12
「父上……」
呼びかけると自分でも声が震えているのが分かった。
恐ろしかった。
病気で倒れて以来あまり会うことが叶わなくなった。最後に直接会ったのは二月ほど前の話だ。声を聞くことは出来てもいつも透けたカーテンの向こう側にいるだけで顔を見ることもその身体がどうなっているかも見ることが出来なかった。
その日、ようやくその禁が解け、父親の方から会いたいと言ってきたのだ。
デュマに連れられ寝室に入った幼いサイディスが見たものは、病気でやせ細り変わり果てた父の姿だった。
そこにかつてのような勇ましい姿はない。
まるで別人のようだった。鬱金のような明るい金の髪は色が抜け落ち、まるでティナ人のような色に変わっている。まだ若いはずなのに老人のように頬は痩け顔色は悪い。
色あせない蒼の瞳だけがじっとこちらを見ていた。
まるで、死者に見つめられている気分になった。
「私はもう長くはない」
父ははっきりと言った。
突然のこと過ぎてサイディスには何を言われたのか理解が出来なかった。
しかし、父の言葉が真実であると、頭の方が先に理解した。
正直既に覚悟を決めていたのだろう。
オルジオが倒れた事を知った時から。そして学ぶ学問の種類が変わったその時から、近くそうなるのではないかと覚悟を決めていた。
だが、こんなにも早いとは夢にも思っていなかった。
サイディスは震える手を強く握りしめた。
食い込む爪の痛みが微かに理性を保たせる。
「本来ならば父として子に言葉を残したかった。だが、私は王で、お前は次の王になる子供だ。王として次の王であるお前に言葉を残さなければならないだろう」
「……」
「王として成すべき事はお前は深く理解していることだろう。だから私がこの国の王として嫡子であるお前に残すべき言葉はただ一つだ」
父の手が腕を掴んだ。
生気が感じられない骨と皮だけの手。それなのに力だけが強い。
酷く奇妙な感じだ。その場から逃げ出したくなった。
「けして、王の血を絶やしてはならない」
「王の、血?」
それはおかしな言い分だった。
オルジオは家柄の善し悪しに拘る人間ではない。例え議会に反対を受けていても、貴族どころかエテルナードの人間でない者までも国の要職に付ける程人に対して寛容な男だ。それが何故この時になって血を絶やすなと言っているのだろうか。
そもそも、この父は本当に父親なのだろうかという疑念がよぎる。
その弱々しい有様があまりにもサイディスの知る父親の姿とかけ離れていたからだ。
「ユクの種を芽吹かせるのは王の血だけだ。ユクを枯らせてはいけない。それがエテルナード王として最も重要な事だ」
「ユク? あの古木が何だって言うんですか?」
「あれは世界の始まりの……ごほっ……」
急に咳き込んだ王はその場に真っ赤な何かを吐き出した。
鉄が錆びたような匂い。どこか生臭い匂いを含んでいる。
「父上!」
叫ぶ。
違う誰かが叫んだ。
「陛下!」
「殿下、お下がり下さい!」
慌てたような大人達にサイディスは引き離され、苦しむ姿を見せまいと毅然としている父親の目と交わる。
闘病の末、筋肉も衰え小さくなってしまった王の瞳だけがかつての父のものと同じ。なおも激しい程に輝いている。
「サイディス」
冷静な声が聞こえる。
慌てふためく治療師達に、少し黙るようにと言うように王は片手を上げた。
「もしも、お前の在位中にユクが枯れることがあったなら……」
「旦那」
「……っ!」
突然呼ばれて彼は目を見開いた。
火傷の顔が嫌そうにしかめられる。
「驚いた、もう少し普通に目を覚まして下さい」
「キ……カ? 何でお前こんな所に?」
「何を寝ぼけているんですか?」
言われて思い出す。
城を抜け出て来た後、キカと連絡を取るためにここに来ていたのだ。ここは城下の中で傭兵達が仮住まいにすることの多い貸し家の一室だ。
どうやらキカを待つ間に珍しく眠ってしまったようだ。
イディーは息を吐き出した。
「ああ……済まない。変な夢を見て……」
髪を掻き上げ良くなった視界の中にキカ以外の姿を感じてイディーはそちらに顔を向ける。
彼女は美しい顔で造り物の笑みを浮かべた。
「おはよう、でいいのかしら。もう昼過ぎだけれど」
「……! おまっ、何で? ここがどうして! っていうか何で!」
「言葉になっていないわよ」
「元々頭の構造からして‘なっていない人’ですから仕方がないと思いますよ。ともかく座って下さい、汚いですが」
キカに促されライラは近くの椅子に腰をかけた。
あまりにも堂々とされたためにすぐに冷静さを取り戻した。
二人が一緒にいる以上、キカが彼女を連れてきたと言うことだ。一体どんな事情があって彼女を連れてくることになったのだろう。まずはそれを確かめるのが先だった。
「キカ、状況をまず説明しろ」
「彼女があなたに聞きたいことがあるそうです。あなたにとっても無意義ではないとお連れしただけですよ」
「お前……」
「約束は守っていますよ」
キカはにぃと笑う。
約束というのは誰にもイディーが王であることも目的も話すなと言うことだろう。彼が簡単に人に話すことではないのは分かっている。今のところ協力者であってくれるのだからそれは信頼していいだろう。
互いに目的を知っているからこそ簡単に裏切ることは出来ないのだ。
イディーは難しい顔を作る。
裏切ってはいないとしてもどこまで信用していいものだろうか。
「なんだその聞きたいことというのは」
彼女はにこりと笑う。
「城内の事情について」