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「世界を造り替える、女神?」
聞いた覚えがないと言うようにユリウスが怪訝そうに言う。
「……始まりの聖女、人はそう呼ぶのかも知れません」
まだ界すら存在しなかったとされる大昔、神が界を生み出し始めた創始の時代、大神の側にいたとされる聖女を始まりの聖女と呼ぶ。誰もそんな時代があったとは知らないほど大昔であり、後から作られたただの神話とも言われている。
神話では、始まりの時代、大神と聖女しか存在しなかった。大神は彼女が寂しくないようにと世界を作り、他の若い神を産み出した。彼女もまた神を助け世界を作った。
彼女には世界を生み出す力があった。だがその力は彼女の命を削り、彼女は双子の神星を生み出した後に死を迎えた。大神が誰の前にも姿を現さないようになったのは彼女の死を嘆いたからだと言われている。
彼女は生命の源と呼ばれている。
聖女の存在がなければ世界すら誕生しなかったと考える魔法使いも多い。逆に信仰を集めるために大神を祀る教会が勝手に作ったものだと言い出す者もいる。
その曖昧な神話が真実であるかどうかは誰も知らないのだ。
「末世の今、生まれるはずだったのです。そして私たちは救われるはずでした。けれど、星の軌道を歪めた者がいます。そのために、女神は生まれてきません」
「……絶対に?」
「軌道を戻すことができれば、或いはまだ間に合うのかもしれません。ですが、軌道を修正したとしても、再び歪められるでしょう」
「誰に?」
ライラの問い掛けに、ノウラの身体を持った少女が答える。
「異界の魔族の王」
魔王、と誰もが心の中で反芻する。
過去に何度も異界に討伐に出かけたが、誰一人として帰還した者はなかった。その代わりに、魔王討伐を企てた国が何者かによって壊滅したこともある。
誰もその姿を見たことはないが、誰もが怯える闇の王。
それがどんな理由があって軌道を歪めたというのだろう。
その女神を生まれさせない為なのだとしても、動機がわからない。一体何のためにそんなことが行われたというのだろうか。
「魔王を倒せば救われるのか?」
ジンの問いに少女が笑う。
「世界は。……けれど私は間に合いません」
ライラは深く目を閉じた。
本当に間に合わないのだろうか。ノウラを犠牲にしなければ助からないのだろうか。
目を開きサイディスの表情を見ると、彼は無感情な程に表情を造っていなかった。王であれば決断をするだろう。彼にとってノウラが大切な人物であることは分かっている。だからといって彼女を救ってユクを見捨てることは出来ないだろう。
「ね、ね、質問!」
場の空気を読まずにユーカが大声を上げる。
息が詰まるような雰囲気が嫌だったのかも知れない。
「ユクが枯れたらどうなるの?」
「この国の民は程なくして朽ちるでしょう」
「何で?」
「この国の民は強い光の力を有しています。故に闇が脅威になる。ユクは闇を取り込み浄化し、光に変える樹。失えば民は闇に取り込まれ存在出来なくなります」
「ん? えっと、つまり、ゾンビとかに聖なる力を注げば大変な事になっちゃいます現象と一緒?」
「例えが悪いわよ」
すかさず突っ込みを入れてから考え込む。
ならば、どうにか出来ないだろうか。
どこかで似たような話を聞いたことが無かっただろうか。あれはまだ自分がティナ城にいる頃、古い文献ばかり読みあさっていた頃、何か見なかっただろうか。
いや、それよりも前のことだ。
まだケイスナーヴではなく別の男が自分の側仕えとして付いていた時、彼が見せてくれた絵本の中。
(そう……あれは双子の神星に突き立てられた神の巨剣の話)
闇を喰らい成長する剣は闇を喰らいすぎてその存在を保てなくなった。その影響で世界は淀み始めた。剣が闇を喰らうことで世界が安定していたのだ。それが出来なくなって、世界は不安定になった。
あの話で、安定を欠いた剣をどうしたのだったのだろうか。
誰が、どんな方法で世界を救ったのだろうか。
子供向けの絵本の中では魔術に関することは、はっきり語られなかったのだが、彼は、自分がフウと呼んでいたあの青年は何と語っただろうか。
「……孤月を抱く暁の戦士」
「ん? 何? 何かいった?」
そうだ、彼はそう言ったのだ。
「‘青き扉が開かれる時、孤月を抱く暁の戦士は蘇り、剣を手にする’」
一同が不思議そうな顔でライラを見やった。
彼女は口元を押さえる。
気持ちが悪かった。
悪い言葉を口にしてしまったかのような奇妙な感覚に襲われる。
けれど、それが救う手段。
あの話では、世界を救う手段を探して歩き回った戦士が結局手段を見つけられずに戻り失意のまま剣に触れた時、突然剣は安定を取り戻し、世界は再び平和になったという話だった。
フウはその人物は時を司る王と言っていたはずだ。自分がそれとは気付かず剣の時間を巻き戻したのだと。
青き扉は、過去と現世をつなぐ象徴とされる魔法陣のこと。
暁の戦士は、月を守っているとされる神のこと。悠久の刻を象徴する神で、時の流れを司る神だ。
「扉を開いて……古の時代の時王を召喚すれば、樹の時間を遡ることが出来るかも知れない」
ライラの呟きにユクが答える。
「……その方法は数代前の王が試しましたが、失敗に終わっています。暁の戦士は人間に力を貸しません」
「あー、ですが、その王は塔への扉を開けなかったはずですね。ならば、或いは今回は成功するかも知れません」
声が聞こえて振り向くとそこにはキカがいた。
青ざめた顔とふらつく足で、こちらに近づいてきた男は、途中でサイディスに支えられてライラの近くまでやってくる。
「お前、大丈夫なのか?」
「酷い顔しているわ」
「悪いですね、元からです」
皮肉を返すようにキカが言う。
「何か奇妙な感じがして来てみたら、随分と面白いことになっていますね。私から言わせてもらえば、ノウラ姫は一度でも命を救おうとした相手です。犬死にではないにしても、こんな所で死なれるのは嫌ですね」
声を出すのも辛そうだった。
魔力をあれだけ使ったのだ。無事にいるだけでも奇跡だった。本当ならまだ動くことだってままならないはずだ。
キカは青い顔で集まった人を確認するように見やった。
「これだけの大人数、或いはいけるかも知れない。……ここに、塔への扉を開きましょう」
「え? ちょっと待って下さい、塔の扉を開くって一体どういう意味ですか!?」
ユリウスが慌てたように言う。
塔に招かれた経験のない人たちの多くはある勘違いをしている。塔の魔術師が‘塔’と呼ぶ場所は、魔法協会の拠点とされるエーデ島にある塔の事ではない。
もっと別の空間。
だから‘塔’と呼ばれているものの、真実塔の正体を知っている魔法使い達は‘塔に登った’という表現はしない。‘招かれた’と言うのだ。
必要な時に開かれるあの場所に。
「無理に開けば空間が歪むわ」
「けれど私もライラさんも塔への道を知っている。……理論上は可能のはずですが?」
不可能とは言えなかった。
そもそも理論上は不可能とされていた力を使ったライラがその言葉を否定するには説得力が足りない。
ライラはノウラの姿のユクを見る。
彼女はじっとこちらを見つめている。イクトーラでは助けられなかった。あの時は他に方法は無かったのだ。でも今はある。失敗するかも知れないが、可能性があった。
「……やりましょう」
ライラはキカを見る。
「誰かを犠牲にして何かを救うなんてまっぴらよ。可能性があるなら、やれるだけ全部やってみましょう」
そう言ってくれると思いました、とキカは満足そうに微笑んだ。