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潰れかけ組合の現実

「失礼します」


 とりあえず、社会人としての癖でそう口にしてから、俺は組合事務所の中に足を踏み入れた。


 最初に感じたのは、紙の匂いだった。


 次に、混沌。


「……これは」


 思わず声が漏れる。


 狭い室内いっぱいに、机と棚と木箱が詰め込まれていた。

 その上には、帳簿らしき束、依頼票の控え、血の染みがついた書類、未開封の封筒。

 全部が「とりあえずここに置いた」感覚で積み重なっている。


「ようこそ、冒険者組合へ」


 リナが胸を張って言う。


「うちの本部、兼カルナ支部だ」

「本部というより……引っ越し前日の倉庫というか」


 口に出そうになって、慌てて飲み込む。


(ギルドも相当だったが、こっちは別の意味で危ういな)


 窓は小さく、光は斜めからしか入らない。

 床はきしみ、書類の山と山の間を、細い通路が迷路のように走っている。


 その通路の向こうから、低い男の声が聞こえた。


「おいリナ。さっきの帳簿、どこに置いた」


 現れたのは、大柄な男だった。

 片腕に大剣をひょいと担ぎ、もう片方の腕には帳簿の束。

 髭面に傷だらけの顔だが、目つきは意外と穏やかだ。


「紹介する。ガルド・ストーン。うちの現場リーダー」

「ガルドだ」


 短く名乗ると、ガルドは俺をじろりと見た。


「例の、ギルドを辞めた事務の兄ちゃんか」

「兄ちゃんかどうかはともかく、そうです」


 俺が答えると、ガルドは小さくうなずいた。


「噂は聞いてる。窓口で、冒険者の味方をしてくれてたってな」

「味方というか、せめて規程通りには、と思ってただけですよ」

「それがもう、立派な『味方』だ」


 ガルドはそう言って、手に持っていた帳簿の束を無造作に机の上へ置いた。

 紙がばさっと雪崩れる。


「で、その帳簿なんですが」


 俺は視線を落とす。


 数字が、踊っていた。


「収入」と書かれた欄に、なぜかマイナスの数値。

「支出」欄には、なぜか「たぶん」「たくさん」などのメモ書き。

 合計欄には、誰かが途中で諦めた痕跡のぐしゃぐしゃな線。


「……これ、いつからつけてるんですか」

「一年ぐらい前からだな」

「一年?」


 俺は思わず声を上げた。


「よくこれで一年もってますね」

「もってねえよ」


 ガルドが即答する。


「このままだと、来年の冬は越せない」

「ガルド、そんな物騒な言い方しなくても」


 リナが苦笑する。


「でもまあ、実際そうなんだよな。だからこそ、ユウトに『見てほしいもの』ってのは、これだ」


 リナは別の机から、さらに分厚い帳簿を引っ張り出した。


「組合員からの会費、事故の見舞金、こっちで立て替えた治療費。そういうのをまとめた帳簿なんだけどさ」

「だけど?」

「誰も、ちゃんと読めてない」


 リナは頭をかく。


「私は数字が苦手だし、ガルドは足し算までは何とかなるけど、引き算で頭痛くなるタイプだ」

「余計なお世話だ」


 ガルドがむっとするが、否定はしない。


「で、いまはミーナが頑張ってるんだけど――」


 リナが視線を奥の机に向けた。


 そこには、小柄な少女が座っていた。

 髪を後ろでまとめ、くたびれたエプロン姿で、鉛筆を握りしめている。

 紙とにらめっこしながら、唇をきゅっと噛んでいた。


「み、ミーナ。ええと……ここ、ゼロを一つ書き忘れてて」


 少女は、半泣きになりながら帳簿をめくっている。


「ゼロ一つ違うと、全然違うよね……」


 その声が、妙にリアルだった。


「ミーナ」


 リナが呼ぶと、少女はビクッとして振り向いた。


「あ、リナさん! すみません、いま、ここを、その……」

「落ち着け。客人だ」

「きゃ、客人!?」


 慌てて椅子から飛び上がろうとして、帳簿を床にばらまく。


「うわっ」


 ばさばさ、と紙が散った。

 そこかしこに「多分」「あとで確認」「ごめん」のメモが踊っている。


「……これは、なかなかのカオスですね」


 思わず本音が漏れた。


「ユウト。ミーナだ」

「み、ミーナです。えっと、書記と……見習いの経理を」


 ミーナは真っ赤になりながら頭を下げた。


「読み書き、まだあんまり得意じゃなくて。でも、リナさんやガルドさんが『お前ならできる』って言ってくれて、それで」

「頑張ってる最中なんだ」


 リナが補足する。


「だからこそ、ちゃんとしたやり方を教えてやりたい。けど、私たちじゃ限界がある」


 そこで、リナは俺に向き直った。


「ユウト。あんたがギルドでやってたみたいに――いや、それ以上に。うちの帳簿とルールを、ちゃんと作り直してくれないか」


 真正面からのお願いだった。


「組合ってのはな、ギルドみたいに上から命令する場所じゃない。みんなで出した金で、みんなを守る仕組みだ」


 リナは、机の上に散らばった紙束を手のひらで叩く。


「でも、その仕組みがぐちゃぐちゃじゃ、誰も安心して金を預けられない。ガルドも、ミーナも、他の連中も、本当は不安に思ってる」

「……ですね」


 俺は帳簿を一枚めくる。


 そこには、見覚えのある名前が並んでいた。

 ブライト亭で見かけた冒険者。

 窓口で何度も書類を出していた若い前衛。


「彼らから預かった金を、適当に扱うのは嫌なんだ」


 リナの声が、少しだけ低くなる。


「ギルドと同じことをやったら、それこそ意味がないからな」


 その言葉に、胸がちくりと刺された。


(仕組みと記録で守る、か)


 前世で、俺はそのために働いていたはずだった。

 契約書の一行一行に埋め込まれたリスクを拾い集め、少しでも誰かの損を減らすために。


 でも、結局は、会社の都合に「いいように使われただけ」と感じて死んだ。


「ユウト」


 リナが俺の名前を呼ぶ。


「一緒にやってくれないか。冒険者組合を、『潰れかけ』じゃなくて、本当に冒険者を守れる場所にしたい」


 その目は、真っ直ぐだった。

 酒場で豪快に笑っていたときとは違う、少し不器用な真剣さがそこにある。


「あんたがいれば、このカオスな帳簿も、少しはマシになる」

「ハードルの低い期待ですね」


 思わず笑ってしまう。


「でも、俺がここに来たばかりで、状況もよく分かってないのも事実です」


 俺は帳簿から視線を上げる。


「ギルドも、街も、組合も。全体のバランスを見ないと、どこまで手を出せるか判断できない」


 前世で学んだことだ。

 部分だけ見て理想のルールを作っても、現場が回らなければ意味がない。


「だから――少し考えさせてください」


 リナの表情が、ほんのわずかだけ曇る。

 だがすぐに、いつもの豪快な笑みに戻った。


「いいさ。いきなり『一緒に地獄に飛び込め』って言われて、即答できるやつは少ない」

「自覚はあるんですね」


 俺がツッコむと、ガルドとミーナも、ほっとしたように笑った。


「その代わり、ユウト」


 リナが指を一本立てる。


「考える間に、ここに出入りして、いろいろ見ていきな。組合の現状も、冒険者たちの顔も、街の空気も」

「それぐらいなら、喜んで」


 俺は頷いた。


「無職の特権ってやつですね」


 組合事務所の窓から、カルナの空が少しだけ見えた。

 薄い雲の向こうに、ダンジョンの塔の影。


 二度目の人生。

 前の人生では踏み出せなかった場所の前で、俺はまだ足を止めている。


 それでも――。


(少なくとも、前よりマシな迷い方ではあるか)


 そう思えた時点で、「潰れかけ」のこの場所が、ほんの少しだけ居心地よく感じられた。


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