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最初の案件と、小さな逆転(後編)

 リナに「ユウト。あんたの出番だ」と言われ、俺たちはギルドへ向かった。


 ギルドの石造りの建物は、相変わらず威圧感があった。


 正面の広い扉をくぐると、冒険者たちのざわめきと、窓口の喧噪が押し寄せてくる。


「うわ、本当に大炎上中だな」


 リナが小声で呟く。

 受付には長蛇の列。

 新人らしい事務員が右往左往し、別の窓口からは支部長の怒鳴り声が聞こえてきた。


(……まあ、俺がいなくなったぶんの穴が出てるだけだ)


 少しだけ複雑な気持ちになる。


「すみません。報酬の明細について、相談したい件があるのですが」


 俺は、列から少し離れた「相談窓口」と書かれた小さなカウンターへ向かった。

 普段はあまり使われない場所だ。


 応対に出てきたのは、見覚えのある男性職員だった。


「ユウトさん……」

「お久しぶりです」


 元同僚のぎこちない笑顔。


「いまは組合の者として来ています」


 俺がそう言うと、彼は一瞬だけ困ったような顔をした。

 だが、すぐに仕事用の表情に戻る。


「どういったご用件でしょう」

「こちらの依頼の報酬について、規程上の確認をしたくて」


 俺は、依頼票と明細を差し出した。


 職員は手早く目を通し、「少々お待ちください」と奥へ引っ込む。


 ほどなくして、もう一人姿を現した。


 シュテルン・ローゼン――筆頭補佐官。

 落ち着いた物腰の裏に、冷たい計算高さを隠している男だ。


「これはこれは、ユウト。――ではなく、元職員殿」


 柔らかい笑みを浮かべながら、シュテルンは椅子に腰を下ろした。


「組合の名札をつけているところを見るに、転職先は決まったようですね」

「まだ保留中です。ただ、今回は相談役として」


 俺は淡々と答える。


「報酬が掲示と比べてかなり少なくなっている点について、規程上の確認を」

「確認、ですか」


 シュテルンは、依頼票と明細を丁寧にそろえ、順番に目を通した。


「仲介手数料と、安全対策費。それから臨時警備協力費と調整額。いずれも、別紙第三に則った控除ですね」

「はい。ただ、その別紙第三には『事前説明』『難度引き上げ時の再見直し』『協議の上で決定』とあります」


 俺は、持参した規程の控えをカウンターに置いた。


「今回、依頼掲示時には『報酬三十枚、Cランク相当』としか説明されていませんでした。安全対策費や警備協力の話は一切なく、協議もされていません」


 シュテルンの指が、一瞬だけ止まる。


「事前説明を怠って控除した場合、規程違反と解釈されかねません」


 淡々と告げる。


「もちろん、ギルドとして安全対策を講じること自体は否定しません。ただ、その費用を冒険者側に負担させるなら、きちんと説明責任を果たすべきです」


 シュテルンは、静かに息を吐いた。


「相変わらず、条文にはお詳しい」

「仕事でしたので」


 前世から数えると、二度目の「条文係」だ。


「では、どうすればよろしいと?」

「今回に限って言えば」


 俺は明細の数字を指で示した。


「事前説明のなかった控除分――安全対策費五枚と臨時警備協力費三枚。合わせて銀貨八枚を、支払い直しとして追加していただければ、規程上の不備はだいぶ薄れます」

「だいぶ、というのは?」


 シュテルンが目を細める。


「今後も同じやり方を続けるなら、いずれ別の誰かが、もっと面倒な形で問題にするかもしれません。例えば、市長や商人ギルドを巻き込む形で」


 それは、未来の話だ。

 いまここで戦うつもりはない。

 ただ、「そういうカードを切れる人間もいる」ということだけは伝えておきたかった。


 シュテルンはしばらく沈黙した。

 やがて、静かに肩をすくめる。


「……今回は、事前説明が不十分だったことを認めましょう」


 カウンター越しに、部下の職員へ指示を飛ばす。


「安全対策費と臨時警備協力費分、銀貨八枚を追加で支払うよう手配してください」

「は、はい」


 職員は慌てて奥へ走っていった。


「ただし、ユウト」


 シュテルンは、少しだけ声を落とした。


「あまり『組合』を前面に出すのは、得策ではありませんよ」

「それは、ギルドにとってですか。街にとってですか」


 問い返すと、シュテルンは穏やかに笑った。


「それは、私の立場からはお答えしづらい」


 この男は、本気になればもっと厄介な相手になる。

 今はまだ、その時期ではない。


「ひとまず、今回は円満な解決に感謝します」

「こちらこそ、条文のご指摘に感謝を」


 形式的なやりとりを終え、俺たちはギルドを後にした。


 ---


 カルナの夕風は、少しだけ冷たくなっていた。


 ギルドを出たところで、待っていた三人の冒険者が駆け寄ってくる。


「ど、どうでした!?」

「追加で銀貨八枚。合計二十五枚です」


 俺が告げると、一瞬、全員の時間が止まった。


 次の瞬間。


「やったあああああ!」


 弓手がその場で飛び跳ねた。


「いやマジで助かる……これで今月、宿代が払える」

「装備もちゃんと直せる」


 前衛と魔法使いも、それぞれほっと息を吐く。


 銀貨八枚。

 ギルドにとっては、端数のような額かもしれない。

 だが、彼らにとっては、生活と命綱に直結する数字だ。


「ユウトさん、本当にありがとうございます!」


 弓手が、勢いよく頭を下げる。

 俺は、少し照れながら答えた。


「本来、最初からそうなるべきだっただけですよ」

「それでも、俺たちだけじゃ絶対に無理だった」


 前衛が握った拳を、ぎゅっと胸の前で固める。


「また何かあったら、組合に来てもいいか?」

「もちろん」


 リナが口を挟む。


「今日のは組合としての正式な案件第一号ってことでね。成功報酬は――」

「ちょっと待ってください」


 俺は慌てて手を挙げた。


「今回は、組合の宣伝も兼ねた初回無料ってことでいいでしょう」

「えっ、いいのか?」


 リナと冒険者たちが一斉にこちらを見る。


「長く続けるなら、最初に信頼を買った方がいいです。『組合に相談したら助かった』って噂が広がれば、将来の会費と案件につながりますし」


 前世で、無料相談会を企画したときのことを思い出す。

 あのときも、短期的には赤字でも、長期的には大きなプラスになった。


「……やっぱり、あんた頭いいな」


 リナが感心したように笑う。


「じゃあ、今日はユウトの顔を立てて、初回無料」

「ありがとうございます!」


 三人は、何度も頭を下げながら去っていった。


 その背中を見送りながら、胸の奥に、小さな達成感が芽生えるのを感じる。


(前の人生では、こういう「ありがとう」をもらえる場面が、どれだけあっただろうな)


 誰かの契約書を守っても、「それが仕事だろ」の一言で終わることが多かった。

 感謝が欲しくてやっていたわけではないが、それでも、救われるものはある。


「なあ、ユウト」


 リナが横に並ぶ。


「どうだ。組合での初仕事の感想は」

「そうですね」


 俺は、夕陽に染まりはじめたカルナの街を見渡した。


「二度目の人生、悪くないスタートだと思います」


 それは、口に出して初めて、自分にも実感として返ってきた。


 ギルドの重い扉の向こうで、誰かが怒鳴っている声が聞こえる。

 一方で、組合の小さな扉の向こうには、今日、銀貨八枚分だけ世界がマシになった誰かの笑い声がある。


 その差を、少しずつ広げていけるなら。


(俺の居場所は、やっぱりこっち側なんだろうな)


 そう思いながらも、俺はまだ、正式には「組合員です」とは言わなかった。


 決定的な一歩を踏み出すのは、もう少し先でいい。


 だが、心の中ではすでに、その一歩目の場所に足を乗せつつあるのだと、自分でも薄々分かっていた。


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