女組合長リナとの邂逅
酒場の扉を開けた瞬間、熱気とアルコールと、怒鳴り声が一度に飛び込んできた。
昼間だというのに、「ブライト亭」の中はほぼ満席だ。
丸テーブルの上には、飲みかけのエールと、ダンジョン帰りらしい泥と血の染みが飛び散っている。
「聞いたかよ、仲介料。今月からまた上がるってよ」
「マジかよ。あいつら、自分で一匹も魔物倒してねえくせに」
「受付の兄ちゃんが辞めたせいで、窓口も地獄らしいぜ」
あまり聞きたくない単語が混ざっていて、思わず足が止まった。
(もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいんだが)
カウンターの端に空きを見つけて腰を下ろすと、店の奥から女主人らしき中年が顔を出した。
「いらっしゃい。何にする?」
「エールを一杯。それと、安いので何か軽いものを」
「はいよ。あんた、見ない顔だね」
そう言われて、少しだけ迷う。
ギルドの事務員だったころ、この店をプライベートで訪れたことはなかった。
窓口と宿と寝床の往復だけで一日が終わっていたからだ。
「最近までギルドにいたんですよ。昨日辞めまして」
「ほう。あのブラック穴蔵から生きて帰ってきたのかい」
女主人は感心したように笑い、マグカップにエールを注いでくれた。
泡の向こうに映る自分の顔が、少しだけ軽く見える。
「でさ、そこの兄ちゃんも聞いたか?」
隣のテーブルから、でかい声が飛んできた。
酔いの回った冒険者が、こちらに椅子を引き寄せてくる。
「ギルドの窓口な、今朝から大炎上だってよ」
「あー……」
予想はしていた。
していたが、実際に言葉にされると、どう反応していいか分からない。
「昨日、前からいた事務の兄ちゃんが辞めたらしくてさ」
「その兄ちゃん、俺だ」
「マジか」
なぜか酒場のあちこちから「おお」という声が上がった。
「あー! やっぱそうか。窓口で、報酬の内訳説明してくれてた兄ちゃんだろ」
「規程引っ張り出して、『本当はこう書いてあります』って教えてくれたやつ」
「危険手当とか、あんたが言ってくれなきゃ諦めてたかもしれねえよ」
三方向から感謝と愚痴が飛んでくる。
ありがたいが、情報量が多い。
「えっと、その節はどうも」
曖昧に頭を下げていると。
「――あんたが辞めたせいで、ギルド事務が大炎上だってさ」
カウンターの向こうから、よく通る声が飛んできた。
振り向くと、そこに立っていたのは、日焼けした肌にポニーテールの女だった。
年の頃は二十代後半。
実用一点張りの革鎧に、腕には使い込まれた籠手。
笑っているのか怒っているのか分からない、豪快な笑みを浮かべている。
「……初対面の相手に言う台詞じゃないと思うんですが」
「本当のことだろ?」
女は、俺の隣の席を当然のように占領すると、エールを一口であおった。
「バロス支部長が真っ赤な顔してさ。『あの小僧のせいで書類が回らん』って怒鳴り散らしてたって噂だ」
「それは……少し、気の毒ですね」
「気の毒なのは、残された事務員と冒険者たちだよ」
女は肩をすくめる。
「でもさ。『代わりはいくらでもいる』って言っておきながら、いざ辞められたら大炎上。今はやりの、ざまぁってやつだろ?」
(この世界でも「ざまぁ」が流行なのか。転生窓口のラインナップに入ってた時点で、嫌な予感はしてたけど)
ざっくりした言い分だが、反論しづらい。
俺が辞めたこと自体は、自分のための選択だ。
けれど、それが結果的に少しでも「上の人間へのダメージ」になっているなら、前世の俺も少しは報われる気がする。
「あんた、名前は?」
「ユウトです。元ギルド事務員」
「私はリナ。リナ・ブライト。この店の名前のブライトは、私から取ってもらったんだ」
胸を張ってそう言う。
なるほど、「ブライト亭」のブライトはこの女の名字か。
「リナさんは、冒険者で?」
「元、だな。今はほとんど前線に出てない」
リナは空になったマグカップを、コンコン、と指で叩いた。
女主人が苦笑しながら、勝手知ったる様子でおかわりを注ぐ。
「で、ユウト。これからどうするつもりだ?」
「それを考えに来たところですよ」
俺はエールを一口飲んでから、正直に答える。
「別の街のギルドに行っても、多分同じですからね」
「だろうな。組織の看板だけ変わって、中身は同じってやつだ」
リナは鼻で笑う。
その笑い方に、少しだけ自嘲が混じっているように見えた。
「この街のギルドも、最初からあんなじゃなかったんだ。昔はまだ、冒険者の話を聞こうとする余裕があった」
「今は違う、と」
「今は、数字しか見てない。支部長のバロスも、筆頭補佐官のシュテルンも、こっちの血や汗を、きれいな数字の列にしか見てない」
言葉が少し荒くなる。
リナの拳が、カウンターを軽く叩いた。
その仕草に、前世の上司へ募っていた感情と似た何かが重なる。
(この人も、この街の「ブラック」に長くつきあってきたんだろうな)
「だから私は、ギルドに頼らない道を作りたくてね」
「頼らない道?」
「冒険者同士で守り合う仕組みだよ」
リナは、いたずらっぽく目を細めた。
「ユウト。あんた、帳簿と契約は読めるんだろ?」
「まあ、一応は」
「なら、一度見てほしいものがある」
そう言って、リナは椅子から立ち上がる。
「ちょっと付き合いな。ここから歩いてすぐだ」
有無を言わせない調子だった。
断る理由も特に思いつかない。
俺はマグカップを飲み干し、代金を木のカウンターに置いた。
---
「で、どこに向かってるんです?」
酒場を出て、路地を二本曲がる。
人通りの少ない、少し寂れた通りに出た。
「ギルドから見えない場所」
リナはそう言って笑う。
「あいつらの目の前で、あいつらに都合の悪い相談はできないだろ?」
「まあ、確かに」
前世でも、会社の会議室では本音の相談は出てこなかった。
みんな、仕事帰りの安い居酒屋やコンビニ前で、ようやく本音をこぼすのだ。
「ここだ」
リナが立ち止まったのは、二階建ての古びた建物の前だった。
壁の漆喰はところどころ剥がれ、窓枠の木もだいぶくたびれている。
ただ、一つだけ新しいものがあった。
入口の脇に打ち付けられた木の板。
そこには、手書きでこう記されている。
『冒険者組合 カルナ事務所』
「……組合?」
思わず声に出していた。
この世界に来てから、あまり聞かなかった単語だ。
「そう。冒険者ギルドじゃない方の『冒険者』の組織」
リナは胸を張る。
「ギルドが仕事を斡旋する側なら、組合は冒険者の側に立つ場所だ」
「冒険者の……側」
口の中で繰り返す。
前世で聞き慣れていた「労働組合」という言葉が、頭の奥でかすかに響く。
「依頼の条件が不利すぎないか」
「事故が起きたとき、誰がどこまで責任を取るのか」
「報酬の計算が、ごまかされてないか」
リナは指を折りながら、一つ一つ数えていく。
「そういうことを、一人ひとりの冒険者がギルドに文句言っても、押しつぶされるだけだ。だから、まとまって声を上げる場所が要る」
「……現場の愚痴を聞き続けた窓口担当としては、耳の痛い話ですね」
俺は苦笑した。
「でも、窓口の兄ちゃんが全部背負う必要はない」
リナは、まっすぐな目で俺を見る。
「あんたはあんたで、別の場所から守ればいい」
その言葉が、胸のどこか深い場所に引っかかった。
前世でできなかったこと。
今世で、ようやく手を伸ばせそうな何か。
「中、見ていくか?」
リナがドアノブに手をかける。
古い蝶番が、ぎい、と音を立てた。
扉の向こうから漏れてくるのは、紙の匂いとインクと、わずかな人の気配。
「ここが、冒険者のための『もう一つの窓口』だ」
リナの言葉に押されるように、俺は一歩、敷居をまたいだ。
二度目の人生で、ギルドとは違う扉をくぐった、その最初の瞬間だった。
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