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「おー、すげー! 人も店もすっげー!」
マヤはきょろきょろと周りを見渡す。
どこの国も首都や副都となればにぎわうものだが、大祭が近いと言うこともあって、エテルナードの城下はいつもの倍近い人や店がひしめき合っている。
これだけ多くの人がいる光景をマヤは見たことがない。シグマですら初めてだ。少しうんざりとした表情で彼は、マヤの耳元で窘める。
「あまり騒がないで下さい。どこで誰が見ているか分かりませんよ」
「んー? 何? 聞こえねぇー。あ、シグ、俺あれ喰いてぇ! 大王烏賊オクタンの逆襲だって。あはは、変な名前ー」
「マヤ!」
笑いながら彼は焼けるソースの香ばしい匂いがする出店に向かって走る。
聞こえない、というのはもちろんウソだ。そんな簡単なウソを見抜けないシグマではない。
咎めるように追いかけると、彼は店の親父から丸っこい塊が四つ乗った皿を受け取る。
シグマは息を吐いて親父に看板に書かれている代金を手渡す。
一口サイズとは到底言えない大きさの丸い塊を串で口の中へと運ぶマヤを睨み付けながら言う。
「貴方はお金を持っていないことをお忘れですか?」
「んー? ほうはっけ?」
「口の中にものを入れたまま喋らない! ……少し見るだけだからお財布は必要ないと宿に置いてきたのはどこのどなたですか」
「知らねぇ、俺以外の誰かじゃねーの? それよりこれ結構旨いぜ、お前も喰え!」
「んぐ」
大きな塊を半ば強引に口の中に詰め込まれたシグマは覚えず呻く。
熱い上に食べにくいが味はそんなに悪くは無かった。むしろ故郷を思い出すような懐かしいというか素朴な味で好きだった。
「なー、旨いだろう?」
何とか咀嚼し飲み込み、軽く咳き込みながら彼の問いに答える。
「た、確かに美味しいですが、それとこれは話が別………んっっ!」
二つ目を、何の前触れもなく放り込まれてシグマは口元を押さえる。
「仲良く半分こ」
「……」
「お前さー、せっかくのお祭りなんだから少しは楽しめって。お忍びごっこだけど、仕事とか思わないでさ。……なんだよー、お金なら戻ったらちゃんと返すって」
口の中のものを綺麗に飲み込んでから、シグは首を振った。
「お金などいりません。そう言う話をしているのではなく、貴方は今ラティラスとして行動しているんですよ」
「ん? いいんじゃね? ライラ的には偽物だってばれて、引っかき回した方がいいんだろ?」
「そうですが、貴方が危険に晒されるから嫌だと言っているんです」
「何で?」
きょとんとして問いかけるマヤにシグマは溜息をつく。
誰に似たのか、マヤには緊張感が足りない。
「命を狙われるかも知れませんし、捕まる事もあるでしょう。貴方に万一の事があれば竜王陛下に何の申し開きも出来ません」
「んー、でも、お前が護ってくれるんだろ?」
「それは……そうですが」
「じゃあ何の問題もねーじゃん。あ、シグー、今度はあれ! ヤン坊マンボウ丸焼き注意報ってやつ! あはは、この国は変な名前付けるなー」
言いくるめられ、シグマが溜息をついた時だった。
鋭い気配を感じてシグマはマヤの手を引き自分の方へと引き寄せる。
全く同時くらいだった。
マヤの進行方向にあった屋台が重い音と共に破壊された。人が突っ込んだかのような音だった。
ざわめきが起こり、屋台を中心に人が捌けた時、屋台の中に突っ込んだ人の姿が見えた。胸元に短剣が突き刺さっている。
シグマは視線を上げる。
少し離れた建物の上階。
何かが不自然に身を隠したのが見えた。
「シグ、人が!」
追いかけようとして、マヤの声に我に返る。彼の側を離れたらいけない。彼を護ると都が最優先の「任務」なのだ。
人混みをかき分けて倒れた人に近付くマヤをシグマは追いかける。
「しっかり! 今助けるから」
マヤの言葉に男が反応した。
片手で血まみれの胸元を押さえ、もう片方の手で手の平より少し大きな細長い箱を取り出した。
「これを……」
「喋るな、今治すから」
男の胸元から短剣を引き抜きマヤは傷口に手をかざす。
その手に触れようと男の手が小刻みに震えながら近付いてくる。
「……これを、ヴォルムという男に」
「え?」
「頼む……」
男の意識はもう既に朦朧としていた。
彼の拙い回復魔法では間に合わない。この男の生命をつなぎ止める手段はただ一つしかない。
マヤは短剣を引き抜いた。
それをすかさずシグマは止めた。
「いけません。それは、陛下に禁止されている行為です」
「でもっ!」
「いけません。貴方にもどういう意味なのかおわかりになるはずです」
男が混濁する意識の中でマヤの手を取る。
「……中央通りの酒場に出入りする、大柄の……男に……頼む」
「分かった。ちゃんと渡すから、しっかり……」
しろ、という言葉は男には届かなかった。
シグマは瞬間的にマヤを男から引き離す。
ごほ、と口元から大量の血液が吐き出された。
きゃあ、と人だかりから悲鳴が上がった。
男がゆっくりと目を閉じ、そして動かなくなった。
それが男の最後だった。
「何で……」
「毒のようです。傷を治しても間に合いませんでした」
「何で止めたんだ! 間に合ったかも知れないのに、俺なら、何とか出来たのにっ!」
「だからお止めしたんです!」
鋭く言われ、マヤは険しい表情でシグマを睨む。
それを押し返すようにシグマは鋭い視線を彼に向けた。
「貴方はどなたの血を引いているのかお忘れですか? この男一人で済むのであればお止めしませんでした。しかし、貴方の血はこの男に連なる全ての者を縛るだけ強いものです。増して貴方は幼い。万一その力が歪みに引かれる事があれば、その全てを犠牲にするんですよ」
「……」
「聡明な貴方ならおわかりになるはずです、マヤ。簡単に人と契約をしてはいけません」
頬に触れ、諭すように言われマヤは頷く。
そう、言われなくても本当は分かっていたはずだ。
「……ごめん、シグ、今の、八つ当たり」
「はい、分かっています」
「うん、ごめん」
マヤは額を彼の胸元にくっつけた。
その背を優しく撫でながらシグマはそっと息を吐く。見知らぬ命が潰えただけでこれほどまでに心を痛める主。
それだけに心が苦しい。自分がこの旅の中で果たそうとしているものを知ったのならば事を激しく嫌悪するだろう。それでも主の為にやらねばならない事だ。それを実行するのはもう少し先のことになるだろう。
シグマは主の心を想って心の中で深く頭を下げた。