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小柄な影もまたこちらを伺うようにしながら持っている武器を構えた。
星の灯りと城の各所で焚かれているたいまつの明かりの他に照らすものがない。部屋の中は暗く、そこに小柄な人がいること以外分からなかった。
例え見えたとしても、顔まで判別できないだろう。
その影は体型すら隠すように全身を黒い布で覆っているように見えた。
(量れないな。だが、確実に強い)
ぎりぎりと音を立てて剣が寄生を強めていく。
楽しんでいるのだ。
剣自身がこの状況を。
魔剣は血を好む。狂気を好む。
殺せ、そう命じているのだ。
目の前にいる強い相手を。
(駄目だ。生かして捕らえる)
押し込めるように頭の中で呟くと、寄生の進行が止まった。
瞬間、ジンは走った。
侵入者が迎え撃つというように剣を構える。
剣が交わった。
「……んっ」
影が衝撃に絶えきれず呻き声を上げる。
女の声だった。
ジンは剣に力を込める。先刻切った右手に滲む血が濃くなる。痛みが増していつもよりも力が入らなかった。
「くそっ」
ジンは女ごと剣を突き飛ばすように強い力で剣を引き上げた。
バランスを崩して女がよろめく。
覆った布の合間から、瞳が見える。
覚えず目を見張った。
真紅に染まった左目。
「……!」
ジンは咄嗟に身を引く。
衝撃が来る。
身構えなければ部屋の端まで飛ばされただろう。
強い衝撃波が女の身体から放たれた。
「……ちっ!」
激しい力を眼前に構えた剣で受け流し、ジンは女の真上へと飛び上がった。
女の魔法の防壁がジンの攻撃を阻んだ。
確かめる。
真上から女の瞳を凝視した。
左目は赤い。
だが、もう一方の右目は美しいエメラルドの翠。
間違いが、ない。
「何故」
ジンは跳ね飛ぶように間合いを取る。
彼女は驚いた様子でこちらを見つめていた。
気が付いたのだ。ジンが彼女に気が付いたのと同じように彼女もまたジンに気が付いたのだ。
ジンは荒い息を整えながら剣を抜きはなったまま少女の方に近付く。女はゆっくりと後退っていった。
女が部屋を出ようと身をよじらせたのと、その手をジンが掴むのはほぼ同時だった。
細い手首。
捕まれて、彼女が身を強ばらせたのが分かった。
「どうして」
声が掠れる。
まるで何十年も会っていなかったかのように、懐かしさと切なさが胸にこみ上げてきた。どう声をかけていいのか分からず喉元に詰まる。
「……こんなところに?」
問いかけると彼女は何か都合の悪いものでも見られたかのようにうつむいた。彼女はゆっくりと顔を覆っていた布を外した。
そして、顔を上げる。
その表情を見て一瞬動けなくなった。
まるで金縛りにあったように動けなくなる。
微笑んでいた。
どこか申し訳なさそうに。
それでも奇跡のように美しい表情。
覚えずその顔に見とれた。
「ごめんね?」
彼女の形のいい唇が呟くように言う。
刹那。
「……っ!!!!!」
ジンは衝撃を覚えて蹲った。
虚を突かれたとはいえ、自分でも信じがたい失態だった。
言葉も出ないとはこのことだろう。
「まっ……」
止めようとするが、動けなかった。
彼女は身を覆っていた布で身体を抱き込むように包むと闇に溶けるようにして消えた。
追うことも出来ず蹲っているだけの自分に情けなさを感じる。怪我はないのだが、ある意味致命傷だ。
完全に油断をしていた。
誰を責めることも出来ない自分の失態。
ようやく衝撃から立ち直って来たジンは深く溜息をついて剣を収め部屋の様子を見渡す。
王の眠るはずのベッドに人の姿はない。そして眠っていた形跡も無かった。
先刻の戦闘で多少のズレは生じているものの、人が寝ていたり、ベッド脇に腰を下ろしていたような形跡はない。
王は、初めから不在だったのだ。
(……では何故結界が張られていた?)
この部屋に王以外に守るものがあるのか? それとも、王がここにいると見せかけたかったのだろうか。
どちらにしても、王の部屋は当初外部からの侵入を拒むように守りの結界が張られていたのだ。
それは一体何故?
(それに……あんな方法じゃ)
「貴様、そこで何をしている!」
声を荒げた相手を一瞥してジンはベッドの脇にしゃがみ込んだ。
あの試験会場にいたフォークという男だ。
この状態で誰かに見られるのは要らぬ誤解を生むだろう。一時的に拘束されても罪を咎められる心配はないだろうが、その前に確かめておきたいことがあった。
ベッドの下、探るように手を入れると何か奇妙な仕掛けが手に触れる。
絡繰り。
おそらく隠し通路か、隠し部屋へと続く道を開くための仕掛けだ。彼女はこれを確かめていたのか。
否、おそらく本当に調べたかったのはこれではない。
もっと別のもの。
「おい、聞いているのか」
男に肩を掴まれ、ジンは息を吐いた。
「俺は……」
「ジーン! ノー姫さんの無事確認」
声を聞いて廊下を覗いたジンとフォークはその様子に唖然とする。
軽快に駆けてくるクウルの小脇には戸惑った様子のノウラの姿があった。
「ひ、姫様!」
「クウル、何で連れて来て居るんだっ」
「俺の近くが一番安全だからねぇ。それにさー」
「すみません、私か連れて行って下さいと頼んだんです」
下に下ろされ、衣服の皺を軽く整えたノウラは背筋を伸ばして立つ。
「陛下は、おいでにならないのですね?」
「それは……」
フォークが口ごもる。
この時間に部屋にいない。
遊び回る癖があり、暗愚であると噂される王。
それの意味する所は明白だ。
ノウラは一瞬ジンの手を見やり、きゅっと表情を引き締めた。
自然にフォークが姿勢を正した。
「この一件、ディロードの娘として私が預かります。フォーク様、どうか、怪我をした者の治療を最優先して下さいませ」