26.線香花火の約束
26.
魔法学園に在籍する三年生で、フレッドと去年バディを組まされていたロロロ。
彼女からの突然の謎かけ。
『なぜ魔法学園では色が違う者同士でバディを組まされているのはどうして?』
タオルケットにくるまりながらうんうん唸って考えるシロ。
身の回りのバディを思い返してみても見事にカラフルな取り合わせになっている。
アイリーフとエルザは「緑」と「黄」色。
モカ&メローネも同じだ。
そして自分達のチームは今でこそ「赤」が二人いるものの、それまでは「赤」と「黒」の組み合わせだった。
しかし一組だけ。
そう。
たった一組だけそうじゃないバディが身近にいる。
すぐにでも話を聞きに部屋を訪ねたいところなのだがあいにく彼らは夏休みを利用して実家に帰省中。
そのことについてシロは、先輩のフレッドに尋ねるべきかどうかを一日中ずっと悩んでいた。
彼もまた、ロロロに似て勘が鋭い一面がある。
突然そんなことを質問して怪しまれたりはしないだろうか。
止められていたのにも関らず彼女と逢っていた事を勘繰られたりはしないだろうか、と。
そんな悩みは校内放送で名前を呼ばれたことにより今一時、頭の隅に追いやられる事となった。
そして太陽が西の山へ傾く頃。
三人一緒に戻ってきた部屋の中でぼーっとくつろいでいる。
シロとアップルはベッドの上へ。
彼女を自分の正面に後ろ向きに座らせ、自慢の髪を丁寧に梳いてあげる。
木製のクシは彼女の朱色で光沢のあるショートの髪にサクッと入り、スーッと滑らかに進む。
椅子にまたがるフレッド。
頬杖をつきながら見つめるその視線を部屋の一角へと移していく。
兄妹。
あるいは親子のように親密に触れ合う二人を横目に彼は名残惜しそうにつぶやいた。
「早かったな」
青天の霹靂。
まさにそんな言葉がぴったりと当てはまるほどの衝撃があの男の口から飛び出した。
雲ひとつない快晴だったこの日。
職員室に呼び出された彼ら三人のチームは、椅子に座って待っていた「青」の教師ヒースガルドから告げられた言葉に耳を疑った。
アップルがチームに加入したあの日にシロ達との仲介役を務めた男の口から告げられた現実。
それは彼らの心身に痛烈すぎるほどの落雷をお見舞いした。
「もう帰るのか」
「あぁ。引き取ってくれる人が見つかったんだ。エン共和国に屋敷を構える有名な資産家の一人でな」
「へえー。エンの人間っていや移住の民だよな。子供のあいつにはつらくないか? 俺はどっちでもいいけど」
「その人は出身はオークロッテなのだそうだ。定住型だし、金銭面でも生活に困ることは無い。任せて大丈夫だ」
フレッドと教師が話し込んでいる。
だが彼らの言葉はシロの耳に入り込んでもすぐさま逆の耳から出て行ってしまう。
隣りに立つアップルも同様だった。
つないだ手が、徐々に握力を失っていく。
シロは。
震える彼女の小さなその手を力強く、離すまいとぎゅうっと握り返しながら彼らの会話に割って入った。
「いつ、…迎えが来るんですか?」
ヒースガルドはシロの方に目をやり、淡々と告げた。
「今夜だが」
「はえーな! しかも何で偉そうなんだよ」
驚きの急展開にフレッドは敬語も忘れて意見する。
「教師だから偉いんだ。それより今のうちに荷造りを済ませておけよ」
これが事の顛末であった。
西日に照らされた室内にはホコリがふわふわと舞う。
そのホコリは何度クシを通しても彼女の頭にまとわりついて離れない。
何度払っても。
何度頭を撫でても白いホコリは舞い上がり、やがて彼女の赤い髪の上にくっつく。
シロは手を止めてうつむきながらつぶやいた。
「本当に、急すぎますよね」
「三日間くらいいたのかな?」
カレンダーを指差しながら数える素振りを見せるフレッド。
なんてこともないという体を装う彼もまた、どこか表情に陰りを帯びている。
「ま。決まってしまったもんはしょうがない。それより入れ忘れたものがないか最後にチェックするぞ」
フレッドは椅子からよっと立ち上がる。
床に置かれた、口の開いた段ボール箱には彼女の私物がたくさん収納されている。
丁寧に折りたたまれた洋服の数々。
折り方を教えながら初めて作った紙ヒコーキ。
引き出しに入っていたお菓子の袋。
昨日一緒に書店に行って買ってあげたばかりの絵本まで。
それらが開いた段ボールの口からのぞいている。
目をやったシロにとってその何気ないアップルの持ち物一つ一つがとても愛おしく、何物にも代えがたい宝石のように見えた。
彼女の小物一つ一つに彼女との思い出が詰まっていて、手放すことなど出来ない大事な宝物だった。
胸にズシンと衝撃が響く。
教師から告げられた離別の言葉が時間を空けて突き刺さったのか。
いや。
そうじゃない。
くるりとこちらに顔を向けたアップルがシロの胸元へとタックルをかましていたのだ。
「ずっとここにいたい」
もたれ掛かり、顔をうずめたままでアップルはつぶやく。
その表情を窺い知ることはできない。
だが読み取ることならできた。
小刻みに震える体。鼻をすする音。胸元に伝わる温もり、そして若干の湿り気。
優しく彼女の名を呼ぶ。
両肩に手を乗せる。
引き離そうとする腕の力に反発し動かない彼女の小さな体。
幼い両手が袖を引っ掴み、涙目で訴えてくるアップルがそこにいた。
「やだぁ! 行ぎだぐないよ!」
くちびるがふるふると震える。
突っぱねようとしていた腕から途端に力が抜けていく。
シロはぎゅっと掴んで離さないその腕ごと彼女の体を抱き寄せ、密着したまま耳元でささやく。
「僕もだよ…」
静寂に包まれた室内に、鼻をすする音がもう一つ増えた。
とぷんと日が沈んだ頃、オークロッテ魔法学園に新たな来訪者が。
ランプを灯した馬車に揺られて静かにやってきた一行は、入り口で学園の教師数名に迎えられる。
今回アップルの世話を担当してないようで担当したヒースガルドもこの場にいる。
しかし、アップルを含む三人がまだ来ていない。
そんな彼らの事情を知る由もなく、馬車はゆっくりと足を止めた。
そして馬車の扉からゆっくりと人影が姿を現した。
「遠路はるばるようこそお越しくださいました。ルービックス卿で御座いますね」
教師の一人がお辞儀の後に労をねぎらう。
降り立ったのは歳を重ねた老婆。
ヒースガルド達教師陣のゆうに倍以上の歳月を生きているような身なり。
反対側の扉からいち早く降りて馬車の後ろを周り駆けてきたのは、これまた高齢の使用人。
彼に手を引かれ、シルバーの杖をつきながら曲がった背中を持ち上げる老女。
「あらやだもう。どうかそんなに堅苦しい挨拶はなしでお願いね」
見た目とは対照的にトーンの高い声を出す老女。
左手の一振りで使用人を下がらせたルービックスは、その場に居合わせた教師たち一人一人の顔を順番に眺めていく。
魔法学園に在籍する生徒は圧倒的に女子が多い。
その背景には、女の方が生まれつき大量の魔力を備えて生まれてくるという普遍の事実が存在する。
そうなると必然的に魔法を教える者も女性が多くなる。
生徒とは違い、年齢には大きな隔たりが生じるケースが多いが。
右から左へとゆっくり流れていくルービックスの体の向きはやがて一人の男性教師の前で停止した。
眼鏡が光る美形教師ヒースガルド。
彼を見つけるや一際大きな歓声を上げて近づいてくる。
「きゃー! おひさしぶりですね先生」
外見にそぐわない黄色い声を出す老女。
それに対し、身に覚えの無い若い教師は穏やかな表情を作り切り返した。
「はて。どこかでお会いしましたっけ? 私は美しい女性の御顔を忘れる筈はないんですが」
「あらやだお上手ね」
ジェスチャーを交えつつ、ほのかに赤く頬を染める。
急に大きな声を出したせいだろうか、それとも…。
「もうすいぶん昔の話になるんだけど、魔法使いとしてこの学園を訪問した事があるのよ」
「ほほぅ。そういうことでしたか」
「ヒースガルドさんよね。当時は優秀な生徒会長として注目を浴びていたの覚えてるわぁ」
「はっはっはっは。これはまた」
ヒースの目を見つめながら身の上話に花を咲かせる。
魔法学園には珍しい男子の生徒会長を努めた経歴を持つ教師との再会に喜びを隠せない様子。
彼はその話に時には頷き、そして時には感情豊かに笑って見せながら相手をしていた。
そんなルービックスが気になる一言を口にした。
「妹さんも元気にしているの?
あなたの後ろに影のように寄り添っていた。名前は確か…ヒースロッテさん、だったかしら?」
ある特定の人物の行方を探すかのように辺りを見渡しながら尋ねてくる。
そんな彼女の言葉を聞くやヒースの眉毛がピクンとつり上がる。
この時、よく回る彼の唇が一瞬だが止まった。
「えぇ…。あいつなら何処の馬の骨とも分からん相手と何処か遠くの町へ出て行きましたよ」
ヒースガルドには双子の妹がいる。
性別が違うためまったく同じ顔というわけではないが、外見も中身も非常に共通項が多い。
雰囲気もよく似ており、嗜好はどっちも鬼畜Sだ。
その美形さも手伝って双子の教師の話は学園内でも有名である。
ヒースロッテはそのフェイスを利用し、今でもしょっちゅう兄に成りすましては学園の生徒達をやさ厳しい目で見守っている。
そうだ。
ロッテは今でもこの学園の教師として籍を置いている。
双子の兄はなぜ、二つもの嘘を交えたのか。
ドーン!
星が瞬く夜空に突如一発の花火が打ち上げられた。
無数の火花がパァッと散り、闇夜をほのかに明るく照らす。
ヒースガルドにまつわるその答えは爆音にかき消されることとなった。
「あらま。今日は花火大会でも催されてるのかしら?」
ついさっきこの学園にたどり着いたばかりの彼女にとってこの質問はもっともだ。
あらかじめ彼等から事情を聞いていたヒースは、彼女に丁寧な物腰を作って説明した。
「いやなに。ただの別れの挨拶だとか」
それから程無くして三人の人影が近づいてきた。
フレッドとシロ。
そして二人に手を引かれてやってきた一際小さな人影。
「遅れてすみません」
小さな歩幅にあわせて走ってきたシロは開口一番に教師達に頭を下げる。
手を繋いだアップルは屈んで息を整えている。
そんな彼女と手を繋いでいるフレッドは首を垂れることもなくじっと一人の来訪者を見定めていた。
「こちらがアップル嬢の世話をしてくれる御方だ」
教師に促されて挨拶する。
「は、はじめましてシロです」
「ルービックスよ。よろしく」
ヒースガルドの仲介ではじめて顔を合わせる両者。
一人の少女を託す者と、託される者。
当の本人に自覚がなくとも、一人の人間の将来がかかった大事な選択だ。
その意味を噛み締めるようにシロは老婆の目を見つめ、涙をこらえながら口を開いた。
「この子のことを、よろしくお願いします」
ポンと手を置いた肩。
出会ってからの三日間で一体何度こうして彼女の肩に手を置いたのだろう。
幼くて無邪気ながらもたまに悲しそうな顔をしていたアップルに、シロはいつだって手を差し伸べた。
安心させようとして。
ただただ彼女のことをどうにかしてあげたくて。
やがてその腕が背中を後押しするように力を込める。
一歩、そしてもう一歩。
若き学園の生徒から向かい合う老婆の元へと足を進めるアップル。
「はい。確かに了解しましたよ。さぁおいで、赤くて小さなお姫様」
自分と同様に、屈みこんで目の高さを揃える老婆がいる。
その姿を見てようやく一つの決心が付いた気がした。
名残惜しそうに肩に置かれた手を離す。
アップルは振り返ることなく一人で足を伸ばし、その老女の下へ歩んでいった。
その姿はまるで。
三日前のあの日と同じ光景を見ているようだった。
ここで先ほど名前が挙がっていたエン共和国について説明しよう。
ひし形を成す魔法大陸ミシディア。
それがこの物語の舞台であるわけだが、その大陸は大きく五つの国や領土に分けられている。
現在シロ達が暮らしているオークロッテ地方は大陸の南東側に位置する魔法の技術で栄えた土地。
ルービックスとアップル達がこれから向かうエン共和国は大陸南側の海沿いを横に細長く陣取る商業国家である。
オークロッテ魔法学園からは南西の方角へ。
第三章の秘宝奪還任務で向かったあの森を避けてさらに西へ向かったところにある。
ちなみにシロの実家はオークロッテとその北方に位置する大帝国イリスアとの境界にある。
エンとの距離は学園よりさらに遠い。
その地理を踏まえてシロは寂しさをこらえつつ尋ねてみた。
「これから出発ですか?」
「えぇ。休憩を挟みつつ、ゆっくりとエンに戻る予定よ」
とここで。
ぞんざいな挨拶だけ済ませてからずっと黙りこくっていたフレッドがはじめて口をきいた。
「国外からわざわざオークロッテくんだりまで大変だなばーちゃん。道中地震とか起きて怖かっただろ?」
つぶさにスパーンと頭を叩かれる。
歯に衣着せぬ物言いの問題児に、眼鏡をかけた教師がその手に握られていたステッキでしばきあげた。
そしてこの場に居合わせた教師達は全員平謝り。
ぷくーと膨らんできたたんこぶをさすりながらも頭を下げることを(物理的に)強要されるフレッド。
だけど懐と人生経験の深いルービックスお婆ちゃんは快い笑顔で許してくれました。
「…いいえ? 地震なんて一度も。ずっと馬車に揺られていたせいかしら?」
今年の五月頃から。
時期的にはちょうどフレッドやレイ達と一緒に盗まれた学園の秘宝を取り戻しに行った時期と重なる。
小説的に表して第三~四章の頃よりオークロッテ地方全域で頻発していた小規模な地震。
その天災はこの老女の言うとおり。
夏休みに入った辺りの頃からその頻度が激減している。
揺れの度合いも小康気味だ。
新学期が始まるまでに収束してくれると良いのだが。
顔を上げたフレッドは再びその老婆に目をやる。
ルービックスはシロやアップルと束の間の世間話を楽しんでいる。
老婆にとって孫に当たる年代の他人と話をするのはやっぱり楽しいのだろう。
しかしシロはシロで。
よく自分の祖母の年代の他人と会話が成り立つものだとある意味で関心してしまう。
仕方無しに足を引くと彼はズキンズキンと痛む頭のたんこぶを作った張本人に話を振った。
「あのばあちゃんの名前ってアラビッコスだっけ?」
大幅に間違えて覚えている名前に注釈を入れられつつ教師は返答をよこす。
「ルービックス=ロレイラル。最近株売買で名を上げた有名人だ」
「いや。俺が聞きたいのは今目の前にいるばあちゃんの名前だよ」
フレッドからの再質問。
予想だにしないその返答にヒースは口を尖らせながらぶっきら棒に突っ返してきた。
「? だからルービックス卿だと言ってるだろうが」
「本当かな? なんか嫌な単語が入ってるように見えるのは俺の思い過ごしか?」
そう言って腕を組み、歩きながら思案する。
この老婆をかつてどこかで見た覚えがある。
直接会ったのか。
それとも写真か何かで顔を見ただけか。
ヒースガルドが言うには、彼が学園の生徒として在籍していた頃に魔法使いとしてこの学園を訪れたことがあるとか。
逆算するとその時の自分は六歳前後。
奇しくもアップルと同じ年の頃になるのか。
などと考え事をしているうちにその老婆がいる所まで歩いて来てしまっていた。
目と目が合うとルービックスはにっこりと微笑みをくれた。
適当に首だけで挨拶を返す。
そして先ほどから足元でごちゃごちゃと聞こえてくる声の方にも目をやる。
眼下に見えるは黒と赤の髪の毛が生えた二つの頭頂部。
いつの間にか老女との会話を済ませた若い二人がお互いしゃがみこみながらなにやら話し合っていた。
と言ってもフレッドの耳には一人分の声しか聞こえてはこなかったのだが。
「いいねアップルちゃん。新しいお屋敷に行ってもちゃんと今まで通り良い子にしてるんだよ。
あとニンジンは残さず食べること。好き嫌いしてると大きくなれないよ。
お風呂からあがったらよく体を拭いて、寝る前にはちゃんと髪を乾かすんだよ。じゃないと風邪をひいちゃうからね。
歯に食べ物が挟まった時も人前で取ったりしちゃ駄目だよ。汚いしみっともない子だって思われちゃうからね。
それからえっと…」
もはや見ていられない。
鼻声交じりのシロを遮ってこう付け加えた。
「『挨拶はちゃんとしよう、淑女のたしなみだよ』だろ。何回同じ事言ってんだよ」
さて。
見送りの言葉もそこそこに、いよいよ旅立ちの時が近づいてきた。
まだまだ話したいことはあるだろう。
当然のことだ。
だが切り上げなくてはならない。
すっかり暗くなってしまった夜道を行くルービックス卿のこと。
そして何より眠たそうに目をこするアップルをこれ以上引き止めておくのが可哀想に思ったのだ。
「またねシロお兄ちゃん」
老婆の手を握りながら、もう片方の手を後ろに回して最後の挨拶。
いよいよ別れの時。
「またいつでも遊びにおいで。一ヶ月後には学園祭があるんだ。家族みんなで……ッ」
家族。
そのワードを口にした途端、今まで我慢していた感情が一気にこみ上げてきた。
涙、鼻水、唇の震え、嗚咽。
もっと一緒にいたかった。
彼女の成長をもっとこの目で見守っていたかった。
それらの想いが引き金一つで堰を切ったようにあふれ出し、もう自分ひとりの力では抑えることなどできなかった。
唯一の救いは夜の闇。
暗闇に包まれていたおかげで旅立ち前のアップルに泣き顔を見せずに済んだ。
「うんわかった。絶対また来るから。ボッキのお兄ちゃんもバイバイ」
アップルは今度は顔だけ彼の方を向き、手を振りながら別れの挨拶。
フレッドは左の手をポケットにつっこんだまま、出した右手をしっしっと動かして挨拶を返す。
「今度はちゃんと十五歳になってから入学して来い。その時はこの学園の教師として迎えてやる」
彼女の笑顔が忘れられない。
馬車が学園の門から去って行った後も彼はその場で見送り続けていた。
老人達に付き添われて黒革の座席に着いたアップルが別れ際に見せた最後の笑顔。
あの最高の笑顔を忘れない。
「優しそうな人達で良かった。これでよかったんだ。こんな危険な場所に留めておくより、これがアップルちゃんのためなんだ」
長々とブツブツ独り言を唱え続けるシロ。
このまま放っておくと延々見送り続けて朝になってしまうのではないだろうか。
明かりにぼんやりと照らされた彼の背中を眺めていると、そんな考えが頭に浮かんでくる。
面白そうなのでそれも一興か。
しかしそのまま立ち去ることはフレッドにはできなかった。
ある一つの問題を無視したままでいることは許されなかったので、私情を抑えて彼は切り出した。
「あっ!」
突然のビックリ声。
何かを思い出したときに出る声、というよりはむしろ背を向けている相手の不意を突きビックリさせてその様子を見て愉しむために出す声。
思い通りに振り向いたシロ。
顔から出る全種類の体液にまみれてくちゃくちゃになっている彼を一度だけ、鼻で笑う。
そして大げさすぎるくらい豪快に頭をボリボリかきながら、バツの悪そうな顔だけ浮かべて切り出す。
「そーいえばすっかり忘れてたぜ。眼鏡からの伝言」
職員室での最初の出会い。
アップルが真っ先にシロに懐いて彼を独占してしまい、一人残されたフレッドだけがヒースの口からあることを告げられた。
彼に言付けるはずのその事実を別れを済ませた今日この日まで伝え忘れていたわけだが。
何事かという様子で伺い立てるシロ。
流れ出る体液は止まったようだが、拭っていないので足跡はそのままになった顔を近づけてくる。
「あの子はとんでもない素質を秘めた魔法使いだよ。
村を焼き尽くしたあの山火事は、唯一生き残ったアップル自身が放った炎が原因らしい」
アップルがそばにいる間、ずっと伏せられていた衝撃の一言。
少女が生まれ育った村を出てここにやってきたのは周りの誰かに薦められたからなんかじゃない。
そうしないと生きていけなかったからだ。
選択の余地のない、抜き差しならない状況というものが六つの歳の子供の運命を生み出してしまったからだ。
「それ本当ですか?」
感動の別れの余韻も覚めやらぬ中でシロは尋ねる。
フレッドはそんな彼の目線から外れるように学園の寮の方へゆっくり歩き出しながら答えた。
「らしい、だ。
俺も聞いた話なんだが今となっては確認する術がない。
あの山火事が原因で魔法が開花したのか。
それとも以前から火を出せていたのか。
つーかその山火事が人災という確証はないし。魔法使いでもなんでもない一般人の火の不始末が原因で広がっただけの火災かもしれないんだからあんまり気にすんなよな」
三行目について。
シロのことを気遣うように最後に念を押したフレッドが口にした三行目の事柄について注釈を入れよう。
どんなに偉大な魔法使いにも必ず、人生で初めて使った魔法というものがある。
大抵の者は周りの魔法使いに正しい知識を教えられ、正しい手順を踏んで実行するものだ。
しかし魔法の技術が早熟であったり、才能に恵まれた子供は教えてもいないのに無意識的に魔法を出してしまう事がある。
それが災いして事故に発展した例だってある。
自分の肌で直接触れることで魔力が目覚めてしまうケースがある。
どういうことかというと。
上述の事故の例にも言えることだが、無意識あるいは突発的に飛び出した魔法で負わされた怪我に起因するパターン。
そういう類の"思わぬ魔法"によって魔力が宿ってしまうケースも往々にしてあるのだ。
実力者の魔法に追い詰められたどさくさに目覚めたシロのケースは類似例と言える。
詳細は第一章!
「それからもうひとつ。たぶんお前は浮かれてて気付かなかっただろうから話すことだけどなー」
ここから先、フレッドの声が一段大きくなりました。
先程までの話は本当はアップルが傍にいた時に話すべき内容だったのを彼個人の問題で忘れていた。
きっと僅かばかりでも負い目があっただろう。
しかしこの先はそんなことはない。
次の事柄はシロに話す上で何も後ろめたいことがない内容だから。
したがって彼の声も普段と同じ音量に戻るというわけだ。
「なんですか?」
「アップルのやつ、最初からお前の名前を知ってたよな」
どや顔で指摘。
繰り返すようだが詳細はこの第八章の最初のお話、りんごみかん姫の頁を参照されたし。
フレッドの言い分を受けて少し思案するシロ。
そしてこの時ようやく、ポケットから取り出したモノクロトーンのハンカチで顔面を覆っている体液をふき取り始めた。
「そうでしたっけ? よく覚えてませんけど」
首をかしげながらの再確認。
やれやれといった様子で足を止めてシロを促すフレッド。
「そうだよ。なんなら戻って確認してこい」
「いや無理ですから」
シロは戻れないけど皆さんは戻れます。
くどいようだが詳細はりんごみかん姫にあり。
「先生が事前に教えていたんじゃないんですか?」
シロが唱えたその予想はすぐに裏切られた。
「眼鏡は教えてないって言ってた。つかあいつがそんな親切なことするわけねーし」
以上。
そんなこんなで三日間限りの三人体制チームは急遽、終焉を迎えた。
シロとフレッドはこれまでどおりのバディに戻り、二人と離れたアップルは新しい家族の下で新生活が始まる。
明日からまたそれぞれの道を歩んでいくことになる。
唐突に現れ、去っていった赤い少女。
腑に落ちない点を残しながらも夜は更けていき、泣き通しで疲弊した体が休息を欲し出した。
ベッドに横たわり、ほのかにアップルの香りが残るタオルケットを頭から被るシロ。
目を閉じながら彼は、一発の打ち上げ花火が夜空を照らしたあの瞬間の出来事を思い出していた。
「これは俺の出身地方に代々伝わる儀式の一つでな」
フレッドの呼び掛けで執り行われた別れの挨拶。
迎えが到着するまでの束の間。
荷物を運び出す際、事前に教師に話をつけてはいるがあまり時間は残されていない。
彼もやや急かし気味に説明を行う。
「花火を上げながら無病息災を祈ったり、旅立つ相手との再会を願ったりするんだ」
フレッドが持ってきたのは二種類の花火。
まずはそのうちの一つが石畳の上に置かれた。
一本の円筒。
そこからひょろっと伸びた導火線に…、突如いきなり火が着いた!
「!?」
これまでの急展開に告ぐアクシデントに戸惑うシロ。
その横で何事かと彼の顔を仰ぎ見るアップル。
「あの時は悪かったな」
その声を聞き。
そして彼の姿を見てシロはようやく現状を理解した。
鞘から抜かれた妖刀から、小さな火が上がっている。
闇夜に浮かび上がった光源がフレッドの横顔を赤く照らす。
「この打ち上げ花火を仲直りの印にしよう。何があってもこの花火がバディの絆だ」
その目はまばたき一つせずに勢いよく導火線を燃やし進んでいく炎を見つめていた。
「それを言うならチームの絆。でしょ?」
シロから訂正が入る。
彼はそれをにっこり笑って受け入れた。
「あぁ、そうだな…」と。
視線を向けることなく。
暗闇の中でも道を見失うことなく突き進む小さな炎を見つめたまま。
一発の打ち上げ花火が夜空を照らし、消えていった。
光の尾を引いた直後の爆音と共に歓声を上げる小さな女の子。
その色を変化させながら、太鼓を力強く叩き付けたような音を鳴らして上空でバチバチと火花が破裂する。
豪快なお土産に元気を貰ったアップルはぴょんぴょんとその場で飛び跳ねながら嬉しそうにはしゃいだ。
「すげー! すごかったねシロお兄ちゃん! もう一人のお兄ちゃんも」
放送禁止用語からようやく一歩前進した彼の呼び名。
それに気を良くしたのか、先ほどよりも機嫌を良くした様子でアップルに話しかけるフレッド。
「そうだろー。よし! 次は花火占いをやるぞ。これも楽しいぜ」
「花火占いってなんですか?」
三人の絆を誓い合った打ち上げ花火。
その興奮冷めやらぬ中で飛び出した聞きなれない言葉についてシロが尋ねると、フレッドは持っていた細長いある物を彼に手渡した。
「線香花火の消え方で未来を占うゲームだ。
二本しかないからお前らやれ」
フレッドが持ってきた二種類の花火のうちのもう片方。
シロとアップルは線香花火を一本ずつ持たされ、またもいきなり同時に火をつけられた。
線香花火のか弱い灯火を落とすまいと集中し動きを止める二人。
牡丹。しゅわしゅわとふくらむ二つの赤い玉。
松葉。玉が激しく火花を発する。
柳。パチパチと静かにはじける線香花火。
向かい合った火玉の片方が寄り添ってきた。
一つにくっついた大きくて不恰好な線香花火は自分の重さに耐え切れず、やがてポトッと地面に落ちて散った。
その花火占いが何を意味しているのかを、フレッドは笑顔を作ったまま語ることはなかった。
続く。
第八章、完結です。
めっちゃ長くなってしまったけど、今後のエピソードもさらに長くなるんだろうなぁー(投稿期間も)。
予告。
六章終了後書き直すことになった設定の詳細が明かされます!