終幕
「そんな。時代錯誤も甚だしいようなこの剣術を、お庭番衆がほしがるとは」
「時代錯誤なものか。暗殺術はこれから必ず必要とされる。十年後、二十年後、あるいは五十年後か。徳川という時代が大きな転換を迎えるであろう。異国の波はこの日の本に絶えず押し寄せておるのに、幕府はそれに耳をふさぎ、目をつぶっておる。権威のあるもの達の中でも、それには不平不満が募っておるんじゃよ」
岩木は時宗を見据え、話を続けた。
「少々太平が長すぎた。その時に備えてお前の剣を欲しがる人間は多くいる。わしも含めてな。身を守るにしろ、政敵を討つにしろ、必要なものは力だ」
時宗は体を強張らせた。
そんな時宗を見て岩木はフッと顔を緩めた。
「まあ、まだ先の事だ。どうなるかは誰にもわからないからな。それに、これからの戦でモノをいうのは銃じゃ」
岩木は鉄砲を構えるような格好をしてバン、と口で言った。
そして横目でちらりと時宗を見る。
「ただ、隠密には気をつけろよ。あやつらと接触するな。それに暗殺剣が漏れないように、親族にも徹底しろ」
「心得ております。もっとも、只の町方同心が公儀隠密と接触する事などまずないでしょうが」
それもそうじゃな、と岩木は、がはは、と豪快に笑った。
それからしばらくして隠密らしき影を感じることがあった。
ただ、時宗が公儀隠密からの難を逃れたのは暗殺剣以外にも、時宗が刀の流派でそれなりの腕を持っていたからである。
表向きには普通の剣術を扱っているように振舞い続け、隠密たちの目をごまかしていたのだ。
そうして月日がたつと次第に隠密たちも警戒を解いたらしく、やがて、その存在はいつごろからか、感じることはなくなっていったのであった。
おかげで難なく、一真へ伝授することもできたのである。
時宗は今しがた外出したわが子の背中をぼんやりと思い描いた。
まだ、少年のような我が子もいつかは愛する人が出来るのであろう。
「江戸は退廃している。一真も、暗殺剣を捨てきれないであろうな」
ぽつりとつぶやいた。
彦十という先祖は、戦国の世の中で己や仲間を守るために活用し、そして徳川の世に入り、その子孫らは徳川に毒する政敵を討つためこの剣を使ったであろう。
しかし、二百年以上続く平和な御世は暗殺剣の性質を少しずつ変えてしまい、いまや佐倉の家の只の伝統となりつつある。
このまま永久に平和な世が続くのならば、一真やその子供達は暗殺剣など伝授しなくともよいのかもしれない。
だが江戸は近い将来、必ず不安定となる。
どうかすれば血で血を洗うような大きな合戦が起こるかもしれない。
そんな時、愛するものを守るため、強い力が必要となるのだ。
時宗が真咲を守りきったとき、ほんの少し垣間見たその意義を、あるいは一真は全て分かってしまうかもしれない。
それだけの動乱が頭をよぎり、思わず身震いが来る。
頭を振り、その想像を打ち捨てると、時宗はまた空を見上げた。
江戸の空はいつものように高いところにあって、時宗の想像を杞憂だと笑うようにさっぱりと爽やかな青色をしていた。