13
「凄い」
ライラは率直な感想を漏らす。
自ら「塔に招かれた」と言ったキカは無論強い事が分かっていた。まさかあんな無茶な戦い方をしてくるとは思っていなかった。少なくともこちらの判断力と魔力を計算していた上での行動だ。
イディーの方は剣の腕は確かだろうと思っていたが、魔物相手にはさして役に立たないと思っていた。予測に反して彼は魔物の動きを見て本物を見抜いた。コウアトルほど強くないにしても、集まってきた魔物は並の剣士なら苦戦を強いられるレベル。
それに、と集まってきた幻たちを倒しながらライラはリオリードを見る。
彼もまた目を見張るほどの強さだった。
始めちらりと彼の様子を窺った時にはただデタラメに剣を振っているように見えた。魔物のいないところさえも斬っていたからだ。彼は魔術師側の人間で、ライラがそうであるように剣で戦うのが苦手であるのだろうなと思った。
だが、次に彼を見た時に気が付く。
彼は月迦鳥の一番近くにいる。
当然周辺に寄ってきている魔物があるはずなのだが、それらしい気配は感じない。それどころか、幻術で生み出された魔物たちの姿も殆ど見られなかった。剣から生じる衝撃波で魔物の本体のみ攻撃していたのだ。
ライラでさえも攻撃してその反応を見るまで魔物が幻であるかの区別が付かない。これだけ多くいれば尚更だ。見分けるよりも攻撃した方が早いのだ。
だがリオリードは見分けが付いている。
月迦鳥に簡単に近付いてしまったことといい、魔物を見分ける事と言い、一体どうなっているのだろうかと思う。
リオリードが他の人間を邪険に扱ったのも、純粋に足手まといと思ったからなのだろう。実際三人の強さを見ればイディーが集めた連中の殆どが足手まといだ。使えそうなのがせいぜい二、三人。実際に戦ってみるまでは分からなかったが、リオリードは初めから見抜いていたのだろう。
もっとも、そう考えるとライラ自身は恐ろしく高い評価か、逆に低い評価をされたと言うことになるのだが。
「!」
視線を向けた瞬間、ライラは組み上げかけていた呪文を即座に切り替える。
組みかけの骨格を利用し、その上から新しい呪文を縫い合わせるように一気に組み立てる。
「“護れ、漆黒 盾と成りて”!」
叫ぶと同時に地面から先刻投げつけた剣が抜ける。
それは一直線にリオリードの方に向けて飛んだ。
リオリードがそれに気が付き顔を上げた瞬間、彼の頭上に浮かんだ剣が巨大な壁に変わる。かかか、と小気味のいい音が聞こえ、壁の上側にナイフのように鋭い羽が突き刺さる。
放たれた羽を全て受け止め終えると、漆黒の壁は再び剣の形に戻り、がらんと下に落ちた。
上空にいたのは白群の羽を持つ小さな鳥。
文鳥ほどの大きさであったが、邪悪な気配をまとわりつかせている。やがてそれは擬態している必要が無くなったのを悟ったのか、同じ色の巨大な禽獣へと変化した。
猛禽が鋭い声で鳴く。
瞬間周囲にいた幻たちが姿を無くす。
小細工など無用と判断したのだ。
鳥の瞳がギロリとライラを睨む。
標的が自分に定まった。
ライラは瞬間的に攻撃に相当する呪文を組む。護って攻撃に転じるよりも初めから攻撃をしてしまった方が早い。組み上げるのが早いか、鳥のくちばしが自分を貫くのが早いか。あるいは、他の誰かが鳥に攻撃するのが早いか。
おそらく自分が早い。
睨め付けながらライラは呪文を組み上げる。
「……え?」
それは予想外の感覚だった。
予想外の感覚に完成間近の呪文を中断する。
ふわりと持ち上げられるように彼女の身体が浮いた。戸惑った瞬間、鳥のくちばしが今までライラのいた場所へと突き刺さる。それが早いか一瞬遅れてか、魔槍と光の剣が一斉に魔物を襲った。
それを眼下に見下ろしながら、ライラはその光景がみるみる遠ざかっていくのを感じた。
気が付けばライラは自分の背丈ほどに切られた木の上にいる。
腰を抱くように回された手は男のもの。
視界に入った赤い髪を見てライラは目を見開く。
「リオリード……さん?」
男は無言だった。
ただ、その表情には自分自身さえもその行動に当惑しているような色が浮かんでいた。
後ろから抱きかかえるようにライラの身体を支えている。
「……余計な事をしてしまったな」
不意に耳元で聞こえてきた声に驚いてライラは彼を見上げた。
金の瞳が何かを諦めたようにライラを見た。
琥珀のようだと思った。
「礼は言わないし、必要もない」
拒絶にも聞こえる言葉だったが声音は優しい。
「ええ、なら私も言わないわ」
言うとリオリードは目を細めた。
どこか眩しいものを見るような表情。
「いつまでそうしているつもりですか?」
嫌味のようなキカの声にはっとする。
戦闘中だ。
立ち上がろうとしてリオリードがなおも自分の腰を抱いたままなのに気が付く。文句を言う前に彼が動いた。
木の上からライラを抱いたまま飛び、重みを感じさせない軽やかな動きで地面に着地する。地に完全に足が着くとようやく彼の腕から解放された。
随分と数の減った魔物を切り捨てながらイディーがつまらなそうに言う。
「美味しいところ全部かっさらわれたな」
「変な勘繰りをするな。不愉快だ」
「だけど、お前、俺等とライラに対する態度が違いすぎるな」
「それは……」
一瞬リオリードが口ごもる。
ライラを見てからすぐに視線を逸らす。何か含みがあるような行動にも見えたが、魔物が近付いてきていただけだった。
切り捨てて、彼は言う。
「それは、お前とて同じ事だろう」
虚を突かれたようにイディーが目を丸くする。
そして、吹き出した。
「なるほど、違いない」
※ ※ ※ ※
なおも近寄ってくる魔物たちが大人しくなったのは夜も深まった頃の事だった。
さすがに殆どのものの顔に疲労の色が見えへたり込む者もいたが、中心となって戦っていた四人は多少荒い呼吸をしながらも、少し過酷な訓練を終えたと言うような顔つきで中央の繭の中を覗いていた。
「これは、殺すのを躊躇った気持ちがわからんでもないな」
そこには真新しい金の羽を持った小さな子供と、先刻ちらりと顔を出していた親の月迦鳥が眠っていた。子供は、人の子供に金の翼を生やした天使のような姿をして、寝息を立てているだけだったが、全身を真っ白な毛で覆った親の方はピクリとも動かなかった。
死んでいるのだ。
月迦鳥は生涯三つの卵を産む。
それ以上を産んで育てるだけの力がないのだ。三回目の孵化が終わると月迦鳥自身も命を終える。歌わなかったため嫌な予感はしていた。
月迦鳥は数がとても少ない。見た目が美しい上に、その血肉そして繭さえもが薬として使われるために過去に乱獲されたのだ。だから、安全な場所へと放してやりたいと思っていた。
リオリードは小さな子供を抱きかかえる。
親のない月迦鳥はあまり長く生きない。そのため本来は他の月迦鳥が親代わりをする。近くに放せば、自然と他の月迦鳥が世話をすると聞いたことがある。
「雛はどうするつもりです?」
キカが半笑いを浮かべながら問う。
彼の事だから答えないだろうと思ったのだ。だが、キカやその周囲の予測に反してリオリードは素直に答える。
「月迦鳥が住む場所を知っている。そこに戻すつもりだ」
「へぇ、それはどこなんです」
「言えない。言ったところで簡単にたどり着ける場所ではない」
「あんたが雛を食べない保障はありませんが」
イディーが首を傾げる。
「それを食べるのか? 人の形をしたものはあまり食べる気はしないが」
確かにまともな感性を持っていれば食べる気はしないだろう。まして子供の形をしているなら尚更だ。
だが保障がないと言うキカの言い分も分かる。
あまり広く知られていないが月迦鳥の雛には不老不死の伝承がある。親が薬として利用出来るのならば子供にはもっと純然な力が宿っていてもおかしく無いという考えから、好事家たちに広まった伝承だ。実際そう言う事実がないというのは定説だ。
リオリードは表情を変えないまま答えた。
「確かに保障はない。では、戦い奪い取るか。雛を護るために? それとも俺から奪いお前が喰らうつもりか」
「……」
一瞬、キカの双眸に氷のような冷たい色が走る。
だが彼に向けて魔槍を構えるようなことはしなかった。
リオリードは少しだけ面白そうに言う。
「賢明な判断だ」
「はっ、偉そうに」
「その判断に敬意を表して、教えておこう」
「はぁ、何をご教授願えるんで?」
「月迦鳥は最期の卵をその土地で一番古い木の根本に生み付ける。古い木には存在だけで天の力を集める力があるからだ」
「ああ、つまりは力を借りる代わりに、死した後は古い木の養分になるというわけですね」
「そう言うことだ。今回卵が産み付けられたのは朽ちる直前の霊木だ」
一瞬、キカが虚を突かれたように瞬いたのが分かった。
次の瞬間イディーが後ろからキカを羽交い締めにしなければ、彼はリオリードに向かって襲いかかっていただろう。
霊木が朽ちれば周囲の力のバランスが崩れる。再生はするものの大量の養分を必要とするために、種類や大きさによっては森を絶やすこともあるのだ。ただ、月迦鳥の亡骸が養分になるのならそれを防げる。
利益だけ考えるならば骸を持ち帰り魔術師協会に売ってしまうのも手が、普通に考えればそれは出来ないだろう。それを知っていながら何も言わず利用したのだ。
もっとも、当初は彼一人だけで全てを終わらせるつもりだったようだから利用されたとしても怒るほどの事でもない。
が、キカの血管は切れたようだ。
「てめー、コラ、最初から知ってて利用しやがったな!」
「残されたものをどうするかはお前たちが決めればいいと言ったはずだ」
なおも文句を続けようとするキカを無視し、リオリードがこちらを向いた。
無視するな、というキカの声。
半ば困った様子で宥めるイディーの声。
それをかき消すようにリオリードの声が重なった。
「あまり無茶はしないほうがいい」
「無茶?」
「お前の力は自分の思っているよりも危険だ。自制出来る間はいいが、気を付けた方がいい」
「肝に銘じるわ」
彼はまるで子供にそうするようにライラの頭を撫でて微笑む。柔らかい優しい微笑みだった。
それに笑んで返すライラの近くではキカとイディーが微妙そうな顔をしている。
まさか彼がこんな顔で微笑むとは思っていなかったのだろう。
ライラに言わせれば意外性などない。この方がむしろ、似合っているように感じた。
「な、何はともあれ街に戻ろう」
「そうですね」
「何はともあれ祝杯をあげよう。俺の奢りだ」
奢りという言葉に弱い歓声があがる。
この状況でもまだ楽しもうとする余地があるのは、この国の人の特性か、それともそんな人間ばかりが集まったのだろうか。
多分街に戻れば皆なけなしの気力を振り絞って盛り上がり、惰性で朝まで飲み明かし酔いつぶれるだろう。
ライラが苦笑した時、がさりと草むらが動いた。
誰も気が付かなかった。
リオリードの姿がもうどこにもなく、代わりに様子を見守るようにこちらを見ていた何者かを。
それはただ無表情に一団の様子を見つめ、やがて夜にかき消されるように消え去った。