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「うーん、何だろうな、この箱」
マヤはブツブツ呟きながら預かった箱を乱暴に振る。
手の平よりも大きい程度の細長い箱は固く閉ざされており中を確認することも出来ないくらいにきっちり閉められている。
人宛のものを勝手に見る趣味はないが、こうもがっちりと閉じられていると逆に気になってしまうのだ。それは分かる。だが、
「お止めなさい」
シグマは幼い主の手から箱を取り上げる。
「万が一にも危険なものであったらどうするんですか」
「でもさー、中身気にならねぇ? そのヴォルムとかいう兄さんも見当たらねぇし、ずっとここで待つわけにもいかねぇし」
「だからといって振り回さないで下さい。……呪力封印がされています」
最後の下りだけは声を低くして他の客に聞こえないように言う。酒場というのは人の出入りが激しい。騒がしいために他人の会話など聞き入っている者はそうはいないが、どこで誰が聞いているかも分からない。
一瞬マヤはきょとんとして瞬いた。
「ジュリョクフウイン? ああ、あれか。見ちゃイヤン開けちゃイヤン」
「もっとマシな表現して下さい」
「ん、でもそういうのだろ? 他の人に見られねぇように、カギを持っている人だけしか開けられないっての」
はい、とシグマは頷く。
「この場合、鍵というのは魔力の事ですが、魔力が高いからと言って開けられるものではありません。強行手段に出れば中身ごと吹き飛ぶ危険があります………ので、いきなり魔力をたたき込もうとするのはおやめください」
「……何で分かるんだよ」
「そんなうずうずとしているような顔で見られれば誰でも分かります」
「えー? 俺そんな分かりやすくねぇって」
「どうですか」
「分かりやすいって言うのはお前の……んーー?」
マヤはのけぞって外の方を気にするように見やる。
今度はシグマの方が瞬く番だった。
「どうかされましたか?」
「ん、何か……」
がらん、と音を立ててドアが開く。
店員が大声でいらっしゃいませ、と声をかける。
そこにいた人物を認めてマヤは笑顔になった。
シグマが止める間もなく彼の身体が宙を舞い、入ってきた人物に飛びついた。突然のことに驚いたのか彼女は小さく声を上げたが、その声は周囲の声にかき消された。彼らの行動をちらりと見やる者もいたが、どちらかというと酒に夢中になっている様子で、殆ど気にも留められていない。
それを良いことにマヤは彼女にほおずりをする勢いで抱きつく。
「やっぱりライラだ! おひさしー」
外見年齢は彼女の方が上であったが、背格好は似ている。
小柄な二人が抱き合っている姿は友人同士が久しぶりに会ったかのようにしか見えない。
ライラがくすりと笑う。
「ええ、久しぶりね。元気そうでなによりよ。それと、色々頼んでしまってごめんなさい」
「別にいいって。ん? そっちの兄さん誰?」
マヤはライラを抱きしめたままその後ろを付いてきた男を見上げる。
独特な服装をした長身の男だ。顔の半分がケロイド状になっている。酷く険しい顔つきをした男だった。シグマが男を睨むと、男も睨み返してくる。
彼女と一緒にいるのが不似合いな程、濃い血の匂いのする男だった。
「キカよ。訳あって協力してもらっているの」
「そっかー、よろしくな。えっと、俺は」
「聞いています。マヤ、ですね。で、そちらがシガノフさん」
ばちん、と火花が散りそうな空気が二人の間を流れる。
勘の鋭い人が一瞬振り向いた位の不穏な雰囲気が漂っていた。
まさに一触即発。どちらかがもう一言何かを言ったら斬り合っていてもおかしくない雰囲気があった。その緊張を蹴破るように、マヤが笑い声を上げる。
「無愛想だけど、悪い奴じゃねぇから」
キカに向けられた言葉だが、シグマは憮然と言い返す。
「無愛想で悪かったですね」
「だったらお前少しは笑えよ」
「楽しくないのに笑えるほど器用に造られてはいませんので」
「あはは、確かにシグはそうだよな」
シグマは唇をへの字に曲げた。
これ以上何か言っても倍にして返されるのが落ちだ。黙っていることにする。ついでに会話も聞くのに専念することに決める。
それを知ってか知らずか、マヤが話を変える。
「そういえば、何でここ来たんだ?」
それはシグマも尋ねたいことだった。
ライラを見ると彼女は経緯を説明する。男が刺されたあの件で聞きたいことがあって来たのだという。あの時、男が倒れたすぐ近くにマヤの姿を見ていたライラは襲った男の方を追った。結果、どちらも生きていないが、いまわの際に何か会話を交わしていたと聞いてここまで来たそうだ。
「そっか……二人も死んだんだな」
うう、と唸ってマヤは顔をごしごしと擦る。
沈んでいる気分を一新させたい時の癖だ。
見ず知らずの、しかも人間如きの一人や二人のために優しい主は心を痛めているのだ。それなのに何も出来ない。
シグマは強く拳を握る。
「で、俺に聞きたい事って、あの人が言い残した事なんだよな? っていってもさ、俺は頼まれただけなんだよ。この箱を、渡してくれって」
いつのまにシグマの手元から奪ったのかマヤは再びあの箱を振り回しながら言う。
覗き込んでキカが首を傾げる。
「呪力封印がされていますね。誰に渡せとたのまれたんですか?」
「ここに出入りする大柄な男で、ヴォルムっていう……」
ぴくり、と二人の顔色に変化が産まれた。
明らかに知っている名前を耳にしたという風情だった。二人ともその名前が出たことを不思議に思っているような、妙に納得しているような顔をしている。
その反応に瞬いたマヤの方がよほど不思議そうな顔をしていた。
「んん? 知ってんの?」
「ヴォルム違いじゃなければね」
「意外な所に繋がりましたね」
「そうね。……ちょっとその箱見せてくれる?」
「うん、いいよ。って俺のじゃないけど」
マヤの手からその箱がライラの元に移される。
彼女の手に触れた瞬間だった。
ぱりん、と何かがひび割れるような小さな音が聞こえた。
それが何であるか判断する前に、箱が真っ二つに割れ、音を立てて床の上に落ちた。
「……?」
普通に考えればライラが何かをしたはずだ。
だが、当人もその事態に驚いたような表情を浮かべている。彼女の手元には白い書状が残っていた。
彼女の後ろにいるために彼女の表情が見えていないキカが呆れたような声を出す。
「……一体何をしたんですか、貴方は」
「え? あ、何もしていないわ、まだ」
「まだ?」
さらに呆れたようにキカが呟く。
「結局はする気だったんですね」
「ええっと、珍しい封印の仕方だったから少し見たいと思っただけなのだけど。どうして触っただけで開いたのかしら」
彼女はブツブツといいながら割れた箱を拾い上げる。
箱に描かれていた呪力封印の紋様は役目を終えて白い煙になって消えていった。
仕方がない、と息を吐いて彼女は書状を開く。
「見るのー?」
「この際だから、ね」
箱が空いてしまったのだ。見ていないと言い張っても説得力はない。だとしたら本当に見てしまった方がいいという事だろう。
彼女らしい判断だ。
「んじゃ、俺も共犯」
マヤがライラの持っている書状を覗き込む。キカもちゃっかり共犯者になっている。その表情がみるみる凍り付いていったのがシグマにも分かった。ライラは蒼白になり、マヤだけが瞬いて見ている。
「え、これってどういう意味?」