第四幕 暗殺剣・犬鷲 其の一
奉行の屋敷の門は硬く閉ざされていた。
時宗は横の木戸を強く叩いた。
怯えたように、年寄りの門番が顔を出した。
その門番の胸倉をグイッと掴んで時宗は、押し殺してはいるが鋭い声で言った。
「ここに女が連れてこられたであろう。どこだ」
普段より険しい顔に暗い凄みがあわさり、恐ろしいほど怖い顔をしている。
「し、知らない!わしゃ、何も知りませぬ」
怯える門番ごと木戸の向こうに押し入る。
その体を押し倒し、門番は地面に押し付けられる。
「女の命がかかってるんだ。どうせ義理立てするような主人じゃないだろ。どこだ、言え」
髷を掴んで顔を地面に押し付ける。
門番はひいひいと泣きながら、離れを指差した。
時宗は門番を起こすと肩を掴んでいった。
「直、岩木様の屋敷からも助勢が来るはずだ。そのときは事を荒立てぬようにそっと通してやってくれ」
そういうと「乱暴をして悪かったな」と、金をその手に握らせた。
頭に血が上っていたが、門を抜けると少しずつ冷静になってくる。
捕り物のときのように騒ぎを最小限にするため、身内のものを抱き込む行為もすっかり忘れていたのだ。
「落ち着け、落ち着くんだ」
時宗は自分に言い聞かるようにつぶやいた。
庭の木々に隠れながら、そっと指差された離れに近づいていく。
数人の無頼者や浪人の姿が廊下に見えた。
建物の一番端にある障子張りの部屋の前をうろうろといったり来たりしている。
素早く茂みに隠れると、時宗は音をたてぬように鯉口を切る。
やがて、部屋の中からひときわ目立つ、金襴の羽織を着た男が出てきた。
青白い顔に女のようにヒョロヒョロと細い手をしている。
うらなりといわれる奉行の息子であろう。
男は中を振り返るとにやりと笑った。
「文句はお前の兄貴に言うんだな。あいつは俺の自尊心を傷つけやがった。手始めにお前を傷物にして岩木に戻してやるつもりだ。さぞかし愉快だろうな」
そういって高笑いをした。
直感的に真咲に向かっていった言葉だと悟る。
時宗の中の冷静さは皆無となった。
がさり、と音をたてて隠れていた茂みから出て行った。
浪人たちが一斉に時宗を振り向く。
時宗を見ると驚き、慌てて刀を抜いた。
しかし、時宗はそれには見向きもせずに奉行の息子だけを見据える。
「な、何だ、お前は!構わん、斬れ!、斬るんじゃ!」
奉行の息子は甲高い声でたきつけるが、誰も動く事はなかった。
正確には、動けなかったのだ。
時宗の発する殺気は、ただならぬものであった。
空気の色も違うと錯覚するほど禍々しく黒々とした殺気をまとっている。
時宗があがりの石に足をかけたとき、浪人者たちは、恐怖が極まって襲いかかってきた。
しかし、その捨て身の剣は、足捌きも構えも無残なものであった。
難なく、時宗はその刀の群をさばいた。
そうして襲い掛かる浪人を軽くあしらいながら、一歩、また一歩と目当ての男に歩み寄る。
奉行の息子は青白い顔をさらに青くしながら刀を抜いて構えるが、その切っ先は時宗の迫り来る殺気に気圧されて、まったく定まらない。
その間合いに入った刹那、時宗は、ガン、と息子の刀に打ち込んだ。
途端に、一間(約2m)ほど後ろに跳ね飛ばされる。
時宗はもう一度打ち込む。
「ぎゃ!」
叫び声とともに、息子はしりもちをついた。
「立て。まだ、俺の気持ちは治まらない」
知らなかったとはいえ、こんな男と、真咲の縁を一瞬でも望んだ自分が恥ずかしかった。
「お前も男なら俺と立ち会え。本気で真咲姫がほしいなら、俺を刺して奪いとってみろ」
押し殺した声が怒りに震えていた。
時宗は、奉行の息子に切っ先を向けたまま、起き上がるのをまつ。
奉行の息子は、敵わないと思ったのか、時宗から逃げようと尻で後じさりをしはじめた。
しかし、ふと出てきた部屋の中を見るや、にやりと笑った。
そして隙を突いて、そのまま中へと逃げ込んだのだ。
時宗は追いかけるように部屋にふみいった。
薄暗い部屋の中に長持や箪笥やらが散在しており、どうやら、衣装を置いておく部屋のようだった。
その箪笥の陰に隠れるようにして、奉行の息子はハアハアと肩を上下させ、引きつった笑いを浮かべていた。
「動くなよ」
奉行の息子は、そういうと、女の手を引っ張り出した。
小さな悲鳴が、それを真咲姫だとわからせた。
「俺に従え。まずはその刀を捨てるんだ。後ろにだ。出来るだけ遠くに投げろ」
奉行の息子は刀を真咲のいる箪笥の影に向ける。
時宗は一息吐いた。
そして、刀を後ろへ投げる。
その様子をみて奉行の息子は少し余裕ができたようだ。
「おまえ、町方同心だろう。そうだ、俺の親父の配下じゃないか。こんな無礼がゆるされると思っているのか。上司に楯突きやがって。沙汰は、お前の肉親にも及ぶんだぞ。それが嫌なら潔く切腹しろ」
そういって、唾を吐く。
時宗は無言で、脇差を鞘ごと腰からはずした。
そして腹の前まで持ってくるとカチャリ、と抜いた。
「時宗様っ。やめて!」
泣き叫ぶ、真咲姫の悲鳴にも似た声だけが部屋に響く。