第71話:根黒万太郎の策略?(☆)
蝋燭の火が点々と灯る部屋の中。
俺の血と墨を混ぜたそこに指を入れる。
そうして、粗悪な紙へと指を這わせて――“根黒万太郎”と書く。
「……」
出来上がった紙を持ち上げる。
そうして、薄く笑みを浮かべて――破り捨てる。
何度も何度も、同じことを繰り返す。
そう、何度もだ。奴へのイメージを払拭できるまで何度もやる。
絶対に勝てない、絶対に負ける。
そんな負のイメージを――ぶち壊すまでだ。
部屋中から視線を感じる。
全てのにやけ面が俺を見ていた。
何処を見ても、根黒万太郎がいる。
笑みを浮かべながらピースサインをしていて――俺の神経を苛立たせる。
憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い――ぶち殺したい。
奴への憎悪が湯水のように湧いて来る。
今までの比じゃない。
今の俺は憎悪の塊で……アイツのせいだ。
俺にカレーを喰わせようとしたアイツの目だ。
アイツの目には俺が映っていたが。
アイツの目の中の俺は俺では無かった。
アイツは俺を――敵として見ていない。
憎悪も怒りも、殺意すらない。
何処までも無警戒で、何処までも見下していやがった。
お前なんぞは警戒する必要はない。
お前なんかに俺の命は取れはしない、と……ふ、ふふふ。
「く、くく、くき、ききく……根黒、やっぱり、テメェは……俺に、殺されるべきなんだよ」
俺は笑う。
口角を上げて笑った。
笑わなければならい、笑っていなければ精神を保てない。
奴のにやけ面が頭の中でずっと浮かんでいて。
眠れば奴のイデアールに俺は木っ端みじんにされて……悪夢だよ。
決して醒めない悪夢だ。
俺が安心して眠る為には、何としても奴をこの手で――殺さなければならない。
その為に、俺は努力を惜しまない。
奴を殺せるのなら悪魔にも魂を売れる。
否、もう既に俺は悪魔に――“魂を売った”。
「……」
奴は気づかなかっただろう。
俺自身の体の変化には。
当然だ。今、知られたら何の意味もない。
奴との決戦の日はまだ先だ。
世界大会での優勝なんて今の俺にはどうでもいい。
俺はただ、根黒万太郎を殺すという願いの為に出場する。
そして、奴は必ず本選へと進むだろう。
何処であたるかは分からない。
が、確実に奴は勝ち進んでくる。
俺と奴の道が交わる時……その時が、テメェの終わりだ。
「く、くく、楽しみだ。テメェを殺して、俺はようやく、自由に、なれるんだ……ふ、はは、くはは!」
俺は両手で顔を覆いながら笑う。
あぁ楽しみさ。奴を殺せると思えば笑みが零れる。
奴だけを追って、奴だけを思ってここまで来た。
全ては奴を殺す為であり……だからよ。
「負けんじゃねぇぞ……負けたら、俺はテメェを一生呪ってやる」
これはアイツへの激励ではない。
奴の心なんざどうでもいい。
ただ俺の心の闇を晴らすためにも、奴には絶対に負けて欲しくない。
俺が勝てないんだ。他の奴らが敵う筈はない。
アイツを研究しているからこそ、俺はそう断言できる。
「……腹、減ったな」
どれだけの時間が経ったか。
リアルだからこそ腹も減る。
カレーの事なんざ思い出せば、自然とカレーが食べたくなる。
そう思っていれば――扉がノックされた。
「カタギリ、そろそろ出て来い……笹原がカレーを作った。食え……先に言っておくが、そのカレーは根黒万太郎が送って来たカレールーで作ったものだ。喰いたくないのなら良いが……」
「……分かった。今行く」
「……! そうか、皿は置いておくからな」
扉の前から社長がいなくなる。
俺は静かに息を漏らす……奴のカレーか。
気に食わない。
あんな間抜け面の送って来たものなんて喰いたくねぇ。
が、他でもない社長が食えと言うのなら食うさ。
それに、アイツへの復讐心がこれで跳ね上がるのなら……くく。
「あぁそうさ。奴の好意を受け取る訳じゃねぇ。奴への殺意を増幅させる為の儀式だ。絶対に、奴からの好意を受けとる訳じぇねぇ。勘違いすんじゃねぇぞ……何言ってんだ?」
頭がおかしくなったのか。
俺はため息を零し、立ち上がって全ての蝋燭の火を消して外へと出る。
光が差し込み、廊下がハッキリと見えた。
歩いて行けば、他の同期もいやがったが。
無視してそのまま食堂へ向かう。
歩いて、歩いて、歩いて……アレか。
食堂のテーブルの上に、カレーが置かれていた。
ご丁寧に俺の名前付きであり、俺はその前に座る。
ラップを取ってから、スプーンを持つ。
そうして、綺麗な黒色のカレーを掬って――食べる。
「……少し酸味があるが……美味いな」
嫌いじゃない味だ。
俺は久方ぶりの飯という事もあってどんどん食べて行く。
が、途中でハッとして奴の顔を想像する。
今も俺がカレーを食っている姿を想像し、奴はほくそ笑んでいるに違いない……いや、いい。
今はただ、美味い飯だという事だけでいい。
奴の事は無視であり、それを考えるのは食った後だ。
儀式ではあるが、今はただ……まぁ飯に感謝しよう。
「……出たら、買ってみるか……ふん」
俺はカレーを食べながら、家で作ってみるのもいいと考えて――
「ぐ、ぁ、ぁぁ、ぅ、ぐぁ!?」
現在、トイレの個室で――腹を下していた。
カレーを食った後であり、急な腹痛に襲われた。
さっきから出続けていて、止まる気配がしない。
何故だ、どうして、何が……あぁ、そうか。
「アイツ、この、俺に――毒、を!」
根黒万太郎のほくそ笑んだ顔がちらつく。
この前の仕返しであり、俺をまんまと嵌めやがった。
全て奴の計算の内であり……あぁ、最高だぜ。
アイツの企みのお陰で――新鮮な復讐心を手に入れた。
奴の粋な計らいが、俺の殺意を増幅させる。
やっぱりアイツは俺の敵だ。
俺の宿敵であり、絶対に殺さなければならない。
そうだ、他の奴らには渡さねぇ。
俺が、俺自身が……ぐ、あぁ!?
「ふ、ふぅ、ぅ、ぁぁ……ご、ごろ、ごろしてやるぅぅ根黒万太郎ぉぉぉ!!」
ぎゅるぎゅると腹を鳴らしながら、俺は奴への殺意を吐き続ける。
絶対に殺す、何が何でも殺す。
もしも出来なければ、それでも奴を殺してやる、と。
〇
事務所の廊下で、笹原と肩を並べて立つ。
小一時間ほどトイレからずっとうめき声が聞こえてくるが。
中にいるカタギリは出て来る気配がしない。
「……なぁ、カタギリはまだトイレから出ないのか?」
「あぁ、まだっすねぇ……何食ったんすか?」
「あぁ? カレーだよ。てか、笹原、テメェが作ったんだろ?」
「え? カレーって……え!? あれは昨日作ったもんすよ!?」
「……あ? 昨日? だったら別に」
笹原は説明する。
カレーを作れと言われて、昨日の朝に試作品を作ったと。
中々の出来ではあったが、寝かせればもっと美味くなると考えて冷蔵庫に入れようとしたが。
後から色々な用事を言われて、すっかり忘れてしまって常温で丸一日放置してしまったと。
すぐに捨てようとしたが、手ごろな袋は全部切らしていた。
俺には連絡を入れていたがつながらず。
仕方なく、事務の小西にコンロに置いてあるカレーは絶対に喰わせるなと俺に伝えるように指示し。
念には念を入れてカレーの鍋にメモもつけていたようだったが。
俺には小西から連絡はなく、鍋にも付箋は見当たらなかった……いや、今思えば床に踏まれた後の付箋のようなものが落ちていたような?
そのまま笹原は材料とゴミ袋の買い出しに向かった。
すぐに帰って来るつもりだったが、渋滞などで帰って来るのが遅れて……あぁ。
「……流石に常温で丸一日はねぇ……夏ですし」
「まぁそうだよな……救急に連絡しといてくれ」
「了解っす……カタギリ先輩もついてねぇっすね」
「……まぁ多分、また一段と根黒万太郎への殺意を……ある意味で、良い成長に繋がったか?」
「……かなりこじれてますけどね。アレはもう愛憎混じってますよ?」
「……そっとしておこう」
俺たちは遠くからうめき声の聞こえるトイレの扉を見つめる。
紫電のカタギリと呼ばれて天狗になっていたアイツ。
そんなアイツを負かして成長の機会を与えてくれた根黒万太郎。
感謝はしているが、同時に危うい気もしていた。
もしも、道を間違えれば……アイツ、ストーカーにはならないよな?
「ごぉぉろしてやるぅぅぅ」
「「……」」
息子同然のアイツが道を間違わないように。
影ながら見守ってやろうと俺は心に誓った。




