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ノウラとクウルが街に降りるという話は、ノウラ本人が口を挟む余地もなく簡単に決まった。王でさえも「ノウラに万一の事があれば首がなくなると思え」と釘を刺したきりで反対もしなかった。
街に降りられるというのは願ってもないことだ。
だが、少し不安が混じる。
クウルがなぜ降りると言いだしたのかは何となく想像がついた。昨日、一日がかりでノウラ達が「確かめたこと」を再び洗い直そうとしているのだろう。
疑問なのは父も王も何故反対をしなかったのか。そして、ジンはなぜ父親に刃を向けたのかだ。
初めは同年代とは思えない厳しそうな瞳に竦んだ。だが彼と言葉を交わせば奥にある強さをうかがい知ることが出来た。ほんの数日、護衛として付いてきただけの男だったが、誰かに剣を向ける姿は想像出来ても父を殺そうと企むようには見えなかった。
それに、何故父のような人が自分に剣を向けて来た者を解雇だけで済ませたのだろう。
ぐるぐると頭の中に渦を巻くように色々な憶測が産まれては消える。
どれも、正しい事のようには思えなかった。
ノウラは次第に胃の賦が痛み出すのを感じた。
その痛みにどこか奇妙なものがあるのを感じる。考えすぎて胃が痛んでいる訳ではない。何か激しく刺すような痛みが混じっているのだ。
彼女は腹部を押さえる。
「ノっちゃん」
「あ、はい?」
ノウラは気取られないように微笑む。
横を歩いていたクウルはノウラの前に回ると膝を付いて目の奥を窺うように見つめていた。
一度着替えに部屋に戻ろうとしている所だ。
自室付近には見回りの兵は時折来るが、この時間には人の気配はない。
それを探るような目で確認したクウルは今までに無いほど真剣な表情で言う。
「お腹痛む?」
「え……」
「正直に答えて。それによって解毒剤の強さも変わるから」
解毒剤、と聞いてノウラはぎくりとする。
毒を盛られたのか。
それはいつ、どこで?
「ええ、痛みます。刺すような痛みです」
「じゃあ、すぐにでも飲んだほうがいいな。致死量ではないけれど、女の子だし、万が一のことあったら駄目だから」
そう言って彼はどこにしまっていたのか小さなビンを取り出す。
その中には色の違う五種類の丸薬が入っている。彼はその中の薄い茶色の丸玉をノウラの手の中に転がす。
「飴みたいに口の中で溶かしながら飲んで。かみ砕かないほうがいい。歯に挟まって後ですっごく嫌な味になるから」
声音は優しかったが、何故か絶対的な命令をされている気分になった。
躊躇う間もなくノウラは丸薬を口に含み、言われたように口の中で溶かし始める。薬草を固めたような奇妙な味の薬だった。
「大丈夫。死ぬような毒じゃない。せいぜい一晩熱が出るくらい。でも、このタイプの毒は身体に残るから何度も口にしていくうちに蓄積されて熱も凄く出るようになる。そしたら危ないかもしれない」
「毒なんてどこに」
「あの紅茶……というか、砂糖の方にね」
血の気が引いた。
あの砂糖を入れた紅茶は王も飲んでいる。
慌てて王の元へと駆け出しそうになったノウラの腕を掴んで彼は止める。
「王様なら心配ないよ。あのくらいの地位の人ならちっさいころから毒の訓練受けているはずだからね。因みにオーちゃんは砂糖使っていないし、閣下はお茶会自体に参加してなかった」
はっとしてノウラは口元を押さえる。
「あの……クウ……クーちゃんお砂糖食べていましたよね、大丈夫なんですか?」
「へーき。だって俺竜族だもん。竜を殺せる毒は愛している人の血だけだよ」
どこまで本気なのか。
にこりと笑ったクウルの表情には騙そうとしている気配は感じられなかった。
「心配してくれてありがとね。ノっちゃんは優しいよなぁ」
「あの、どうして毒だと」
「匂い。俺の生まれの鉱山は竜でもちょっとおかしくなる毒とかいっぱいあってね、それが万一人間とか弱い生き物が食べたら大変でしょ? だから、中和や解毒をするお薬もってるの。それから訓練したから匂いでも大体種類が分かる」
「訓練……ですか?」
「うん、匂いと味で種類を特定する訓練。あと人間の致死量も大体分かる。狙いはノっちゃんだよ。あの程度の量だとすぐに命を奪おうと考えた訳じゃないだろうけど」
すぐに命を奪うつもりはない。それはつまり、弱らせることが目的だということだ。
先刻、クウルは「女の子だし」と言った。それはつまり、子供が出来なくするのを目的としたのではないだろうか。
王后として子供ができないというのは致命的だ。次の跡継ぎが産まれなくなると言うことなのだ。
その状況で王が側室を迎えたとしてもおかしくはない。元々側室を作らない王の方が珍しいのだ。先王オルジオのように一人しか妻に迎えないのは特殊な方だろう。
実際、サイディスとノウラの婚約が決まってからも、王侯貴族からは自分の娘を側室にという申し出は多かった。もしも正妻に子供が産まれなければ側室に産まれた子供が次の王となる。その血縁ともなれば雑に扱われることはない。幼くして王位に就くような事があれば後見人になることも十分ある。
考えれば、ノウラに毒を盛って特をしそうな人物はいくらでも思い浮かんだ。
元々、ノウラが王后になり、そしてその父親であるデュマ・ディロードがもっと上の地位まで付くことを良しとしていない者も多いのだ。
「ノっちゃん」
声をかけられてノウラははっとする。
クウルの優しい瞳がノウラを見ていた。
彼はノウラの両手をとってそっと自分の頭部に触れさせる。
耳の少し上側。
髪と青のバンダナに覆われているところだ。クウルの手に導かれるように指先を動かすと小さな突起物のようなものに触れる。それは左右同じ位置にあり、まるで角のようだった。
「竜はね、人の姿になってもここに小さな角が残る。クーちゃんは全然平気なんだけど、本当はここ敏感だから誰かに触らせるってことあんまりないんだよ。だから、触った人は幸せになれるんだって」
「伝承にありますね」
竜の角に触れて竜に殺されなかったならば、幸福が訪れるであろうと。世界の様々な場所で語られるおとぎ話のようなものだ。場所によっては触れるという行為が竜との契約になるというものもある。魔物としての竜はともかく、人の言葉を理解する竜は滅多に人前に姿をあらわさない。実在するかでさえ否定するものもあるくらいだ。
もしも、クウルが彼の言うように「竜族」であり、今触れているものが竜の角だとすればノウラは幸運を掴んでいるのかも知れない。
「そう、だからノっちゃん平気だよ。そんな暗い顔することなんてない」
「暗い顔していましたか?」
「うん。クーは男の子も女の子もにこにこ笑っているのが好きー。だってさー、笑ってる方が幸せだろー?」
そう言って笑った彼の顔は何の毒気もない笑みだった。
何の根拠もない話だけれど、本当に、大丈夫な気がした。
つられたようにノウラが笑うと彼は笑いを一層深くした。
「うん、いい笑顔。さてさて、ノっちゃんの笑顔もどったしー、遊びにいこうか。サズっちにもお土産買ってくるって約束しちゃったしー」
「え、本当に遊びに行くつもりなんですか?」
てっきり、昨日調た事を更に煮詰めるのが目的だと思っていた。
「そーだよ、気分転換って言ったじゃん。美味しいもの食べてー、色んなもの見てー、やることいっぱいあるよ?」
子供のように小首を傾げながら言われ、彼女は苦笑するしかなかった。




