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俺の居場所はこっち側だ

「――ユウトさん、また書類の山に埋もれてますよ」


 どこかで聞いたような声が、薄暗いオフィスに響いた。


 顔を上げると、見慣れた蛍光灯と、終電の消えた駅の時刻表。

 机の上には、今にも崩れそうな契約書の山。


「明日の朝までに、この案件全部チェックしといてくださいね。働き方改革、形だけでも守らないと」

「無理です」

「大丈夫大丈夫、タイムカードは切っといたんで」


 にこにこと笑う上司の手には、「サービス残業同意書」なる紙が握られていた。


(いや、それ前世で見覚えあるやつ)


(念のため言っておくと、法的にはああいう同意書は無効だ。労働法が優先されるから、その水準を下回る「合意」は、どれだけサインを集めても、本来は通用しないのがルールだった)


 ツッコむ間もなく、紙の山が雪崩を起こす。


「ちょ、待――」


 紙に押しつぶされる瞬間、視界が真っ白になった。


 ---


「お目覚めのところ失礼します。前世のトラウマ再放送は楽しんでいただけましたでしょうか」


 軽い声に目を開けると、真っ白な空間の真ん中に、安っぽい魔法使いコスプレの青年が座っていた。

 サイズの合っていないとんがり帽子に星柄マント、安物っぽい杖。

 転生神ツクヨだ。


「お前のセンス、やっぱりどうかしてるよな」

「制服ですから。経費です。私の趣味ではありません」


 ツクヨは、杖でカウンターをこん、と叩く。


「で、どうです? 二度目の人生、ブラックへの耐性が戻りつつあるように見えたので、軽くアラートを出しておこうかと」

「戻ってない」


 即答すると、ツクヨはちらりと書類のファイルを開いた。


「最近のユウトさんの行動履歴ですね。ギルドに顔を出して、組合にも顔を出して、宙ぶらりんのまま帳簿をいじり、相談に乗り――」

「やめろ、ログを読むな」

「いえ、業務ですので」


 やたら事務的な神様だ。


「二度目の人生、『今度は、搾取する側じゃなく、守る側に立ちたい』とおっしゃってましたよね」

「……言ったな」

「にもかかわらず、『どっちにもあまり敵を作りたくない』モードが再発しつつあるご様子で」


 図星だった。


「別に、ギルドを今すぐぶっ壊せって話じゃないですよ」


 ツクヨは肩をすくめる。


「ただ、前の世界でも、何でもかんでも『真ん中』にいようとして、結局どっちにも踏み込めなかったって、自分で言ってましたよね」

「痛いところを突くな」

「業務ですので」


 二度目の「業務です」だ。


「この世界には、前世みたいに、フリーランスを守る法律も、ちゃんとした監督官庁もありません」


 ツクヨは、少しだけ真面目な顔になる。


「だからこそ、『どっち側にいるか』をはっきりさせないと、また飲み込まれますよ」


 その言葉が、胸の奥に刺さった。


(どっち側にいるか、か)


 前世では、最後まではっきりさせられなかったことだ。


「まあ、最終的に選ぶのはユウトさんですけどね」


 ツクヨは立ち上がり、とんがり帽子を軽く持ち上げてみせた。


「そろそろ、時間です。次に目を覚ましたとき、どっち側に立っていたいか。せいぜい考えておいてください」


 視界が、再び白に溶けていく。


 ---


 目を開けると、見慣れた天井があった。


 カルナの安宿の狭い部屋。

 窓の外では、朝の荷馬車の音が聞こえる。


「……夢か」


 とはいえ、あの胡散臭い神様が夢かどうかは、いまだによく分からない。


(どっち側にいるか、ね)


 布団の中で、ぼんやりと考える。


 ギルドの事務員として働いていたころ。

 俺は、可能な範囲で冒険者の味方をしようとしていた。

 規程を守らせ、せめて約束された分くらいは払わせようと。


 それでも、最終的な決定権はギルド側にあった。

 どれだけ条文を拾い上げても、「今回は特例で」「上からの指示で」でひっくり返されることも多かった。


 一方、組合事務所はカオスだ。

 帳簿はぐちゃぐちゃ、規約もあってないようなもの。

 だけど――。


(あっちの『ぐちゃぐちゃ』は、誰かを守るために足りない部分であって、誰かから奪うための仕掛けじゃない)


 ギルドは、きれいな建物と整った規程で、冒険者から搾り取る仕組みを固めている。

 組合は、ボロい事務所と未完成の帳簿で、どうにか守る仕組みを作ろうとしている。


 どちら側に立ちたいかと問われれば、答えは決まっている。


 俺は布団から起き上がり、服を着替えた。


「……決めるか」


 自分に言い聞かせるように呟いた。


 ---


 組合事務所は、相変わらず紙の匂いがした。


「おはようございます」


 扉を開けると、ミーナが「あっ」と顔を上げた。


「ユ、ユウトさん。今日も来てくれたんですね」

「おはよう。帳簿は、昨日の続きか」

「は、はい。えっと、その……」


 ミーナは指先をもじもじさせる。


「ユウトさん、最近よく来てくださって……もし、急に来なくなったらどうしようって」

「え?」


 予想外の言葉に、思わず聞き返した。


「わ、私、まだ一人じゃ何もできなくて。数字も字も、ユウトさんに教えてもらってばかりで。でも、ギルドの人に目をつけられたら、もう来ない方が安全なんじゃないか、とか……」


 そこまで言って、ミーナは慌てて首を振る。


「ご、ごめんなさい! 変なこと言いました!」


「変じゃない」


 と、低い声が割り込んだ。


 振り向くと、ガルドが入口に立っている。


「俺だって思ってた。ユウトがいつまでここに顔を出してくれるかってな」

「ガルドさん……」


 ガルドは、いつもより少し真面目な顔だった。


「ギルドにも、ここにも顔を出す中途半端な立場は、楽かもしれん。けど、あんた自身が一番削れていく」

「……そうかもしれませんね」


 どっちつかずでいると、どっちにも遠慮して、本音を言えなくなる。

 前の人生で、何度もやったことだ。


 リナが、奥の机から立ち上がった。


「ユウト」


 名前を呼ばれる。


「前にも言ったけどさ。一緒にやってくれるなら嬉しいし、そうじゃなくても恨みっこなしだ」


 リナは笑う。


「あんたには、あんたの人生がある。無理に引き込んで、またブラックな働かせ方をしたら、本末転倒だからな」

「リナさんが言うと、冗談に聞こえないあたりが怖いです」


 俺も、苦笑いを返す。


 胸の中で、何かがすっと決まった。


「だからこそ、はっきり言います」


 全員の視線が集まる。


「俺の居場所は、こっち側だと思う」


 静かに、けれどはっきりと告げた。


「ギルドの中にいたとき、ずっと『限界』を感じていました。守れる範囲が狭すぎるって」

「それは、よく分かる」


 ガルドがうなずく。


「でも、組合なら――まだ形になってないぶん、やれることがある」


 ボロい事務所。

 未完成の帳簿。

 不安そうなミーナと、不器用なガルド。

 どこか抜けた組合長。


 そこに、自分の居場所を見ている。


「だから、正式にここで働かせてください」


 俺は、リナへ向き直った。


「肩書きは……何でもいいですが」

「そう来なくちゃな」


 リナが、にっと笑う。


「じゃあ――『ホワイト冒険者組合・カルナ事務所 実務責任者』ってのはどうだ?」

「名前が長い」

「中身も長い仕事だからな」


 ガルドとミーナが笑う。


 リナは、古びた引き出しから、簡素な紙切れを取り出した。


『冒険者組合 加入証』と書かれたそれは、ギルドの登録証に比べて、ずいぶんと心許ない作りだ。


「ここに、名前を書いてくれ」


 差し出された羽ペンを受け取り、俺は一呼吸置いてから書き込んだ。


『ユウト』


 紙にインクが染み込んでいく。


「はい、これで晴れて、うちの仲間だ」


 リナが嬉しそうに笑い、ミーナが拍手し、ガルドが短くうなずいた。


 胸の奥で、何かがストンと落ち着いた気がする。


(今度は、最初から「こっち側」にいる)


 前の人生でできなかった選択だ。


 ---


 その頃、ギルドの支部長室では。


「なぜだ! なぜ書類が終わらん!」


 バロス支部長の怒鳴り声が木霊していた。


 机の上には、処理待ちの依頼票と報告書が山のように積み上がり、新人事務員たちが青い顔で右往左往している。


「支部長、先週入った新人が、また一人辞めまして……」

「今月だけで何人辞めたと思ってる!」


 バロスが机を叩くたびに、書類の山が揺れる。


「こうなったのも、全部あの小僧――」


 そこで、彼は口をつぐんだ。


「……誰だっけな」


 支部長の記憶から、「便利な事務員の名前」は、もう薄れかけている。

 だが、その抜けた穴の形だけは、確実に机の上に残っていた。


「人を増やせと言えば、本部は『予算がない』の一点張り……」


 バロスは、誰にともなく愚痴をこぼす。


「上納金と書類の処理件数ばかり見やがって。現場の苦労なんざ、誰も点数にしてくれん」


 ---


 夕暮れ時。


 組合事務所の窓の外で、カルナの街が赤く染まりはじめていた。


 リナが、粗末なマグカップを三つ並べる。


「よし、ユウト加入記念ってことで、安物だけどエールで乾杯だ」

「勤務時間中ですよ」

「水だ水。たぶん」


 たぶん、という言葉が不安になるが、マグカップを受け取る。


「じゃあ――」


 リナがマグを掲げる。


「ホワイトじゃないけど、前よりはマシな冒険者組合と、そこに来てくれた新しい仲間に」


 ガルドとミーナも、マグを掲げた。


「乾杯」


 俺も、マグを軽くぶつけた。


 二度目の人生。

 最初の一歩だけでなく、二歩目も、前よりは確かにマシな場所に向かっている気がした。


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