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すまない、先に行くことになりそうだ。
病床の王はそう言って笑った。
デュマは剣技の基本動作を行いながらかつて自分を「友」と呼んだ王のことを思い出す。無心になろうとしても暗闇の中でよぎるのはかの王のこと。
あの大きな体を揺らして笑っていた王がやせ細り急激に衰弱をしていった姿を思い出すと心が痛む。
先王オルジオは身分や育ちに頓着のない男だった。例え身分の低い者でも、実力があれば重要なポストをあてがった。貴族から反論があれば「勅命」と言い捨て、場合によっては貴族に勝手に養子縁組をさせ地位を与えた。
大胆不敵。
その言葉がよく似合う王だった。
大柄で良く笑い、気さくな態度で誰彼構わず声を掛ける性格。馴れ馴れしいのとは違う。懐が広く人々を引きつけるような魅力的な男だった。
その王が病の床に伏せてからは誰の目から見ても明らかな程に衰弱していった。
呪いを受けたのではないか。毒を盛られたのではないか。
様々な憶測が飛び交う中、王は殺したいのであれば直接来ればいいと、冗談めかして笑った。
誰もが王の為に方法を探した。
だが、王の身体はその結果を待つことはなかった。
自分のことを友と呼び、軍事の最高権限を与えた王はこの世にはいない。
「……っ!」
ぶん、と音を立てて振るった剣先が微かに左右に振れる。
気の乱れを敏感に察したようだ。
デュマは息を吐き構え治す。
集中しろ、と自分に言い聞かせる。こんな年齢になってもまだ迷う。まだ時折剣が乱れる。未熟者だと、かの友は笑うだろうか。
「申し上げます」
控え目に扉の向こうに居る兵が声を掛けた。
がちゃり、と帯刀したまま膝を付いたような音が聞こえた。
昔地下牢に使っていた場所だ。扉が低い位置にあるために小声で会話をするためには跪く形になる。もう使われなくなって久しく、堅固であるため狭い場所での戦闘訓練の場所として利用される。
デュマは低い扉に向かって返した。
「どうした」
「ノウラ様がお戻りになられました」
「そうか」
行方をくらまし、夜に戻ったと言うことは何か収穫があったのだろう。
仮にも自分の娘だ。
すぐに諦めるほど軟弱な気質ではない。
「側付きの傭兵が閣下に報告があると申しておりますが」
「暫く、待つようにと」
「こちらで二人で話したいと」
デュマはちらりと扉を見やる。
「……入れ」
声を掛けると彼は少し身を屈め小さい扉から滑り込むように入ってきた。
黒い髪の男、ジン・フィスだ。
彼は強い眼差しをこちらに向けていた。クウルの姿はなかった。おそらく彼の方がノウラに付いているのだろう。
訓練に使っていた真剣を鞘に納め、額に溜まった汗を拭った。
「衛兵がいたはずだが?」
「少し休んでもらいました」
言葉を聞いてデュマは目を鋭くさせる。
「なるほど、自身の鍛錬より先に兵を見直さなければならないようだ。街の様子はどうだった?」
「あなたが俺を雇った理由が分かりました」
「答えは?」
「少し癪です。俺にはあなたの考えていることの半分も理解出来ていないでしょう」
瞬間ジンが踏みこんだ。
反射的に剣を縦に抜き放つ。横から薙ぐように繰り出された剣撃を半分抜いた真剣で受け止めると、押し返し後方に飛んだ。
鞘を完全に抜き次に繰り出された攻撃を受け止め、もう一方に持っていた剣で反撃を繰り出す。一瞬、捕らえたようにも見えたが、デュマの剣に手応えは感じられなかった。
ジンは高く舞い上がり、身体ごと押しつけるようにして上から剣を振り下ろした。
それを受ければ剣が折れる危険があった。
デュマは身を低くして後ろ手を付く。
手の力で身体を持ち上げ足を振り上げる。剣柄を狙って蹴り上げると彼は大きくバランスを崩したが、剣を取り落とす事はなかった。空中でバランスを変えながら壁に足を付く。
目がけて短刀を投げるのと彼が反動を利用して地面と水平に飛ぶのが同時だった。彼は回転を付けて床に降りる。
デュマは斬り込む。
ジンがそれを受け止めた。
「南国の奇剣とは、その剣の事か」
「ディアスロウといいます、閣下」
興奮しているようでも、戦いを楽しんでいる様子もなかった。ただ奇妙なほど落ち着き払っていた。
白い皮膚に食い込むように剣から伸びる金の触手のようなものが彼の腕に巻き付いていた。あわよくば剣を使う主を喰い殺そうとしているかのうようだ。
力で押し返され、デュマは間合いを取る。
じりじりと緊張が走った。
剣を交えるには狭い空間。
彼はそれを上手く利用している。
「あなたが玉座簒奪を企てているという噂がありました」
「言わせておくと良い」
「では細事と?」
「結果はどうあれ簒奪の歴史の無い国などあるまい」
金属音。
強い視線を感じる。
自らの正義を信じて剣を振るっている訳ではない。ただ何かを追い求めているような目だ。
あるいは、道が変わるだろうか。
「なるほど、随分と頭の回転が速いようだ」
「権謀術数というものに慣れているだけです。……何故あなたがそこまでする必要が?」
「国のためだ」
答えてデュマは苦笑する。
国の為などではない。
かつて自分のことを友と呼んだ人の為だ。
あの王が護ろうとした国を、護るため。
そのためならば何でも出来る。
必要なれば自分の愛娘を殺す事くらい可能だろう。
「王后候補誘拐未遂、上官暗殺未遂の罪状により、今を以てジン・フィスを国雇傭兵職から外す。異論はあるかね?」
戦う意思が無くなったとでも言うように金の触手が彼の腕から離れていく。
静かに彼は剣を収める。
「ありません。処分は解雇だけですか?」
「そうだ」
「では職を探すことにします」
ジンは口の端を上げて笑う。
「どこかで傭兵を募っていませんか? 出来ることなら城内に私兵を入れられる程の権限を持つほどの」