最初の案件と、小さな逆転(前編)
「――というわけでして、どう考えても少なすぎるんですよ」
朝から、組合事務所の机の前で頭を下げられていた。
「お、おねがいしますユウトさん。うちら、計算とかほんとダメで……」
半泣きの弓手の女が、擦り切れた依頼票と、くしゃくしゃになった明細書を差し出してくる。
隣では、前衛の男が落ち着かない様子で椅子に座り、魔法使い風の青年が不安そうに書類をのぞき込んでいた。
三人とも、鎧やローブはところどころ修繕の跡がある。
金属部分の輝きもくすんでいて、余裕がないのが一目で分かる。
「カルナ北の魔物退治依頼、Cランク、報酬は銀貨三十枚って掲示板には書いてあったんです」
「はい」
「なのに、ギルドカウンターで支払われたのが――」
弓手の視線が、明細の一番下の数字に落ちる。
「――銀貨十七枚」
数字だけ見れば、単なる「計算ミス」にも見える。
だが、その間に挟まれた項目が問題だった。
「仲介手数料」「安全対策費」「規程に基づく調整額」。
見覚えのある単語のオンパレードだ。
(出たな、「規程に基づく」)
ギルドの窓口時代、何度も冒険者たちにそう説明してきたのは、他でもない俺だ。
ただ、その内訳まで全部、本気で理解している職員は少ない。
「掲示板には三十って書いてあったのに……」
前衛が、悔しそうに拳を握る。
「魔物もちゃんと全部倒したし、怪我だってしたのに、これじゃあ装備の修繕で消えちまう」
「窓口で文句言ったら、『規程上問題ありません』って言われて……」
魔法使いの青年が、肩を落とした。
「それで、ブライト亭のリナさんに相談したら、『うちに持ってこい』って」
全員の視線が、奥の机に座るリナへ向かう。
リナは腕を組んでうなずいた。
「ギルドの「規程上問題ない」は、だいたいどこかが問題なんだよ」
「言い切りましたね」
俺がツッコむと、リナは笑った。
「そこで、うちの切り札。元ギルド事務員で、条文オタクのユウトの出番ってわけだ」
「オタクって言わないでください」
とはいえ、仕事の内容は嫌いではなかった。
紙と数字と規程の海を泳ぎながら、穴を見つける作業は、性に合っている。
俺は、広げられた依頼票と明細書に目を落とした。
---
依頼票の上部には、見慣れたギルドの紋章と「中央冒険者ギルド・カルナ支部」の文字。
その下に、「魔物討伐依頼(カルナ北の林帯)」と依頼名が記されている。
右下には赤い蝋の印章が押されていて、ギルドの紋章が淡く光っていた。
依頼票に押されたその光は、偽造や書き換えを防ぐための簡易な魔術刻印だ。
魔法のある世界なので、こういう便利なものもある。前世の電子署名のようなもの。
その報酬欄には、確かに「銀貨三十枚」と書かれていた。
「ここまでは問題ないですね」
弓手が、おそるおそる口を開く。
「……でも、こういう細かい字って、『読まなかった方が悪い』って話にされませんか」
「前に窓口で、『ここにちゃんと書いてありますよね』って突っぱねられたことがある」
前衛と魔法使いも、苦い顔でうなずく。
(そりゃ、そう思うよな)
(強い側ほど、『小さい字で書いてあっただろ』を盾にしてくる)
「だからこそ、こっちも中身をちゃんと見ましょう」
俺は、依頼票の下の方を指さした。
問題は、その下だ。
「ただし」の小さな文字。
「討伐頭数が規定数未満の場合、報酬を減額することがあります」「安全対策費等を控除することがあります」。
そして、最後に小さく「詳細はギルド規程別紙第三を参照」とあった。
(前の世界でも、こういう「ただし書き」は山ほど見てきた。だけど、日本では一応、約款は「合理的な内容じゃなきゃダメですよ」とか、フリーランスを守るための法律ができたりとか、最低限の歯止めは用意されていた)
(この世界には、それすらない。条文の中身も運用も、ぜんぶ強い側のさじ加減だ。なかなか、手強い)
(別紙第三、か)
窓口にいたころ、ほとんどの冒険者が読まなかった紙だ。
受付側も、そこまで説明する時間がなかった。
俺は、記憶の引き出しを探る。
「討伐頭数、報告書だとどうなってました?」
魔法使いの青年が慌てて答える。
「林帯に出ていた群れを全部。規定の五体より多い七体です」
「じゃあ、頭数不足ってことはないですね」
俺は明細に視線を移した。
「……ふむ」
そこには、報酬三十枚から始まり、ずらずらと控除項目が並んでいる。
仲介手数料:四枚。
安全対策費:五枚。
臨時警備協力費:三枚。
規程第三条に基づく調整額:一枚。
残り十七枚。
「一つ聞いてもいいですか」
俺は三人を見た。
「この依頼、事前に『危険度が上がったから、そのぶん安全対策費を引きます』って説明はありました?」
「いえ、そんなことは」
「いつも通り、『報酬三十、Cランク相当』ってだけ聞かされました」
三人が首を振る。
「あと、臨時警備協力費ってのは?」
「何ですかそれ」
予想通りの反応だ。
(やっぱりな)
俺は、机の端に積んであった古いギルド規程の控えを一冊引っ張り出した。
羊皮紙の背には、青い蝋で押された小さな印がある。
ページの端に刻まれた細い線が、魔力に反応してかすかに光った。
これもまた、「本物である」ことだけを保証する、安上がりな術式だ。
リナが「そんなもんまで持ち出してたのか」と感心した顔をする。
「趣味です」
と言いつつ、該当ページをめくる。
「ありました。ギルド規程別紙第三、『各種控除項目の定義』」
俺がページを押さえると、前衛が眉をひそめた。
「なあユウト。正直に言うけどよ……こういうのって、字を読んだってどうせ向こうが勝ちなんだろ? 『規程に書いてあるから』って言われたら終わり、みたいな」
その諦め混じりの一言に、弓手と魔法使いも視線を落とす。
(そこをひっくり返すために、今ここにいる)
「だからこそ、『向こうの武器』を、こっちの武器にします」
俺は、指で行を追いながら、ゆっくりと読み上げた。
「安全対策費――ギルド側が事前に手配した追加の護衛・設備・治療要員の費用。事前に冒険者へ説明し、承諾を得ること」
三人が顔を見合わせる。
「そんな説明、一度も聞いたことないぞ」
「俺も」
「臨時警備協力費――ギルドに所属する警備隊が当該依頼区域の巡回等を行った場合に、一定割合を控除できる。ただし、依頼難度の引き上げがあった場合は、報酬の再見直しを要する」
さらに、調整額。
「規程第三条に基づく調整額――『依頼掲示後に条件変更があった場合、双方協議の上で決定する』」
(協議なんて、してないよな)
俺は内心でため息をつく。
「つまり」
リナが腕を組む。
「安全対策とか警備とか、やるならやるでいいけど、そのぶん事前に説明して、条件も一緒に見直せってことだな」
「そういうことです」
俺はうなずいた。
「事前説明なしに引くのは、規程違反。臨時警備が入ってるなら、本来は危険度が上がってるってことだから、逆に報酬の見直し義務が生じます」
(よくあるパターンだ。自分たちに有利なルールを作るときほど、「いかにもそれっぽく見える建前」をくっつけてくる)
(臨時警備は冒険者の安全のため――という綺麗な言い方の裏で、本当はギルドの取り分を増やす仕掛けになっている。でも、その建前のおかげで、今回みたいに逆に請求できる余地も生まれる)
「じゃあ――」
魔法使いが目を丸くする。
「俺たち、本当はもっともらえてた?」
「少なくとも、この控除のうち何枚かは、説明不足を理由に戻させる余地があります」
それだけでも、彼らの一週間分の生活が変わるだろう。
「行くか」
リナがにやりと笑った。
「ユウト。あんたの出番だ」
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