破天荒な男 其の三
岩木を内与力の元に案内した後、時宗は詰所で書き物をしていた。
奉行所の中は破天荒なこの男のことで持ちきりであった。
「なんでも、昌平坂学問所の麒麟児とか」
「力もすごいらしい。両国橋で喧嘩して力士を投げたとき、川を越えて橋向こうに落ちたらしい」
「今まで長崎や上方に留学していたらしいが、あの若さで次の長崎奉行の候補らしいぞ」
嘘なのか誠なのかとにかく突拍子もないことばかりである。
ひとしきり盛り上がると、やがて話も尽きてくる。
奉行も帰ってくる時分になると、その頃には皆すっかり岩木のことは忘れていたのである。
しかし、奉行が戻って四半刻(約30分)もしないうちに、岩木は再び時宗の元にあらわれた。
「おい、さっきのお前」
岩木は時宗を指刺しながらずかずかと寄って来た。
時宗は顔を上げた。
岩木は時宗の前にどっかりと座りこむ。
周りの同心たちが何事かと、遠巻きに見守る。
「お前、わしのものになれ。義弟になれ」
そういってニイッと笑った。
時宗は、目を見張った。
岩木は続ける。
「今しがた、奉行に断りを入れてきた。わしの妹は、それは美人だ。微禄の旗本のうらなり馬鹿息子になんかやれるかってな。まだ、お前の方がいい」
そういってがはは、と豪快に笑う。
見守っている同心たちは真っ青になる。
奉行職は世襲制ではなく任期も大抵三~四年程で、長きに渡り現場と密な交流をするような職ではない。
それでもここは奉行の膝元、そんなに横柄な口の聞き方は許されない。
顔には出ていないが、時宗も同じような心境だった。
「言葉が過ぎます。第一、平同心に旗本の姫君など、冗談にしてもひどすぎます」
「冗談なものか、わしはお前がいいんだ。決まりだ。早速、真咲に伝えないとな」
そういって、パン、と手を打ってから岩木は席を立った。
玄関先で中間の悲鳴が聞こえた。
また、何か悪さをされたのであろう。
時宗は頭を抱えてため息をついた。
ふと、背中に気配を感じて後ろを振り返る。
そこには、険しい顔で時宗を睨みつける奉行の姿があったのである。
それからというもの、時宗は岩木のせいで、内与力などの奉行配下の者たちからひどい嫌がらせにあっていた。
刀置きに置いていた刀がなくなる、履物がなくなるなどは序の口で、ひどいときは奉行所の中にある牢に入れられて閉じ込められたりした。
そういう時は、同僚の同心たちがこっそり助け舟を出してくれるのであるが、黙って耐えていると嫌がらせはますますひどくなる一方だった。
時宗は、岩木に正式に断りを入れることにした。
あの戯言を本気で取っているわけではなかったが、嫌がらせの根源がそこにある以上はほうっておくことは出来なかった。
そしてある非番の日に、岩木屋敷に向かったのである。
「岩木様。某にはもったいないお話ゆえ、お断りをさせていただきたく参上いたしました。どうぞ、岩木様のお家柄にふさわしい相手を姫君にはおつけくださいませ」
客間に通されて岩木の前に座った時宗は開口一番にそういった。
できれば奉行の息子と添ってもらえればいやがらせも減るだろうと、心の中では願っていた。
「なんじゃ。断るのか、つまらんのう」
岩木は口を尖らせたが、思いのほか機嫌よく受け入れた。
「まあ、家の格とかめんどくさいしな。しかし、わしはお前との縁は切りたくないのじゃ。せめて、家の女中とでも会ってもらえんかの」
「めっそうもございません。このような不浄役人と関わりを持つなど、御家の格に差し障ります」
時宗がそういうと、岩木は嫌な顔をした。
「わしは、不浄役人などという言い方は好かん。仕事にきれいも汚いもあるか。二度とそういう呼び名を使うな」
時宗は内心この男を見直した。
罪人を捕まえる町方の同心は不浄とされ、御家人の中でも一層低く見られていた。
しかし、この旗本はそういうことは一切無視し、人柄で見てくれているらしい。
「お会いして、お女中の気に召されないこともありましょう。それでもよければ、某、お会いいたします」
時宗は先方からの断りを期待しながらそう告げた。
岩木がどう思おうと、普通の女中は微禄の同心職など嫌がるに決まっていると目論んでいたのだ。
「よし、決まりだなっ。お槙に、茶を持たせろ。可愛い格好をしてこいと伝えてな」
岩木は傍に控えていた家臣に伝えた。