5
少女が太陽に向かって手を伸ばしていた。
髪の長い少女だった。
彼女は何か歌を歌っていた。
その少女の歌声は、流れ込む知識の塊。
(……お願い)
少女は呟く。
「ユクを、助けて」
言葉で目を覚ましたライラは目を見開いた。
あの時と同じ声だった。地下水道で少女と出会った時と同じ声。
半身を起こすと、隣で眠っているユーカが身じろぎをした。
彼女は眠そうに目をこすりながら身体を起こす。
「……ライラー、今、何か言ったぁ?」
「……貴方も聞こえたの?」
「助けてって……女の人の声……」
半分寝ぼけてゆらゆらと揺れながらユーカは言う。
ライラは白い布を肩に掛け軽く髪を撫でつけた。
「どっか行くのぉ?」
「声が気になるでしょう?」
「私も行くー」
ふわりと風が起こりユーカの身体が宙に浮く。
まだちょっと寝ぼけているのだろうか。殆ど寝ている状態でライラの後を付いて廊下へと出る。
ライラ達が外に出るのと、隣の部屋の扉が開くのはほぼ同時だった。
「ジン?」
「……お前にも聞こえたのか?」
「貴方も?」
ああ、とジンが頷く。
彼の背後で青年の姿をしたケイスナーヴが怪訝そうな顔をする。
「私には聞こえませんでした。マヤ様もぐっすりとお休みになっております」
部屋の中を覗くとマヤの眠るベッドと、傍らで大刀を握ったまま不機嫌そうに座っているシグマの姿が見える。
問いかけるように見ると、答える義務はないとでも言うように視線を逸らされた。
どうやら彼にも聞こえていなかったようだ。
「夢でも見られたのではないのですか?」
「三人同時に?」
一人だけだったならただ夢を見ただけと思っただろう。地下で少女と出会っていなければライラも疑っていたかもしれない。
「叔父様は?」
「クウル様は急に奥方様の顔が見たくなったから戻るとお帰りになられました。ライラ様とマヤ様にはくれぐれもよろしくと」
ライラはため息をつく。
あの人は本当に来る時も帰る時もいきなりだ。
だが、らしいといえばらしいだろう。
あの後何も告げずに消えたリオリードも同じだ。クウルの言い出したパーティに付き合ってくれた事の方が意外だったくらいだから、こうして自然にいなくなった方が普通のように感じられた。
「叔父様なら何か分かるかもしれないと思ったけれど……そうね、私たちだけで調べて見ましょう。声が気になるわ」
「そうだな。確かに気になる。先刻から、酷く呼ばれている気がするんだ」
「さんせー、ユーカちゃんも賛成ぇー………」
むにゃむにゃと最後の方は言葉にならなくなっている。まだ、半分眠っているようだ。
だがユーカも確かに声を聞いている。
ユクを助けて。
その言葉はまだ耳の裏側に残っているような気がした。そしてその声は自分たちを呼んでいる。早く来て欲しいと、取り返しが付かなくなる前に来て欲しいと。
「私もお供を致します、ライラ様」
ライラは頷き、ちらりとシグマを見る。ここを頼むという意味を込めた視線は、マヤを守るのは当然だという意味合いの視線で返される。
少しだけほっと息を吐いて外へと出た。
消し炭の街は、夜になってようやく賑わってきている。酷く治安の悪い印象を受けるが、それに構ってはいられなかった。
急ぐようにライラは足を進める。
どこへ、とは具体的には分からなかった。
だが確実にどちらへ向かえばいいのかは分かっている。それはジンも、半分眠りながら空中を漂っているユーカも同じだった。
声を掛けようとする男達が声を掛けにくいほどの速度で進んでいく一団が消し炭の街から飛び出すと同時に出くわしたのは同じように急いで来た様子のサイディスだった。共にユリウスとノウラを連れている。
サイディスはライラを見た瞬間目を見開くが、出会った事に対して驚いた様子はなかった。
「やはりか」
ライラもその言葉に同意見だった。
彼も‘やはり’呼ばれてきたのだ。
「彼女が呼んでいるわ。理由は分からないのだけど、私も、ジンとユーカも同じ」
「こちらもだ。俺たち兄弟だけならまだしも、ノウラまで呼ばれている。一体何があるって言うんだ?」
分からない、とライラは首を振る。
けれど尋常ではない胸騒ぎがする。今行かなければ取り返しの付かない事態になる。そんな感覚だった。
ライラはノウラを見る。
こんばんは、と小さく言葉を発した彼女の顔色は青い。同じような感覚を彼女も味わっているのだろうか。焦燥と言うべきか。張りつめた空気が彼女の緊張に拍車を掛けているように思えた。
「大丈夫、まだ間に合う」
声を掛けるとノウラは頷いて見せた。
呼ばれているということはまだ最悪な事態には発展していない。そのはずだ。
「急ごう」
ジンが言うと、サイディスはやや不満そうに言う。
「お前が仕切るな」
「だったら、お前が仕切れ。言い争っている場合じゃない」
「それが国王に対する口の利き方か?」
「敬って欲しいならそれらしいことをするんだな」
一瞬、一触即発の雰囲気があったが、それはサイディスが吹き出すことで終了した。ジンも僅かに笑みを浮かべている所を見ると、文句を言い合ったというよりも単純に言い合いを楽しんだように感じる。
ノウラも微かに笑いを浮かべた。
(……まったく、どこまで分かってやっているのかしら)
緊張した雰囲気が少しほぐれた。
こうして自然に流れを変えてしまうのがサイディスという男だ。ジンも何故かそれを理解しているという風だった。
「……急ぎましょう」
言うと再び緊張が戻る。
今度の緊張は酷く張りつめた物ではなかった。