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彼女の身体は精霊に包まれているように見えた。
やがてその精霊達は風に姿を変え上空へと舞い上がっていった。
「大丈夫?」
彼女が振り向き問いかける。
先刻の場所から離れ、大通りに近い路地。相変わらず人通りは少ない場所だが人が行き交うざわめきの聞こえる場所だった。
蹲ったまま、走ったために荒くなった呼吸を整えノウラは頷いた。
彼女の呼吸も少し荒かったがそれほど息が上がっているようには見えなかった。
改めて彼女を見ると少し驚いた。あの時受けた印象とは少し違っていたからだ。彼女が美しいことには変わりない。顔立ちは整い、エテルナード人よりも淡い金髪は太陽の光を浴びて輝いて見える。宝石のような翠の瞳も美しく輝いていた。
だが先刻は神がかりに見えた凄艶さが今はなりを潜めている。
顔立ちが変わった訳ではないし、むしろ今の彼女の方が人間的で好印象を懐く。
だが何故かその変化が奇妙な気がした。
(でも、綺麗なひと)
ノウラは一瞬彼女に見とれた。
先刻の凄艶さはないが、よほどの感性でない限り誰もが彼女を美人と評価するだろう。
年の頃はノウラと同じかそれよりも年上か。自分よりもよほど姫らしく見えた。
「今友人に言葉を送ったからすぐに駆けつけると思うわ。他に誰が潜んでいるとも限らないから慎重に行きましょう」
綺麗な発音だ。
敬語を使っているわけではないのに丁寧で嫌味のない口調だった。
「ありがとうございました。ええっと」
「ライラよ。あの人の姪」
「クウルさんの?」
「ええ。貴女はノウラ・ディロードと呼ばれていたようだけど」
「はい、そうです。あの……姪って事は貴女も竜なんですか?」
問いかけると彼女は一瞬驚き、やがて額を抑えて溜息をついた。
「あの人、まだそんなことを言っているの?」
「え?」
「冗談よ」
「あ……ええ、そうですよね」
ノウラは頷く。
本気にしていた訳ではないのだが、クウルの態度があまりにも堂々としていたために半分信じかけていたのだ。
考えてみれば伝説の生き物である竜が平然と人に交じっているわけもない。
「でも、どうしてあの場所が分かったんですか?」
随分とタイミング良く助けに来た。
問いかけると彼女は苦笑いを浮かべた。
「精霊伝言みたいなものよ。こちらに来ていたことを知らなかったから突然で驚いたわ」
精霊伝言は主に風や水という媒体を使って相手に言葉を届ける魔法の一種だ。先刻も彼女が友人に言葉を送っていた。
クウルがそうしていた記憶はないが「みたいなもの」と言うからには説明が難しい魔法の種類なのだろう。ノウラは納得して頷いた。
その様子を見てライラは笑う。
姪を名乗っていたが血の繋がりはないのだろうか。
クウルと彼女では受ける印象が全く異なった。
彼が人懐っこい犬ならば彼女は血統書の付いた猫。
貴族の女性と言った印象がある。
ノウラにしてみれば苦手なタイプなのだ。自分自身も貴族に数えられる家の出であるが育ちも感覚も違いすぎるために気後れをする上に、見下したような態度を取られるために苦手なのだ。
だが彼女にはそれがない。
彼のように人懐っこい印象はないが、人を馬鹿にしたり心ない言葉で突っぱねるような印象もない。
不思議な感じをする人と言うのは似ている。
「それにしても少し意外ね」
「意外、ですか?」
何のことだろうと首を傾げる。
「ノウラ姫はもう少し気位の高いお姫様だと思っていたわ。王の婚約者ともなると助けられても名乗らなかったり、お礼も言わないような人多いから」
「そんな失礼なことは出来ません」
ノウラはきっと彼女を睨む。
「助けて頂いたのならきちんとお礼を言うべきです。それは……場合によっては名乗れない事もありますが、貴女はクウルさんが信頼していた相手です。彼が私を助けようとして下さったのは分かりました。だから名乗らないことなんて出来ません」
「そう、だから意外と言ったの」
くすりと彼女は笑う。
「ここに来て色々話を聞いたけれど、ディロード閣下が実質的な権限を握るために貴女と王の結婚をすすめたと言う話には違和感があったの。むしろ王がディロード閣下の後ろ盾が欲しかったように見えた」
その言葉で彼女が貴族に偏見を持って言っていた訳ではないのが分かった。
彼女は噂を聞いた上でノウラが飾りだけで使われるような娘であると思っていたのだ。一瞬、王の婚約者にしては見栄えがしないと言われたのかとも思ったが、そうでは無いようだった。
「貴女を見たら、王は貴女だから婚約者に選んだという気がしてきたわ。……私の主観に基づく憶測だけれどね」
ノウラは瞬く。
突然そんな評価をされたことに驚いたと言うこともある。それよりも彼女の言ったことは王が自分に婚約を申し込んだ時に言った言葉によく似ていたのだ。
まるで見ていたかのように同じ事を言う彼女は何者なのだろうか。
クウルも、その姪という彼女も自分を助けてくれたのは事実だ。だが、どんな意図を持っているのかがまるで分からなかった。
ノウラはその動揺を悟られないように話題を変える。
「あの、クウルさんは大丈夫なんですか? 私を狙った相手、複数人いたようなんですが」
ああ、とかのじょは頷く。
心配などまるでしていないと言う風情だ。
「大丈夫よ。あの人あれでとても強いから」
「それはわかりますが。心配です」
父が自分の護衛に付けた時点で彼が強い人間であることは分かっていた。だが、相手が複数人ともなると違う。
彼女に自分を託したのも足手まといになるからだろう。
一人で残してきてしまったが平気なのだろうか。
言うと彼女は整った顔を崩して笑う。
同年代の女の子らしい可愛い笑みだった。
「それ、叔父様が聞けば喜ぶわ」
彼女が立つことを促すようにノウラの前に手を差し伸べる。
その手を借りてノウラは立ち上がった。
視線が同じくらいだった。
もう少し背の高い印象があっただけに彼女が自分と同じくらいの背丈であることに驚く。先刻から何か不思議な感じのする人だ。
「あの人、人を傷つけるのが嫌いなの。それが敵であってもね。貴女を遠ざけたのは貴女を護りながら戦う自信が無かったからではなくて……」
「私を護りながらだと、相手を無駄に傷つけてしまうと言うことですか?」
「そう、相手はなりふり構っていない様子だったからね。ああ……来たみたいね」
彼女はそう言って大通りの方を向く。
駆けつけてくる人影。
その姿を見てノウラは驚く。
背の高い少女ともう一人、黒髪の男が近付いてくる。
「………ジン」
ライラがぽつりと漏らした。
体感温度が三度ほど下がりそうな冷ややかな微笑みを浮かべ、黒髪の男が言う。
「さぁ、何から説明してもらおうか、ライラ?」