってしまった。
一部の者に言わせればディロード閣下とジュール卿は不仲なのだという。顔を会わせれば辛辣な嫌味の言い合いが始まることが多いからなのだろう。その上コルダは気に入った相手の身分を厭わず酒に誘う人間だ。それにも関わらず二人が一緒に飲みに出たことがないのだ。どちらかに含みがあると思われても仕方がないことだ。
だが、実際はそうでもない。コルダは元より誰彼構わず人に言いたいことを言うタイプであるし、デュマにしてみても彼とのやりとりを楽しんでいる節がある。コルダの方がどう思っているのかは知らないが、デュマは立ち居振る舞いはともかくとしてコルダの働きぶりを評価し、能力に関しても高評価をしているのだ。
その有能な男の目が怪しく輝いていた。
「なぁ、旦那」
コルダはデュマの肩に手を置いて表情を伺い見るようにしながら言う。知らない人が見れば街のごろつきが身分の高い人を揺すっているようにしか見えない仕草だ。
「街であんたの噂は結構ながれているようじゃねぇですか」
「色々?」
「あんたが、王を弑するつもりだとか、王を傀儡にしているとか。ろくなもんじゃねぇですよ。王とアンタはそう言う関係にあるって噂もあるくらいだ」
そう言う関係とは何だ、と覚えず聞き返しそうになった。
無論、そう言う趣味のある人間がいることは知っているし、戦場で血に高揚した人間が男色に走るのも見たことがある。それを理解してはいるが、自分に限ってはそれはあり得ないと笑い飛ばせる事柄だ。まして、仕える王家の人間とそういう間柄になることはあり得ない。
正直言って、自分とあの王との「そういう関係」というのは想像が出来ない。若い頃の自分とお忍びで兵士に混じっていたオルジオ王との間にそんな噂があったのも知っているが、どちらも笑えるほどないのだ。
他人がどんな風に見ていたとしてもそれは言いきれる。
反応が面白かったのか、コルダはくっと笑いを漏らす。
「吠えるしか能のねぇ連中がぐだぐだ言ってますが、どうするおつもりで?」
「言わせておけばいいだろう」
「はぁ、問題はねぇ、と?」
試すような目。
否、彼はいつもこういう目で人を見ている。相手がどんな人間なのか推し量っているところがある。
「私を貶めるつもりならばそれもよかろう」
「一緒に王やノウラ嬢が貶められても、ですかねぇ」
「ノウラは私の娘だ、心配はあるまい。陛下なら笑い飛ばされるだろう。事実にしてしまえと悪ふざけをされるかもしれん」
一瞬、コルダの表情が凍り、次の瞬間には盛大に吹き出した。
「なるほど、オルグの息子だ、やりかねん!」
オルジオ王、かつての呼び方をすればオルグはそう言った悪ふざけを言い出すのが好きだった。快活な男だ。大抵は相手をからかうための口実であるが、時折冗談で言ったことを本気で実行してくるからたちが悪い。さすがにあらぬ噂を「事実にされる」ことは無かったのだが。
「だが、閣下。あんたに含むところがないとは言わせねぇですぜ」
「何の話をしてる?」
「あんたの今の立場、正直言って微妙だ。ディロードは先王が取り立てなければせいぜい街の子守を一任される程度の家柄。俺が言えたことでもねぇですが、古くからある貴族連中はアンタが重要な所に付くのは面白くねぇ」
「……」
「それでもアンタにはそれを笑い飛ばせるだけの才覚があった」
「それはジュール卿も同じことだ」
「そうです」
コルダはデュマの評価を認めるようにあっさり頷く。
傲慢なわけではない。
彼は自分が過小評価されるのを良しとしない人物であるが、過大評価されても同じような反応を示す。こういうところは素直な男なのだ。
「だが今は状況は違う。以前から頻繁に噂になり、ノウラ嬢に子供が出来たのならまだ納得も出来ただろう。これでは突然振って湧いたような話だ。正直俺はこのタイミングで結婚を決めたと聞いた時あんた等の頭がいかれたと思いましたぜ?」
「王は娘を欲しいと申された。娘も納得した上だ」
「嬢ちゃんは王城で貴族令嬢達を見て育ったにも関わらず純情な娘です。だが、やって出来ないことも無かった。何故子供をつくらせなかった?」
探るような目つき。
デュマは睨んだだけでそれには答えなかった。ただ、おそらく自分の口元には覚えず笑みが浮かんでいることだろう。無表情を装っているが、長い付き合いのコルダには分かってしまう。
く、とまた面白そうにコルダは笑った。
「忘れてました。あんたは、あの変態と長年友人だった変人でしたね」
「変態、とは誰のことだ?」
「甘い酒を好んで飲んでいたあいつの事ですよ」
「あいつ、とは聞き捨てならんな。ジュール卿は先王にもっと敬意を払うべきだ」
「はん、変態ってのは認めるんですね?」
「それは私には答えられぬ質問だよ」
先王陛下の「甘い物好き」にはデュマでさえ辟易としているところがあった。よくあれで虫歯一つない健康体だったと今でも不思議に思うくらいだ。
だが不敬罪を問われかねない言葉だ。誰も聞いていないとしても迂闊に口には出せない。
「アンタは相変わらずだ。……ところで閣下」
「何だ」
「閣下のお耳にいれておきたいことがありましてねぇ」
コルダは周囲に人がいないのを確認してから、デュマの耳元で耳打ちをする。
デュマは傍目からは殆ど表情が変わったとは分からない、それでも酷く驚いたような表情でコルダを見返した。
「本当かね、それは」
「俺がちゃんと起きていれば寝言ではねぇですよ」
言いながら彼は自分の頬をつねって見せる。
「レブストに誓ってもいいくらい本当の事です。まぁ、信仰なんてしちゃいませんけどね?」