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揺らぐ太陽の韻律  作者: みえさん。
第一章 南国の奇剣は夜に煌めき
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 その通りは「消し炭の町」と呼ばれている。

 人通りが少なく昼間でも薄暗い雰囲気のあるその通りの建物は、まるで黒炭を塗り込んだように黒ずんでいる。じめじめと陰鬱な雰囲気があり、普通の人間ならば好んで近付こうとしない場所だった。

 そこは公で取り扱われない商品や人さえもやりとりされる暗闇の町。

 沈まない大国と謳われるエテルナードでさえこういった町は存在するのだ。

 その中を大きな布で身を包んだ小柄な影が駆けるように進む。

 女か子供か。

 一人でこんな町にいればただではすまないだろう。実際その影を見た瞬間、人身売買を生業とする者が興味深そうに見つめた。

 だが、誰一人としてそれに手を出そうとはしない。

 動きが不自然だったのだ。

 声をかけるのも躊躇われるほどおかしな動きをしているわけではない。ただ、身のこなしが軽すぎたのだ。

 これほどまでに身のこなしが軽い者は子供のようであっても暗殺業を生業とするものか、見かけ通りの年齢ではないかのどちらかだ。

 多少危険は伴っても利益となるようなら手出しをしただろう。ただ、人間一人如きで得られるものは限られている。危険を冒してまでそれに手を出す必要は無いと踏んだのだ。

 軽い身のこなしの影は薄暗い酒場に躊躇うことなく入っていった。

 酒で噎せ返るような店内には客の姿はない。

 奥の方でごそごそと仕込みをしている男が顔を上げることなく言う。

「まだやっていないよ」

 険のある声。

 早く出て行け、とでも言うかのようだった。

 くすりと、その人物が笑う。

「知っているわ」

 澄んだ声を聞いてマスターは顔を上げた。

 青みがかった白髪を束ねた老人だった。こんな場所で酒場を開いているのだから老人とはいえ、尋常な強さではない。証明するように老人の眼光は鋭かった。

 彼女はフードを外す。

 老人は目を見開いた。

 美しい光沢を持つ金の髪がフードから零れた。エテルナードの金は鬱金のような派手な色をしているが、彼女の髪は黄檗で染めたような優しく鮮やかな金。強さを宿す双眸はエメラルドをはめ込んだような美しい若草色。

 奇跡と呼べるほど美しい姿。

 見間違うはずもなかった。

「あ……」

 彼は仕込みをしていた、手を止めカウンターの外へと出てくる。出てくる途中で仕込み途中の料理を引っかけそうになり慌てて飛び退いた瞬間、調理器具が散乱した。

 慌てて拾い上げながら近寄ってくる老人を彼女は笑う。

「久しぶりね、本当に元気そうで何よりだわ」

「……いつ、こちらへ」

 ようやく絞り出したと言うような声に彼女は笑いを含んだ声で答える。

「ついさっきよ」

「ご連絡下されば、お迎えに」

「必要ないわ。それと、誰に聞かれているとも限らないからね?」

 し、と彼女は口元に指を当てる。

 膝を折りかけていた老人ははっとして頷いてみせる。

「すみません、何か、お召し上がりになりますか?」

 少女は首を振ってカウンターの方へ向かう。老人は殆ど無意識に椅子を引き、少女に睨まれてようやく気付く。

 彼は慌ててカウンターの奥へと戻る。

「すみません。つい……」

 くすり、と彼女は笑う。

「いいわよ、今は誰も見ていないし、貴方の相変わらずの行動が面白いわ」

「お、面白いですか……っ! 光栄ですっ!」

「……ほら、だから、膝を折らないの」

「す、すみません。……ええっと、何もお召し上がりならずともいいのですか? すぐに何か用意出来ますが」

「連れがいるから長居できないの」

「連れでございますか?」

 訝るように尋ねられ少女は肩を竦める。

「女の子よ。風の国の」

「そうですか」

「それで、こちらの様子は?」

 老人は頷いて紙を彼女の前に差し出す。

 彼女はそれを受け取りじっくりと目を通す。

「分かっていればもう少し丁寧にまとめたのですが」

 少女は頭を振った。

 彼が集め続けたであろう情報量を考えて、紙数枚にまとめているだけでも相当なものだ。必要最小限の情報。それはまさに彼女の求めているものだった。

「十分よ。さすがね」

「恐縮です」

「ついでにもう一つ聞きたいのだけど」

「サイディス王のことですか?」

 ええ、と少女は頷く。

「とんでもないバカ殿って話聞いたけど」

「即位が十二ですから噂が立っても仕方がありません。ですが、その後十余年もの間、国が荒れていないところを見るとただの噂ともとれます。若しくは周囲に切れ者がそろっているか。実際、今の政に関して国民の支持は厚く目立った反発もありませんね。ただ、このところそう言った噂が極端に多くなっているのは気にかかりますが」

 老人は少女の前にグラスを差し出す。こういった酒場の割に随分と綺麗に磨かれたグラスだった。

「婚約の噂も聞いたわ」

「ああ、あなたもお聞きになりましたか」

 グラスの中に赤紫の液体を注ぎながら彼は頷く。

 宝石のように輝くそれからはフルーツ特有の甘酸っぱい匂いがした。

 グラスも、注がれた飲み物も彼女のためだけに用意してきたものだった。いつ訪れるか分からない彼女のために。

「まだ公式に発表はされていませんが、王が実は昏君であると噂が流れると同時くらいに広まり始めましたね。王は長く独身でしたから噂が広まるのも早いです」

 少女は頷いてグラスに口をつけた。

 甘酸っぱい香りが口の中に広がった。

 この酒場に来る以前にもう噂の内容は耳にしていた。長く独身でいた王が突然国の重要ポストに座るデュマ・ディロード総統閣下の娘と婚約したというのだ。名をノウラ・ディロード。

 この婚約はディロード閣下による策謀、実はノウラとは昔から恋仲で彼女が二十歳を迎えるのを待っていた、悪い噂を見えにくくするためのカモフラージュなどと歩いているだけで簡単に噂が耳に出来た。

 それが何を意味するのか、正直まだ良く分からなかった。

「あなたはどう見るの?」

「緩やかに滅亡へ向かっていると」

 少女は少し顔をしかめた。

「ここも、なのね?」

「はい、沈まぬ大国とて例外ではないようですね」

「……そうね」

 彼女は憂いを帯びた表情でグラスの中を飲み干した。

 いつ見ても奇跡のように美しい。悲しむような表情も、彼女の美しさを際だたせるための装飾でしかない。

 ここが薄汚れた酒場であることすら忘れてしまうほど、美しい光景だった。

 老人は奇跡の光景に頬を緩めかけ、気をたたき直したかのように厳しい表情を作り上げる。

「くれぐれも、お気を付けて下さい」

「ありがあとう、あなたもね。ごちそうさま、そのうち彼女も連れて来るわ」

 彼は深々と頭を下げる。

「楽しみにしております、我が君」

 少女は窘めるように笑った。

「こら、だめよ、癖が出ているわ」


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