9
地面に巨大な魔法陣を描く。
その中心に描かれた二つの円の中にライラとキカが入ると、魔法陣が仄明く光を帯びた。
無理に開けば空間が歪む。
塔という存在は曖昧であり、例え招かれた経験のある人でも容易に開くことは出来ない。本当に必要な時にだけ開かれる場所であり、そこまで辿り着けたとしても、塔の女神が許可をしない限りその扉が開かれることはない。
だが、道筋を知っている二人がいて、魔法を使える人間がこれだけいるのだから理論上塔の扉まで辿り着くことだけは可能だった。
ライラは目を閉じ意識を集中させる。
魔法を組み上げる時とはまるで違う。
恐らくどんな魔法でもこんな入り方をしない。
無心になり、ただ、力が還る場所を探す。
それだけのこと。
ライラは流れる魔力を感じた。魔法陣の外から流れ込む力は自分とキカ意外の全員の力。
それをライラとキカが集め、二つの力を縒り上げていくイメージを持つ。
ゆっくりとそして確実にその力が徐々に組み合わさっていく。
自分が塔に招かれたのは本当に幼い頃だった。あの時、目の前で人が殺され、自分も殺されると感じた時、自分が何を祈ったのか、正直よく覚えていない。
ただ、塔はその願いを聞き届け、道を開きライラに力を与えた。
生き延びるための力。
それが、塔がライラに送ったもの。
塔には善意も悪意も関係がない。同じ境遇に陥った人間がいたとしても、塔は力を貸さないこともある。魔力の強さも恐らく関係ないのだろう。恐ろしく不公平であり、恐ろしく公平である。
魔法を縒り上げると道が見えた。
ゆっくりとその力が生まれ、そして還る場所。
それが「塔」。
「………キカ」
「分かってます」
短く交わされた言葉。
けれど、そこに全てが集約している。
全ての力を重ね、集約し、それが、道を開く。
目の前に‘それ’があった。
青い扉の形をしているのは、ライラが青き扉を連想したからなのだろう。塔は曖昧であるために明確な形を持たない。
それが何かを問われたら、魔法が生まれ魔法が帰る場所としか言いようがない。その言葉すら塔を形容する言葉としては不十分であることを知っているのだ。
ユクが、その塔にゆっくりと近づく。
ずしん、と手足が重くなるのを感じた。
塔に招かれていない他人が進入したことで拒否反応を示しているのだと分かっている。ライラはただ、耐えた。
ここで手を離してしまえば誰一人救われない。
それが分かっていたから支える。
「くっ……」
隣でキカが呻く。
病み上がりの身で、これは非常に危険な行為なのだ。
助けたい。
だが、ライラにも余裕がない。
そもそも助けたいと思うことこそ、自分自身の高慢さからくるものなのだ。
ライラはただ、隣の男がやり遂げてくれることを信じる。
ユクが手を扉にかざす。
「!?」
圧迫する力が増してその場に倒れそうになる。
それでも倒れなかったのは隣にキカがまだ立っているからだ。そして、後方ではジンたちが自分たちを支えてくれている。
無駄にしたくはないのだ。
ゆっくりと、扉が開く。
ユクの力に反応するように、塔の扉がゆっくりと開いた。
ふと、身体が軽くなるのをライラは感じた。
(……何?)
言葉にしたつもりだったが声にはならなかった。
他の音も聞こえなかった。
ただそこにはライラ以外に塔の扉しかない。
誰も力を与えていないのに扉が開く。
いや、ユクが開いている。
分かるはずなのに、そこには誰もいないように見えた。
『 ?』
問い掛けにライラは答えた。
何と答えたのか誰に答えたのか自分でも分からなかった。
何かが微笑んだのが分かった。
それは形は何か分からない。ただ男のような気がした。
真っ白な男。
『 』
男が何かを言った。
それをライラは許可をした。
刹那。
「!」
剣がライラを貫く。
いや、実際に貫かれたのが見えた訳ではない。感覚が研ぎ澄まされ、まるで剣を突き立てられたように感じたのだ。
実際ライラの身体には何の変化もなかったし、胸に剣が刺さっているわけでもなかった。
ただ、刺されたと感じた。
差し込まれた剣はライラの身体に沈むように徐々に入り込んでくる。
胸の奥が熱い。
「………は……ぁっ」
息が漏れた。
とたんにライラは現実に突き戻される。
目の前に扉を開き掛けているユクの姿が見えた。
いや、彼女はノウラだろうか。
どちらでもいい。
ライラはただ扉が開かれることだけを強く祈った。
何があったのか、どうしたのか、良く分からない。
爆発的な力を感じた時、ライラは激しい力で跳ね飛ばされる感覚を味わった。今度は現実だった。
激しい力で突き飛ばされ、樹に叩きつけられたライラは現実の痛みを覚える。
薄く目を開くと、全員が魔法陣の周りから弾き飛ばされているのが見えた。
痛みと激しい消耗感で意識を失いそうだった。
意識を失う直前、ライラは樹の前に立つ女の姿を見た。
黄金色に輝く金色の髪、優しい顔立ちの女。
透き通るような肌の上にあるのは、翡翠を填め込んだような美しい瞳。
似ていると思った。
その瞳の色は自分の瞳によく似ている。
自分が普通ではないと知らしめるような翠の瞳。美しいと評されるけれど価値を感じたことのない色。
それが優しい色を帯びてこちらを見ている。
(……誰?)
その色は美しかった。
忌まわしいはずの自分の瞳が誇らしく感じてしまうほどの美しい瞳。
奇跡を呼ぶ翡翠色の瞳。
『 ?』
女が問いかける。
それに自分が何を答えたのか分からなかった。
ライラ達が気が付き目を開いた時には既に朝日が昇り始めていた。
ゆっくりと身体を起こす一同が見たのは、風に葉を揺らすユクの大木だった。