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「そんで、何があったの?」
男から随分と離れた事を確認して、ユーカは問う。
「予定だともう少し城内の様子調べて来るはずだったでしょ?」
「そうなんだけど、調べている途中で情報に無かった所から伏兵が現れてね」
「え、みっかったの?」
珍しい、とユーカは声を上げる。
ライラは苦笑して答えた。
「戦闘になったわ。で、迂闊にも顔を見られて……」
「顔見られた!? え、え? それじゃあお尋ね者決定じゃん!」
「それは微妙。見られたのが知っている人だったから。彼の場合、報告するよりも先に私に接触してくると思うんだけど、逃げる時にその……あらぬ場所を蹴り飛ばして来ちゃったから」
彼女は口ごもる。
どこを、と聞きかけて、ユーカは察した。
普通に蹴り飛ばしたというのなら、ライラははっきり言うだろう。言いにくい場所、相手は男、つまりはそういうことだ。
ユーカは口笛を吹いた。
「やるぅー♪」
ライラは頭を抱えるように髪を掻き上げた。
「そう言う訳で、どっちに転ぶかは微妙。悪い人ではないけど、こういう状況で全面的に信用してくれるほどお人好しでも無いから」
言って彼女は彼の事を思い出す。
ユーカと出会う少し前に出会った男だ。当初妙に疑われ、そのせいで暗躍に苦労した苦い記憶が呼び起こされる。話せば分かってくれる人だが、分かったからと言って協力者になるとは限らない。信念があり、それを貫き通すような意志の強さを感じるような男だったのだ。あの時は互いに命の危険があったために協力しあったが、今回もまたそんな状況になるとは考えにくい。
「南国の奇剣、そう言う異名聞いたこと無い?」
「あーあー、知ってる。何か融通のきかない真面目で、やたら重暗い感じの男だっていう噂」
「何か思いっきり偏っている上に解釈も間違っている気もするけど、多分その噂の人よ」
「へぇ、ライラってば頭が広いのね」
「顔」
彼女の間違いにすかさず突っ込みを入れる。
わざとなのかそうでないのか今ひとつ分かりにくい。
「実のところ、問題は彼だけじゃないのよね」
「っていうと?」
ライラはちらりと周囲の気配を確認する。
誰かに聞かれてはまずい類の事だった。
内緒話だ、と示すように合図を送ると彼女は少し屈んで耳を近づけてくる。
「……私だけじゃないわ、あの城に入ったの」
「ふぇ?」
「私が入った時、既に兵士達は昏倒していた」
ライラは布に包んだ針をユーカに見せる。
「多分、魔薬の一種。死んでいる訳ではなかったから毒薬じゃなくて睡眠薬だと思う。これで王の寝室の周囲を警備する者たちを眠らせていた。そして、何より奇妙なのは王の寝室に結界が張られていた」
「え? それって普通じゃないの?」
確かに国の要人ともなれば命を狙われる危険があるために、危険を感じている場合は寝室に結界と呼ばれる魔障壁を張って眠ることは多い。だがそれは外部からの侵入を完全に拒むと言うよりは、凶手が侵入してきた場合逃げ隠れする時間を稼ぐためのものなのだ。だから、寝室とは別に複数の場所に結界を置くかむしろ「惑わしの術」と呼ばれる幻術を使って部屋自体をないように見せかけるのが普通だ。
だが、あの城内の結界は一箇所だけ。惑わしをかけていた様子もない。
まるで王の部屋はここなのだと言いたいかのように。
「罠?」
「とも思ったわ。だけどあんな見え見えの罠は罠とは呼べないわよね。それに結界の強度が弱すぎた」
当初ライラも罠である可能性を感じていた。だから敢えて引っかかって様子をみようと思ったのだ。結界を破壊し、侵入者がいると占めそうと暁術を使う覚悟で結界に近付いたのだ。
だが、ライラが近付いた時、魔法を使うことなくその気配だけで崩れたのだ。
誰かによって壊されたというよりも自ら崩れ去ったという感覚の方が強かった。
あまりにも脆い。
だから余計に罠だと感じた。いやむしろ挑発しているのだと思ったのだ。それでも寝室に入ったのだが、結果は彼と戦闘になっただけだった。
彼自身があんな面倒な方法で入ってきたことを考えると、彼が罠にはまった賊を捕らえる役目を担っていたとは考えにくい。
誰が何のためにそんなことをしたのだろうか。
誰かが、内側から誰かの侵入の手引きをしたとも考えられるが、やはりそれでもやり方に疑問が残る。
「薬品に関する事は知り合いに任せるとして………あー、もう、面倒。いっそ直接乗り込みたい気分よ」
ライラは自分の髪の毛をぐしゃぐしゃかき混ぜる。
分からないことだらけというのはどうにも気持ちが悪い。
彼女のぼやきにユーカはあっさり答える。
「乗り込めば?」
「言うと思ったけど、簡単に言わないで頂戴。とりあえず、出方待ちってことでこの件は放っておいて明日あの男を探る」
「あのイディーとか言う奴のこと?」
「そう」
「ライラ随分と嫌っているみたいだけど、それでも関わるんだ」
言われて苦笑する。
彼を嫌っているつもりはない。苦手なタイプだとは思うが、第一印象で嫌いだと思うほどでもない。少し関わってみなければ真意の掴めない人だとは思っていたが、嫌っているように見えたのだろうか。
「別に嫌ってはないわ。ユーカ、気付いた?」
「何が?」
「彼、昼間と気配が……」
言い差してライラは言葉を切った。
「どうし……」
問いかけて、ユーカもそれに気が付く。
暗がりで形がはっきり見えないが、大きく、細い、四つ足の獣。毛並みはおそらく黒かそれに近い暗色。暗闇の中で瞳が赤っぽく光って見えた。
こちらの様子を窺っている。そんな風情を見せる。
野良犬ではない。
どちらかというと魔物に近い印象を受けた。
こんな街中に、魔物が出るのは考えにくい。ましてこの国は光の神佑地。魔物が寄りつきにくい国でもあるのだ。
(とすれば召喚獣? 一体誰の?)
イディーだろうか。
一瞬そう思ったが、おそらく違うだろうと思う。
こんな分かりやすい方法で挑発してくるように思えなかった。あの男は見た目よりももっと複雑だと思う。
勘でしかないけれど。
「主の元へお帰り」
ライラは脅す意味も含めて静かに言った。一度は見逃す、これ以上何かを仕掛けるつもりならば容赦はないと、言外に匂わす。
それはそれでも暫くライラ達を見つめていたが、やがて夜の闇に溶け込むようにして消えた。