死亡事故と、残された家族
「ガルドさんの班、まだ戻りませんか」
昼下がりの組合事務所で、俺は窓の外をちらちらと見ながら帳簿に線を引いていた。
「さっき、ギルドの方に『深層寄りで少し手こずってる』って連絡があっただけですね」
ミーナが、不安そうに指先をいじる。
机の上には、今日の出入りをまとめた簡易台帳。
ユウト加入以来、ミーナの字は、前よりずっと読みやすくなっていた。
「ガルドたちはベテランだ。そうそう簡単にはやられないさ」
リナが言う。
口調は豪快だが、視線は窓の方に向いたままだ。
(ベテランだからこそ、油断しないタイプではあるけど)
俺がそう考えていると、外で騒がしい声がした。
「ただいま戻ったぞー! ……おい、どけ、通路を空けろ!」
ガルドの怒鳴り声だ。
俺たちは慌てて外に飛び出した。
---
組合事務所の前の通りに、担架が一つ置かれていた。
血の気を失った若い男が、寝かされている。
胸から腹にかけて、包帯がぐるぐる巻きだ。
「ガルドさん!」
ミーナが駆け寄る。
「そいつは平気だ。致命傷は避けた」
ガルドは、額の汗を手の甲で拭いながら言った。
鎧には血と泥がこびりついている。
「問題は、もう一人の方だ」
「……もう一人?」
嫌な予感がした。
「ギルドの治療院に運んだ。まだ、家族には知らせてない」
リナの表情から、いつもの豪快さが消えていた。
「若い弓手だ。名前は――」
ガルドが口ごもる。
俺の脳裏に、一人の顔が浮かんだ。
「……この前、報酬の件で組合に来た、あの三人組の?」
「ああ」
ガルドは短くうなずく。
「あいつだ」
胸の中が、嫌な冷たさで満たされる。
---
ギルドの治療院は、支部の裏手にある石造りの建物だ。
俺たちが駆けつけたとき、中から怒鳴り声が聞こえてきた。
「どうして、どうしてなんですか……!」
泣き崩れる女の声。
「落ち着いてください。ダンジョンは、常に危険と隣り合わせでして――」
聞き覚えのある、事務的な男の声。
俺が扉を開けると、シュテルン・ローゼンが、落ち着き払った顔で立っていた。
その前で、ひざをついて泣いている中年の女。
その肩を、青ざめた顔の若い男が支えている。
「お前が、組合の……」
ガルドの姿を見て、若い男が顔を上げた。
男の目は、泣き腫らして赤くなっている。
「弟が、弟が……」
病室のベッドには、白い布がかけられていた。
「あの子、今日も『すぐ帰るから』って、朝、笑って出ていったのに……」
中年の女――母親だろう――が嗚咽を漏らす。
(この前、組合で見た顔だ)
報酬の件で相談に来たとき、弓手の青年は「家族にいい顔したくて」と照れくさそうに笑っていた。
あの笑顔が、もうこの世界から消えている。
「ギルドとしても、痛ましい事態だと考えております」
シュテルンが、静かな声で言う。
「ただ、ギルド規程上、『ダンジョン内での事故については、一定の危険を承知の上で依頼に臨んだものと見なす』という条項がありまして」
「そんなこと、聞いてません!」
母親が声を荒げる。
「あの子、字もあまり読めないのに……! そんな細かい規程、どうやって理解しろって言うんですか!」
「依頼掲示の際に、『ダンジョン内は危険となりますので、十分ご注意ください』と説明はしておりまして」
(そういう説明じゃないだろ)
俺は思わず唇をかみしめた。
「死亡した場合の補償については――」
シュテルンは、手元の書類をめくる。
「ギルド加入時に任意で加入できる『死亡見舞金制度』がございますが、こちらの方は加入されておりませんでした」
「そんな制度、聞いてません!」
兄らしき男が叫ぶ。
「俺も冒険者だが、そんな話、一度も……」
「受付での説明不足については、今後の改善点として検討させていただきます」
また出た、「今後の検討」だ。
「現時点で、ギルドとしてお支払いできるのは……」
シュテルンは、書類の一行を指で押さえた。
「葬儀の一部費用として、銀貨五枚まで」
「ご、五枚……?」
母親が、耳を疑ったように繰り返す。
「あの子、うちの生活を支えてくれてたんですよ。父親も病気で働けないのに……!」
兄が、母親の肩を支えながら、シュテルンを睨みつける。
「借金だって、まだ返しきれてない。装備代も、治療費も……」
(そうだ。前回の報酬だって、本来もらえるべき額より少なかった)
俺は拳を握った。
「ギルドとしても、個別のご事情には心を痛めております」
シュテルンは、表情一つ変えずに続ける。
「ただ、制度上、全ての死亡事故に対して十分な補償を行うことは難しく――」
「制度って、誰のための制度なんですか」
気づけば、俺は口を開いていた。
シュテルンの視線が、こちらに向く。
「ユウト」
「お久しぶりです、補佐官殿」
俺は、できるだけ冷静な声を出した。
「制度があると言っても、加入方法も説明されず、文字が読めない人間には実質たどり着けないなら、それは『ある』とは言えない」
シュテルンは、ほんのわずかに目を細める。
「厳しいご指摘ですね」
「前の職場でも、似たような約款を山ほど見てきましたので」
退職金の減額条項。
事故時の免責条項。
(念のため言っておくと、退職金そのものには法的な支払い義務はないから、最初から制度がなければ会社は一銭も払わずに済む。一方、事故の免責条項については、会社には安全配慮義務があるので、本来そんなものを書いても無効だ)
フリーランス向けの「見舞金制度」と称した、実態のない紙切れ。
「……ですが」
俺は言葉をのみ込んだ。
この場で、ギルドを全面的に糾弾したところで、目の前の家族にとって「今」必要なお金が増えるわけではない。
「ギルドとしては、規程に基づき最大限の対応を――」
シュテルンが言いかけたとき。
「もういいです」
母親が、かすれた声で言った。
「あなたたちの言っていること、私にはよく分かりません。ただ……」
涙で濡れた目が、俺たちの方を向く。
「あの子の分まで、残された家族が路頭に迷わないようにしてほしいだけなんです」
その視線に、胸が詰まった。
「……せめて、葬儀の費用ぐらいは、こちらからも何とかします」
気づけば、そう口にしていた。
「組合として、できる範囲で」
リナが、横で小さくうなずく。
ガルドも、黙って拳を握っていた。
シュテルンは、しばらく黙って俺たちを見ていた。
やがて、小さく肩をすくめる。
「では、ギルドからの五枚に加え、組合からの支援分を加えた形で、改めてお渡ししましょう」
それで、全てが救われるわけではない。
それでも、今の俺たちにできることは、その程度しかなかった。
---
夕方。
組合事務所の机の上に、帳簿と小さな袋が置かれていた。
「これで、本当に大丈夫なんでしょうか」
ミーナが、不安そうに袋を見つめる。
中には、組合の金庫から捻り出した銀貨がいくつか。
「正直、大丈夫じゃない」
俺は正直に答えた。
「このまま似たような事故が続いたら、組合の金庫はあっという間に空になる」
「でも、放っておくわけにもいかない」
リナが椅子に腰をかけ、腕を組む。
「ギルドがまともな補償をしないなら、誰かがやるしかない」
「その『誰か』が、いまのところ、私たちしかいない」
ガルドが、帳簿を覗き込む。
額に深い皺が刻まれていた。
「でも、このやり方じゃ、いずれ破綻する」
俺は帳簿を指でたたいた。
「その場しのぎで金を出し続けても、長くはもたない」
前の世界でも、似たような話を聞いたことがある。
事故のたびに寄付金を募り、そのたびに「次もまた」が続いて、みんなが疲弊していくケース。
「じゃあ、どうすりゃいい」
リナが、俺を見る。
「仕組みを作るしかない」
自然と言葉が出た。
「最初から『誰かが死んだり、大怪我をしたりする』ことを前提にした仕組み。あらかじめ、みんなで少しずつ金を出し合って、いざというときにそこから支払うような」
「……保険、みたいな?」
ミーナが首をかしげる。
「そうだな。前にいた国だと『共済』とか『掛け捨て保険』とか、いろいろ呼び方はあったけど」
俺は、ペンを取り上げ、紙の上に簡単な図を書いた。
「一人ひとりの冒険者が、依頼を受けるたびに、少しずつ会費とは別に『掛け金』を払う。その金を一つの箱にまとめる」
箱の絵を描き、矢印を集める。
「そして、誰かが死んだり、手足を失ったりしたときに、その箱から一定額を支払う」
今度は、箱から外へ矢印を伸ばす。
「ギルドがやらないなら、組合でやる」
リナが、図を覗き込む。
「そんな仕組み、本当に回るのか?」
「きちんと条件を決めれば、回せるはずです」
俺は頷いた。
「全員に無制限に払うんじゃなくて、掛け金と給付額のバランスを決める。誰が、どんな事故のときに、いくら支払うか。記録もちゃんと残して」
ミーナが、目を丸くする。
「それって……私でも手伝えますか?」
「もちろんだ」
俺は笑った。
「むしろ、ミーナみたいに顔と名前を覚えるのが得意な人間が、誰がどんな家族を抱えているかを把握しておくのは、大事な仕事になる」
ガルドも、腕を組み直す。
「掛け金を払うのを嫌がるやつもいるだろうな」
「いるでしょうね」
俺は正直に認めた。
「『どうせ自分は死なない』って思ってる若いやつほど、そう言う。でも、今日みたいなことがあった後なら、耳を傾けてくれる人間も増えるはずです」
沈黙が落ちた。
「リナ」
俺は組合長を見る。
「やる価値は、あると思いますか」
リナは、少しだけ目を閉じた。
そして、ゆっくりと開く。
「あるよ」
迷いのない声だった。
「あたしらが守りたいのは、冒険者の『今』だけじゃない。死んじまった後に、残された奴らが路頭に迷わないようにすることまで含めて、『守る』だ」
机を、拳で軽く叩く。
「だから、その仕組みとやら、作ってみよう」
胸の奥で、何かが静かに燃え上がる。
「分かりました」
俺は、真新しい紙束を机の上に置いた。
「じゃあ、明日から――いや、今日からか」
ペンを握り直す。
「『冒険者共済』の初稿、作りましょうか」
窓の外では、カルナの街に夜の気配が降り始めていた。
死亡事故は、悲劇だ。
条文のどこを探しても、完全な救いは見つからない。
だからこそ。
(ないなら、作るしかない)
二度目の人生で、ようやくそこまで踏み込む覚悟が、自分の中に芽生えつつあるのを、俺ははっきりと自覚していた。
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