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ジンはその挑発に乗り地面を蹴る。
しかし、
「何をやっているっ!」
突然割って入った男の声に、ジンは進みかけた足を止めた。
熊のような体格の男だった。エテルナード人特有の赤みがかった金髪の男で、口の周りに派手なヒゲを生やしている。軍服を着ている所を見ると試験官の一人だろう。階級章を付けていないためにどんな立場の男か分からなかった。
厳しい表情をした男はがなるような声でまくし立てた。
「誰が勝手に試合を始めろと言った!? 貴様等、志願兵だろう! 勝手な行動は慎め!」
ジンは苦笑いをかみ殺した。
こういうタイプの人間は苦手だ。
頭に血が上っていると人の話を聞こうともしない。暑苦しくて、故郷の誰かを思い出す。
ジンの肩に腕を引っかけて、クウルは不満そうに声を上げる。
「だってさー、暇なんだもん。それに別に試合始めたわけないよ、準備体操だってば。割ってはいる方が無粋でどうかしてると思うよ?」
まるで挑発するような彼の言葉に男は顔を朱に染める。
「貴様っ」
「フォーク殿、そういきり立たずとも」
「猊下の前だ、穏便にな」
後から来た二人に言われ、フォークと呼ばれた男はぐっと飲み込んだ表情をした。
ただならぬ雰囲気の二人を見て周囲がどよめいた。
一人は気の優しそうな男だった。エテルナードの多くの者が信仰するレブスト教の神官の服で身を包んだ六十代くらいの男。服装からも、猊下と呼ばれたことからも相当な高僧であることが分かる。こんな場所に現れるような人ではないはずだ。
もう一方は四十代後半か、五十にさしかかった位の年齢の軍人だった。優しく微笑まれているがその目つきは厳しい。言い知れぬ威圧感を孕んだ気配に、ジンはすぐにそれが誰なのかを悟る。そして階級章を見て確信した。彼もまた傭兵志願者の試験会場に顔を覗かせるような人物ではない。
「誰?」
ジンの耳元で囁くようにクウルが問う。
彼の視線は後から来た軍人の方を向いている。軍人の纏う気配に少し興味をもっているようでもあった。
「……あれはデュマ・ディロード総統閣下だな」
「閣下? ああ、軍隊のお偉いさんか。あっちは?」
「おそらく、ネバ・ミーディルフィール猊下だ。教会の大司教だな」
「軍と教会の偉い人が、何でこんなところに?」
その疑問はまさにジンの疑問そのものだった。
傭兵はそもそも、正規軍だけではまかなえない警備などの仕事を行うために集められる。また、ジン達のような流れ者を雇うことで内外の金の流れを一定にする役目もある。実益も兼ねた支援と投資なのだ。
直下の部隊ではないために独立して仕事が出来る上、雇用も解雇も簡単に出来るのが利点だ。ただ、傭兵はいくつもの問題を抱える。人当たり良さそうに笑っている人間でも根が殺人狂という事もあり得る。傭兵をやとったものの、その一人の為に壊滅することだってあり得る。何より一番の問題は、一人一人の素性を細かに調べることができないという事だろう。
そんな素性もはっきりしない連中の集まった場所に、軍と教会の要人が出入りするとなると『例の噂』は真実味を帯びる。
ジンは伺うように彼らの顔色を見つめた。
「貴殿が‘南国の奇剣’ジン・フィス殿か」
デュマに問われジンは頷いた。
「そう、呼ばれていますが」
「何だよ、俺の時はそんな恥ずかしい名前にとか言った癖にー」
けらけらと笑うクウルをジンは睨む。
その様子を見てネバがくすくすと笑った。
「なるほど、いい目をしているね。今時珍しいくらい強い目だ」
「確かに」
デュマは観察するようにジンを見る。本物か否か、確かめられているのだ。ジンほど有名になればその名を語る者も増える。彼も知らぬ場所で自分の名を使われ、苦い思いをした経験もある。おそらく名簿でジンの名前を見、本物か否かを見極めに来たのだろう。
例えただの同名の者であろうと、その実力を計るために。
「若いと聞いていたが、想像していたよりも随分と若い。いくつになられる?」
「十九です」
「ふむ、では私の娘と同じだな。だが貴殿の方が遥に年長者に見える」
苦笑した。
良く言われることだ。
「長く、旅を続けていますから」
「要人の護衛の経験は?」
「幾度か」
「ならば私の娘の護衛をする気はないか」
その問いにジンは敏感に反応する。
デュマ・ディロードの娘といえば、ノウラ・ディロードのことだ。長い間誰とも結婚せず婚約をも拒み続けたエテルナード王、サイディスがようやく婚約を発表したことで今最も注目されることになった娘。
その護衛に「ジン・フィス」を選ぶ。
随分ときな臭い話だ。
「……閣下」
「はいはーい!」
ジンが口を開きかけた瞬間、突然発せられた場違いな声に一同驚いて振り向く。
クウルが飛び跳ねる勢いで手を上げる。
「俺も護衛の仕事したいでーす」
「貴殿は?」
「俺はクウル。俺のことはクー………もご」
ジンは慌てて彼の口元を覆う。
いくら何でも閣下に対して言うのは無礼になる。もしも部下なら叱責されていても可笑しくない場面だ。
彼の口を塞いでヒヤヒヤしているジンとは対照的に、彼は楽しそうに言う。
「ジンジンはヤキモチ焼きだなぁ。クーちゃんって呼ぶの独り占めしたいんでしょ」
「違う。大体、誰がそう言う話をしているんだ。状況を考えろ」
「ええっと、不躾な質問で申し訳ないけれど、二人は知り合いなのかい?」
ネバ猊下が柔らかな口調で尋ねる。
その隣で、ヒヤヒヤしている様子のフォークと、確実にクウルを値踏みしているデュマがジンの方を見た。
正直もう盛大な溜息をつきたい気分だった。
だが、この状況は案外と面白いのかも知れないと考え直す。
これは絶好の機会ではないだろうか。
クウルを捕まえていた手を離し背筋を伸ばして答える。
「先刻知り合ったばかりですが、実力だけは保障できます」
「私でも知っているほどの名高い剣士が言うのだから間違いがないだろうね。どうだろうデュマ、彼も雇い入れてみては?」
柔らかい口調で言われた閣下は考え込むように口元に手を当てた。
その目がジンの方に注がれる。
さっきの依頼を請ける気があるのかと問われているようだった。
鋭い視線。
老いてもなお、いや、老いてますます鋭さを増したような色だ。今は総統閣下として激戦地に赴くことはないだろうが、その鋭さだけで見れば未だに現役を貫いているようにさえ見える。
ジンは押し返すような視線で是、と答えて見せる。
長くエテルナードに止まる訳にはいかないが、この男の強さに興味を持った。その一端を見るためならば彼の娘を守るために剣を振るうのもやぶさかではない。
デュマは満足そうに頷いた。
「よかろう」
「あ、ホント? 言ってみるものだなぁ」
クウルはけらけらと笑い声を上げる。
強い二人の人間。
対照的に見える二人と剣を交える機会があれば、あるいは二人が剣を交える所を見る機会があれば、その強さを知ることが出来るのかも知れない。
ジンは鞘に付いた飾り玉を撫でるように触りながら握り込んだ。